さらけだします
今日は自分のことを書こうと思います。そんなのプロフィールの年表に書けばいいのだけどね。まっ、そんなことはいいとして。私は再婚同士の両親の父親からは4番目、母親からは初めての子として産まれました。母が妊娠中に切迫流産で3ヶ月入院していたのでずっと「お金のかかった子」と言われていました。産まれてからも今では信じられないくらい病気がちだったです。といっても入院するほとではなかったのですが…でも、保育園のとき遠足の場所によっては帰ってきてから熱を出すから休まされ、雪が降れば用心のためお休み。過保護だったのかもしれませんが事実そうだったようで休んでばっかりでした。それと幼かった時は、それほど意識していませんでしたが、言葉に軽い障害がありました。それは小学校に入る頃から周りから浮き目立ち始めました。特に小学校入学を挟んで引越しをして知り合いがいない環境だったからかもしれません。言葉をからかわれ、軽いいじめもありました。自分自身が喋れていない歯がゆさに子供ながら悔しかったです。だって、自分は普通に話しているのに相手には聞こえていない。意味が通じていない。何回も泣いた覚えがあります。そして小学3年になったとき新しい担任が市がしている「言葉の教室」というものを紹介してくれました。早速、母とその面談にいきました。そこでテストみたいなものを受け、「この子、治りますよ」と言って頂いたとき、すごく嬉しかったこと覚えています。それからは、授業の合間に週2回1時限ずつそこに通うことになりました。この頃の母は大変だっと思います。自宅で飲食店をしていて忙しい合間をぬって「言葉の教室」への送り迎え。本当は市から1年間のバスと地下鉄に乗れる定期をいただいているのですが、それで通うと3倍以上の時間がかかってしますのです。ただでさえ、1時限抜けているのに通うのに、もう2時限も抜けていては大変だと思ってくれていたのでしょう。そして、1年間通うはずが1学期の間で治ってしましました。苦しくもしんどくもありませんでした。逆に日に日に治っていくことが嬉しく楽しい日々でした。といっても自分はずっと普通に喋っている感覚なので周りの反応や喜んでくれるのが嬉しかったようにも思います。それからの私は、高校2年のクリスマスまでは、順風満帆だったと思います。高校2年のクリスマスイブに父は入院しました。少し話が長くなりすぎたように思います。これも長い話になりそうなのと今そのころのこと思い出して涙が出てきたので続きは次にします。