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荻野都 「おぎのおとのおと」

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音楽

2019/03/01
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カテゴリ:音楽



「『家庭』と言う言葉が、
家と庭 からなるように、
庭は、家と共に、人に必要なものなのです。」

とは、先日、コンテナガーデン教室に参加した時の造園家の先生の言葉である。

「『庭なんか無い』という人も多いでしょう。でも、ベランダの鉢植えだって良いのです。もっと極端なことを言えば、心の中でも良いのです。
庭なんか無くてもよいもの、無駄とか遊びのように思えるかもしれません。
でも、人には、『庭』が必要なのです。」

なんか、似たようなことを
別のテレビ講座でも言っていた。「家の中に、例えば、椅子一つでも良いのです、自分の場所、自分の空間、を作るようにすると心が落ち着きます。」

さらに、何かに呼応するかのように、たまたま見ることにした他のテレビドラマでも、どこかそれに通じることを言っていた。。
ー仲の良い家族であっても自分だけの空間は必要。そして、その自分だけの空間を「19号室」と、表現していた。(なぜ「19号室」と呼ぶかというと長くなるので省略するが)


音楽も、「心の庭」のようなものになり得るものだと思う。

一音で、自分の居る場所が違う場所になる、ということもある。

無くても生活(生計)は成り立つという観点からは、無くてもよいもの、無駄なもの、遊び‥と、みなされそうなものだが、それでも人に必要なもの・・まさに、「心の庭」に通じるものがある。。


                                                                      






最終更新日  2019/03/02 04:02:27 PM


2019/01/04
カテゴリ:音楽
「オトナの一休さん」というテレビを、偶然、ながら見していたら、「無縄自縛」がテーマだった。

ふと思ったことは、まさに、フリージャズは、無縄自縛からの解放がテーマだったのかもしれない。そして、時に、「無縄自縛からの解放」という無縄自縛に陥ってるかも、と、思わないでもない。

まあ、私がフリージャズを語るなんて、おこがましすぎるけど。それに語るというより、ぼや~っと感じることなんだけど。

翻って、自分の日常生活を顧みると、要領が悪い上に無縄自縛だらけ、脱線だらけなので、本当にやりたいことが全然できてないような気がする。

いつのまにか歳を重ねてしまい、自分の健康年齢の余命を考えると、自分に残された時間は、もう多くない。

限られた時間を、有効に使うようにしないと。

有効とか効率とかって私に縁の無いことなので、言うは易し、だし、きっと無駄なことが好きなのではないかとも思うのだが、

とにかく、本当にやりたいことをやる、ことを忘れないようにしないと。

と、年頭にあたって念頭に置くことを考えた。

はい。ちょっと、だじゃれ入ってます。




今年もどうぞよろしくお願い致します。

そのうち、また、ライヴやります。
またご案内させて頂きますので、どうぞ聞いてみてくださいね!






最終更新日  2019/01/27 03:04:02 PM
2018/11/06
カテゴリ:音楽


 一応、言っておくと、
表題は、「明日に向かって撃て!」という映画のモジリである。

最初、「さびしい」というタイトルにしたのだが、
なんか、本当にさびしくなってしまうので、変えてみました。

さて、何がさびしいかって、ライヴが終わって
次のライヴの予定がないことである。
ライヴは、年々、色々な意味で、やるのも、大変、
聞いて頂くことも大変、情けないことに身体もしんどい、
しかも、自分にできることは、ささやかであり、
ライヴを続ける意味すら自問してしまう昨今であるが、
にもかかわらず、何日かすると、また、
ライヴをやりたい思いが ふつふつと湧いてくるのである。
我ながら、不思議だ。

それから、ライヴの翌日の昨日は、JAZZのジャムセッションに行ったのだが、
弾いていて、指のまわり具合や、音に対する反応が、我ながら違うのである。
以前も、リハーサルをやって帰ってくると、テレビの音の聞こえ方が違ったり、という経験があり、
なんか、ちょっと、集中して音楽をやるだけで、音に対する感覚が違ってくるのを感じる度、いつも、演奏している人の感覚は、いかばかりか、と、思うのである。
また、同時に、普段、いかに演奏してないか、ということも感じるのであるが。

まあ、幸い?脳の情動分野は、比較的最後まで健在らしいので、
私の音楽も進化する余地は、まだ、あるわけだ。
世の中の片隅で、人に顧みられることなく音楽を続けることの是非を問うより、
好きなことを好きと言って、自分の想う音楽を音にする、過程も含めて、その喜びを
発信していきたいと思う。







最終更新日  2018/11/06 03:34:26 AM
2018/11/05
カテゴリ:音楽

○ひなうゆじ = じゆうなひるま

に、いらしてくださったみなさま!

