2004/04/29(木)22:14
「運命」と「ばちが当たる」~韓国のドラマに共通するもの
冬のソナタと秋の童話を見ていると、韓国、と言う国の持つ
倫理観と言うか、息づいている考え方を感じることができます。
「秋の童話」第10話にて。
ジュンソとウンソがついに愛の逃避行です。
ウンソママ(冬ソナのユジンママ)が育ての娘,シネに
「ウンソとシネが入れ替わったのも,そうなる運命だったんだ」って
涙ながらに語っていました。
そして、愛の逃避行の途中、バスの一番後ろの席で
(冬ソナでもチュンサンとユジンの指定席でしたね~)
「私たち,きっとばちが当たるわ」
とウンソ。
韓国では「運命」とか「ばちが当たる」って言葉が
生活の中で,重みのある言葉になっているのかな~と思いました。
「ばちが当たる」というのは、
ここ数年の日本では,もう「死語」になってしまっていますよね・・・。
私が小さいころは、祖父母や親戚などから
集まりがあるとよく聞かされたものですが・・・。
確か仏教?儒教?用語だった気がします。
こんな些細な言葉ひとつも,私たち冬ソナ世代には
懐かしく感じる要因なのかもしれませんね~・・・。
ウンソがジュンソと愛の逃避行をしても
テソクは,ウンソへの愛をあきらめないのです。
愛するものはたった一人だけ、その人を深く強く愛する・・・
そういう愛の形が韓国では「尊い愛」と考えられているのかな、
とも感じた10話でした。
冬のソナタでは、後半のミニョンさん(チュンサン)とユジンの
愛の形で表されていますよね~。
「ばちが当たる」のばち、って冬のソナタでは当たったのかしら??
チュンサンが失明してしまうこと??
もしそれならば,韓国の人は、
親をはじめとする親しい人を裏切ることは
すごい罪悪だと考えていると言えるのかもしれないな、と感じました。
私は,韓国ドラマはまだ
「冬のソナタ」と「秋の童話」しか見ていないけれど
他のドラマではどうなんでしょう・・・。
とても気になるところです。
さて,連休初日。
色々と忙しい1日でありました。
娘のヤマハ幼児化コースの開校式。
ショッピングセンターへ娘が描いた母の日の絵を見に行く。
(去年より断然人間になってたわ~爆!)
ちびたちの服をオークションに出品。
くるくると良く動いた一日でした(笑)