2008/12/10(水)20:39
ある朝、自分の机に椅子がなかった
辞表を出したのが11月28日。あの行為は正しかったのか、いけなかったのか、いまだに堂々巡りの思考から離れられない。そりゃ、いきなり会社をやめるってことは社会の常識から離れている。副施設長にも責められた。でも、ぎりぎりだった。県にケアマネジャーの登録をする予定が11月10日。その日にに私はじぶんをケママネとして登録しないでくれといって保留させた。主な理由は足浴というサービスが介護保険上適切でないと思ったからだ。生活への課題にならんもんね。足浴を介護保険で提供するのは正しくないと主張する私。だが、味方は一人としていなかった。足浴そのものを否定するつもりはない。そりゃ気持ちいいと思う、だが、それはたとえばはりやお灸で気持ちいいと思うのと同じ。自費で請求する分にはなんの反対もない。そのあたりの見解について、私の考えを肯定するものが一人としていなかった。
本社の介護課長と私の上司となる管理者は、私の言い分について十分にわかっていたが、声を出さずに終わった。私の上司となっていた女性は50歳のケママネだったが、頼りなかったな。なんというかスキルが自分のほうがずっと上だということがわかる。10日の日に私が「明日、辞表を出す。」といえば、それで上の人にも少しは伝わるかもしれないといった。でも副施設長と二人で私と対峙するときにはまったくそんなそぶりは見せなかったな。
11月11日。私は会社を休んだ。職場放棄だ。辞表を出す気持ちでいたが、なんとなく自宅でずっとこの件について考えていた。で誰かに意見を聞きたいと思って、私はT田に連絡した。T田はもと私の相棒で美人の社会福祉士である。美人かどうかはどうでもいいか。T田は「世間はせまいですよ。会社を休むというのはよくありません。」とまっとうなことをいって私を諭した。彼女の意見はいつでも正しいのだ。私は考えを軌道修正して、本日は(11日)会社を休んだが、「翌日からは心を入れ替えてがんばります」と副施設長へ連絡した。今思えば、これに無理があった。己の考えを引っ込めたのだが、結局、足浴や他の身体介護についての見解の相違は解消されたわけではないのだ。
私は1ヶ月間、現場の仕事を経験することになった。これがやはり私にとってよくなかった。体力や気力がついていけなかったのだ。表面上はがんばったが、顔から妙な汗が噴出し続くし、ほとんど実習生という立場は、プライドが傷ついたかもしれない。
朝、会社に出勤して己の椅子がなく、2台のPCにも『だれだれ用』とわざわざ紙が張られていたのを見て、副施設長の本気度がわかった。私はじぶんの席のそばにいってはいけないことになった。ケアスタッフの机にしかいってはいけないのだ。でも不思議と屈辱は感じなかった。2台のPCはプレッシャーの元だった。
そんなわけで私は実習を受けたのだが、その日にどんなことをするのかわからないことはストレスの元だった。また、勝手にケアプランを操作するヘルパーステーションの人間の下で指示を受けるという図式は、ケアプランを私のハンドルにおくことができないことを表していた。私は2週間ほどで気力がつきた。けっこう頑張ってはみたのだが。