なってるハウスの小林さん
共演の中村さん 
対バンのお二人

そして、対バンかつ、今回の貴重な機会を作ってくださった
RIQUOさん、本当にありがとうございました!

いや、そもそも、このライヴの直接のきっかけが
とあるライヴで、そこに私が出演させていただいたのだが、
聞きに来てくれた友人は、「こういうのは、ちょっと。。」と、言って、
休憩時間に帰ってしまい(それでも、来てくれたことと正直な感想、ともにありがたかった)
その、同じ演奏を聞いたRIQUOさんが、「おぎちゃん、もっと、即興やんなよ!」
と、言って、今回の機会を作ってくださったのである。
RIQUOさんには、本当に本当に感謝感謝である。
また、同じものを聞いても、人によって反応が違うことも改めて実感した。
どちらが良いとか悪いとかいうことでなく、
同じものを聞いても、感じることは、人によって違う、と、いうことだ。
(あれ、この話、前に書いたっけ?重複してたらすみません。)

それでもって、やんなよ、と、言ってもらった時、
「でも、私が自由なのは、ひるまだけなんだよ?」
と、言って、ひるまのライヴが実現し、そして、
イベントタイトルも、「じゆうなひるま」って、どう?
と、なり、最初は、色々な外国語で、何かしっくりくるの。。を
探したりしたのだが、
ふと、じゆうなひるま をさかさに読むと、まるひなうゆじ
まるひってのが、なんかおもしろいじゃん、
それで、「〇ひなうゆじ」という、イベント名がつけられたのでした。
お互いに、じゆうなひるまに自由な音楽を!やって聞く人にお届けしようじゃないの。
。。というライヴでした。

お聞き下さったみなさまの耳には、どのように聞こえたでしょうか?

このライヴを成立させてくださった全てのみなさまに
心から感謝いたします。








最終更新日  2018/11/11 02:49:47 PM
2018/10/13
カテゴリ:音楽
​              ←加藤崇之 画伯のライヴペインティングより



 色々なことがあった一日で、
 
 なんか、心が落ち着かない。

 ふと、こんな時こそ、ピアノ?

 とか、思い立って、

 今日、一日のことを、最初から最後まで、

 こんなことがあって、こういう風に感じて、、

 それから、さらに、こんなことがあって、こんな風に思って、、

 と、思ったままに、ずっとピアノを弾いていった。

 そう、まさに、ピアノで綴る日記である。

 思った以上に、心が落ち着いた。

 また、面白いことに、弾いている自分を見ている自分もいて、

 あ、こういう表現は、このキイでしか弾けないみたいだ、

 あ、この気持ちを表す表現を、よく、他でも使っているぞ、

 まだまだ、表現できる幅が少ないな、なんて、同時に思っていたりする。

 自分の日記なので、好きに弾きたいように弾けばいいし、

 一方で自由に弾いていると、その「自由」の幅も見えてくるので、

 音の日記も、意外に勉強になる。


 以前、トロンボーン奏者で友人だった人が、

 どんな時も、楽器を手にするのだ、と、言っていた。

 時には、調子の悪い時も、あるけれど

 そういう時は、それなりに、その時々の音を吸い取ってもらうのだ

  ・・と、いうようなことを言っていた。


 なんか、本当にそうだ。

 やっぱり、ピアニストは、ピアノを弾いてなきゃ。。

 と、あたりまえのことを改めて思ったのでした。

 そのあたりまえのことがあたりまえにできてない私ではありますが。


 








最終更新日  2018/10/20 11:20:21 PM
2018/10/05
カテゴリ:音楽
某月某日(この日記の日付と合ってないんだけど)

