ホームレスを是認してはならぬ
大阪の公園に住むホームレスが行政当局により強制撤去された。ずいぶんと混乱した様子だが、私が腑に落ちないのはホームレスの支援者の存在である。彼らの目的はなんだろうか。そもそも不法に占拠しているわけでしょ。大阪市は何も死んでしまえといっているわけではない。自立支援センターへの入所を求めているのだ。居住を与え、職の相談に乗る。人としての最低限の暮らしを保障する義務が行政にはある。医療が必要な人もいるだろうし、場合によっては生活保護の支給もされるであろう。彼らはそんな行政のシステムに従うことが嫌らしい。が、それは勝手すぎやしないか。先日の大阪地裁は、ホームレスが公園の中で居住することを認めてしまった。住民票も取れるわけだ。大阪市はもちろん認めず、住民票の受理もしていない。当然であろう。これを認めてしまうと、のっぱらや、国立公園内等に居座り、何年かの実績を得れば住めてしまうのだ。住民基本台帳法が出来たがために、こんな妙な判決が出ることとなってしまったのか。人間にはホームレスをする権利がある、と主張する人もいるのかな。私ははっきりいう。ホームレスは行政の怠慢により発生している分には仕方ないが、そもそもホームレスを堂々と行う権利はない。人間には権利と義務が課せられるが、人は基本的な人権が尊重されるとともにまっとうな居住をする義務もあると思う。彼らには福祉の援助が必要であり、それは本人の同意うんぬんと関係なく介入しなければならぬ。例えばゴミ屋敷の中で生活する住民に対しては、衛生的な生活をするように援助する必要がある。話し合うほか方法はないが。「本人がそれでいいんだからいいじゃない。」という考えもあろう。それに1つ1つの個別のケースはみな難しい。それぞれの生活歴があり、ホームレスに到る過程はそれなりの理由がある。しかしながら、援助を拒否する人々も、一方で不安な中で生きている。極楽だと思っている人はごく少数だろう。彼らの中には厭世観がある、もう世の中に期待したくないという気持ち。その気持ちに追い討ちをかけるような支援者の存在には困ったものである。