新潟県長岡市の社労士 いそがい社会保険労務士事務所のブログ

2006/10/24(火)00:18

中越地震から2年経ちました。

新潟・長岡の話題(15)

今日で中越地震から丸2年経ちました。 市立劇場の合同追悼式に参列したかったのですが、クライアントとの打合わせがあり、出席できませんでした。 午後はハローワーク主催の主に建設業を対象とした冬季解雇と通年雇用奨励金の事務処理説明会に出席し、普段通り忙しい1日でした。午後6時前頃に花火のような音がしたので、追悼の花火が上げられたのではないかと思います。 地震の時は、私はまだ東京で会社勤めをしていました。その日は休みの日で、汐留に住む友人に汐留の町を案内してもらっていました。地震の時はカレッタ汐留にいました。松下電器のショールームでマッサージチェアやジョーバなどを体験して、エレベーターから降りてすぐくらいだったと思います。東京でもけっこう揺れを感じました。 その後銀座に飲みに行ったのですが、長岡が震源と聞き、お酒をゆっくり飲む気分ではありませんでした。 幸い私の知人関係には人的被害はなかったのですが、私の元上司をはじめ多くの方が避難所生活をされました。所属していた市民オーケストラのメンバーには自宅が全壊された方もいました。 せめてボランティアに行きたかったのですが、私の当時の仕事は、工場の生産体制を維持するため休日に緊急に出勤することも多く、休日であっても何かあったときにすぐ戻れない被災地に行くことはそのときの私には許されないことでした。地震で長岡が大変なときになにもできず、歯がゆい思いをしたものです。 その時はすでに長岡で起業する決心を固めてましたので、長岡に行ってからは、少しでも町の役に立てるようにがんばろうと思ったものです。そのときの気持ちを忘れてはならないと、あらためて思いました。 今私は青年会議所活動を中心に町の事業に参加していますが、長岡の町をいかに元気にしていくか、ということを真剣に考える人が大勢いることを肌で感じています。また、戊辰戦争と空襲という二度の惨禍から復興を果たしている町の歴史があり、地震からも必ず復興できる、明るく元気にがんばっていこう、という雰囲気があります。 地震の時は何もできなかった分、少しでも町に役に立てることを、自分のできることからがんばってやっていこうと思います。

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る