久しぶりに、即興ワークショップに参加した。

その日のワークショップでは、
進行の方が指揮をして、その指示に添った音を皆が出す。(指示に添っていれば、具体的な音は自由)というのをやっていた。

指示に添った音を出す、
ということと、
それが音楽的な音か、
と、いうこととは、
別の問題である。
これは、楽譜のある曲や、コード進行や小節数の決まった曲を演奏する場合にも通じることだけど、
指示(または楽譜やコード進行など)を守ることだけに一生懸命になりすぎると、全然音楽的な音が出てこない。

それから、こういう試みは、自分の出す音だけでなく、その場で、今、どんなことが行われているか、その場全体の音楽を感じないと、全くその面白さが理解できなくなる。指示された音が集まってできた音楽の中から、指揮者の意図を感じることもできない。

つまり、耳と頭と感性の訓練になるってことだ。漠然と即興やっているより勉強になるかもしれない。

私は、簡単な指示にも関わらず、結構、指示を理解して音出すだけでいっぱいいっぱいになりがちだったので、そもそも指示された音を出すということが好きではないし苦手とはいえ、我ながら苦笑モノだった。

でも、その後で、
「即興演奏を2人ずつ5分位の時間で交代しながら演奏し、演奏者は交代しても、一貫性を保ち全体で一つのアルバムを作るような気持ちで」
と、いうものをやった時
には、トータルな流れを自然と意識したし、

数人で行う即興演奏の時には、このメンバーで行う演奏で(期待される(?))私の役割とは何だろう?という発想から演奏してしまった。

いつもは、基本的に、まわりの音を聞いたり感じたりして、自分の出したい音を感じて出していく感じで、「集団の中での自分の役割」なんて発想を、あまり意識してしたことがなかった。

まあ、即興は、基本的に自分の感じた自分の出したい音を出せば良いと思うんだけどね。
あんまり、期待される役割、なんて考えてたら、きっと、少なくとも私の場合、面白い音は出てこないから。

ただ、自分の出す音のことばっかり考えるのじゃなくて、
その場の音全体をもっと、きちんと意識して感じていくこと、
音を見渡す感じ、
というのは、常に必要だな、
と、いうことを改めて意識させてもらった即興ワークショップでした。


もっとも(ここからは、余談だけど、)
「即興演奏を2人ずつ5分位の時間で交代しながら演奏し、演奏者は交代しても、一貫性を保ち全体で一つのアルバムを作るような気持ちで」というテーマの時に、
私の演奏順が、最後から2~3番目だったので、
アルバムの終りの方って、一曲、静かなバラードみたいな曲が入ってたりするよね、と、すると、私の演奏は、アルバムの中で、そんな位置かな?とか、
演奏者が代わっても、一貫性が保たれた感じって、一番簡単な表現方法は、前の演奏者の演奏の一部分を繰り返したり、とか、そういう感じ?。。それも、居残る人じゃなくて、交代して消えていく人のを踏襲すると、わかりやすいよね。。なんて、全くもって安直なことを考えていた。

しかし、実際には、静かどころか、後で、知り合いの参加者から言われたように、「ピアノ線は切れなかったけど、かなり激しかったね」ということになり、
去りゆく演奏者を踏襲したかというと、記憶にない。。
音楽的には、その場での音楽が即興演奏なのだから、考えてた通りに弾く必要はないし、むしろ邪道かもしれないのだけど、理性がぶっとんでる状態なのは、いただけない。

