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「オス」などというものは進化の過程では、単なる「メス」の付属物である。
そして「社会」は「オス」が効率よく「メス」に「餌」を運ぶためのシステムが肥大化したものにすぎない。 そこでは「より多くの餌を運べるオス」が「より多くの交尾する機会」を得ることができる。 この「価値観」は原始から現代まで何ら変わっていない。 「餌」の内容は食物から貨幣、知識、笑い、交尾の技能等々変わってはきているが・・。 そして、「より多くの」という「価値観」の「ひとり歩き」(自己目的化)である。 これが「社会」に蔓延して「社会」と「交尾」のステータスが逆転してしまった。 「交尾しているヒマがあったら働け」ということである。 「社会」における「交尾」の「タブー化」である。 そしてこの「価値観」に「メス」もひきずりこまれ本来の「生殖活動の主役」から「オスの付属物」にまで落とし込められたのである。 と、なにをぐだぐだ書いているかというと、先程ファミレスで走り回っている子供を見たのである。 そして思ったのである、「これは父性の欠如だな」と。 「父性」とは「社会性」のことである。 母子の絆を引き裂くものである。 戦後の日本の「オス」が会社の部下には示せても自分の子供には示せなかったものである。 しかしながら上記のようにつらつら考えると「日本のオス」はごく「自然な」ことをしてるんだなと思えてきたのである。 「社会」とは「餌を運ぶシステム」のなかで「オスとオス」が作り上げたものだからである。 そして日本は「引き裂かれない母子」によって「メス化」するのではないだろうか。 父性型から母性型への移行である。 ↓こんな感じだろうか。 自分本位だが競争は好まず、生産的というよりは節約的、物事の判断において理性よりは感情が優先する。 まあそれも悪くない。 老後を送るにはもってこいの穏やかな社会かも・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 10, 2005 05:45:44 PM
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