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テーマ:日常の雑談(3157)
カテゴリ:日常
今朝、コーヒーを飲みながらニュースを読んでいて、 「推し活選挙」という言葉が、やけに軽くて、 今回の衆院選の結果は、数字だけ見れば圧勝だ。 けれど、勝った理由をたどっていくと、 代わりにあったのは、動画、切り抜き、 まるで物語だ。 政治家を応援することが、 「この人に任せる」でも 「この政策に賭ける」でもなく、 「この人を支えたい」「守りたい」になっていく。 それって悪いことなんだろうか、と一瞬思う。 誰かを好きになる気持ちは自然だし、 政治が遠い存在でなくなるという意味では、 むしろ健全なのかもしれない。 でも、読み進めるうちに、だんだん不安の輪郭がはっきりしてきた。 推しは、間違えても推しでいられる。 批判されればされるほど、「かわいそう」で 政策の実現性や副作用は、後回しになる。 その構図は、あまりに強い。 ふと、「政党政治」という言葉が頭をよぎった。 かつては、党と党がぶつかり合い、 議会で削られ、修正され、妥協されていく中で 政治は形を変えてきたはずだった。 それが今、 溶けるように、静かに消えていく。 野党は弱い。 リベラルは現実を語れない。 安全保障の空気は変わったのに、 その隙間を埋めたのが、 「わかりやすい物語」と「推し活」だった。 考えてみれば、私たちはもうずっと、 複雑な説明よりも、 一枚の画像、一本の動画、 感情が動く瞬間を選び続けている。 政治だけが例外でいられるはずが それでも、気になる一文が頭から離れない。 「市場が唯一の野党になるかもしれない」という指摘。 もし、選挙で止められず、 政党でも止められず、 世論も推しの熱量に包まれてしまったら、 最後にブレーキをかけるのは、数字と相場だけになる。 それは民主主義なんだろうか。 それとも、別の何かなんだろうか。 今日はまだ答えが出ない。 ただ、 「決められない政治」から 「決めすぎる政治」へ向かうこの感じが、 思っている以上に速く、静かで、 そして少し怖い。 コーヒーはもう冷めてしまった。 でも、この違和感だけは、しばらく残りそうだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2026年02月10日 07時29分03秒
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