しかも、前日、指の爪が割れたので、今日は、間違っても、鍵盤を叩きつけるようなラフな演奏はしないゾ、と、思っていて、コレである。。






最終更新日  2018/10/08 10:14:48 PM
2018/05/07
カテゴリ:音楽
偶然 テレビ画面に映った 指揮者の動きが、あまりにキュートで、

つい、そのクラシック番組を最後まで見てしまった。

まさに、音楽の体現。

考えてみたら、指揮者って、音楽の中で非常に特異な存在だ。

音楽なのに、音楽じゃない。

直接音を奏でることをしない。

身体表現で、音楽を表す。

そう考えると、すんごく、ユニークな存在だ。

おしゃれ、というか、とにかくユニークだよ。

音を出さない音楽なんて。


ちなみに、テレビ出見たそのキュートな動き指揮者は、検索してみたら、

井上道義さん、という方でした。


星    星    星


ところで、

5月12日に出演させていただくライヴでは、

久しぶりに、身体表現の方ともご一緒できるので、

それも、楽しみです。

いつも、身体表現の方とご一緒する時は、

どうかかわったらよいか考えてしまう時もあるのだけど、

私は、少なくとも今のところは、

即興表現に、これでなくてはいけないという正解は

ないのではないか、と思うので、

ただ、ただ、即興表現を楽しみ、

見聞きする人にも楽しんでもらえれば、

嬉しいと思う。

自分も楽しく、人も楽しい、というのが

単純なことだけど簡単でないというのが
いつも課題ではありますが。






最終更新日  2018/05/07 03:31:55 PM
2018/03/30
カテゴリ:音楽
行ってきました!
谷保の方の3台のピアノのところまでは行けませんでしたが、
満開の桜の下、国立の町並みの中、7台のピアノと出会って、弾いてきました!
必ず、聞いてくださる方がいて、
聞いてくださった方や、他のプレイヤーの方々との交流もありました。
ピアノという楽器の性質上、普段、街中とか、
まして、桜の下、青空の下で弾けるなんてこと
滅多にないので、すんごく楽しかった。
聞いてくださった方々、つきあってくれたイワナちゃん、
この企画を実現させてくださった主催者の皆様に
感謝します。

出会いのあったピアノたちです。













そして、満開の国立の桜!国立ばんざい!


う~ん、どうしても、画像が寝てしまう! 直せません。ごめんなさい。







最終更新日  2018/05/07 05:42:46 PM
2018/03/29
カテゴリ:音楽
風や木々のざわめきを感じながら、ピアノを弾いてみたい。

潮騒を感じて、波の音を聞きながら演奏してみたい。

空のうつろいの中でピアノを弾いてみたい。

幾度となく思ったことではある。

まあ、実際には、

屋外でピアノの響きは拡散して、あまり良い音は出ないだろうとか、

ピアノが傷むだろう、だとか、数々の問題点もあるわけだが。

そしたら、びっくり。

街中に、ピアノを持ち出し開放して、誰でも好きな人、弾いていいよ!、という

イベントがあるのだそうだ。

しかも、そのピアノは、アーティストによって装飾されたものだそうで、

音楽と美術のコラボかつ街と人々とのコラボという試み!

題して、​「Play Me, I'm Yours Kunitachi 2018」

2月からやっていたそうだが、ぜんぜん知らなかった。

つい、先日、久しぶりに、「おでかけ」して食事をした店においてあったタウン誌で知った。

明日、行ってみて、その10台のピアノと出会ってみようと思う。

ピアノが好きな人々とも会えるわけだね。

ピアノを見て、他の人のピアノも聞いて、自分も弾いてこよう。

しかも、ですよ! 国立の桜は、きっと満開ですよ!

お花見ピアノですね。

さ~て、明日! どうなるかな。楽しみ。わくわく。






最終更新日  2018/03/30 12:00:02 AM
2018/03/12
カテゴリ:音楽

テレビで、某有名ミュージシャンの演奏を見ていた時のこと。 ​

ちょうど、音源をバックに、ピアノの内部奏法をしている時に、 

母が茶碗のフチでお箸を転がした音が 、

音色も、タイミングも、音の聞こえた方向も

メチャクチャ イケてて 

おおっ。母がコラボってる! 

すごいっと、思ったんだけど、 

次に、母はサランラップを丸めだし、

それは、私には、煩く感じられたため、 

サランラップを回収してしまった。


誤解のないように補足すると、
サランラップを丸める行為や音がダメ、
という訳ではない。
ただ、その音が、その場の音に対して
煩く感じた、ということなのだ。

母は、意識して音を出していた訳ではないと
思ったので、サランラップを回収してしまったが、
もし、無意識的にでもコラボっていたのだったら、
回収して悪かったな。

同じ音でも、
時と場合と人によって、
粋に感じる場合もあれば、
煩く感じる場合もある。
特にノイズ系の音の感じ方は、
個人差がありそう。。

しかし、あのお箸の転がし方は絶妙だった。






最終更新日  2018/03/29 11:35:25 PM

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