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カテゴリ:童謡のおはなし
童謡のお話2で、「花」の碑が墨田公園にあることは述べましたが、同じように童謡の碑が浅草にもあります。
浅草寺本堂の前にあるのが「鳩ぽっぽ」の碑です。 ![]() 「鳩ぽっぽ」作詞 東くめ/作曲 滝廉太郎 鳩ぽっぽ 鳩ぽっぽ ぽっぽぽっぽと 飛んで来い お寺の屋根から 下りて来い 豆をやるから みなたべよ たべてもすぐに かへらずに ぽっぽぽっぽと 鳴いて飛べ この歌は明治34年(1901)に発表された唱歌で、それまでの文語調の唱歌ではなく、初めて「語り口調」で作られた唱歌と言われています。 因みに一般的に知られる 「ぽっぽっぽ はとぽっぽ~」は「鳩」という題で明治44年に文部省唱歌として発表されます。 教育学者であった東くめの夫の東基吉が、常日頃から説いていたのが、 「外国曲に訳をつけた唱歌や、文語調の歌詞では子供たちが楽しく歌えないのでは…」 「音楽教育としては、幼児に合った唱歌が必要…」 等の事です。 東京音楽学校を卒業し、結婚後音楽講師として勤務していた東くめは、そうした事を夫から聞きつつ、勤務先の東京府立高等女学校から近い隅田川や浅草寺を散策する事が多かったようです。 そんな折に、浅草寺境内に集まる鳩と、子供たちを見てこの歌詞が生まれたと言われています。 滝廉太郎は、東京音楽大学の二年後輩にあたり、東基吉などから作曲の依頼を受け、東くめが作詞したものに作曲をする方法で「鳩ぽっぽ」が出来ました。 この頃、東くめと滝廉太郎のコンビは立て続けに唱歌を作りますが、今でも歌われている曲は「お正月」や「雪やこんこ」などで、これらの曲も子供たちにとってはとても歌いやすい曲です。 お星さまの贈りもの収録 お正月 雪 これらの唱歌が作られて直ぐに、滝廉太郎はドイツに留学するものの、肺結核を発病し2年後に23歳という若さで生涯を閉じます。 一方東くめは、その後も音楽講師やピアノ教師を亡くなる90歳まで続けますが、滝廉太郎が元気であったなら、この二人で更に多くの童謡が作られたのでしょう。 さて浅草寺の境内ですが、かつてはこの鳩ぽっぽの碑の前は鳩でいっぱいでした。 が、現在は鳩が増え過ぎた事から餌やりも禁止され、今では鳩の姿も少なくなりました。 ![]() 写真は子供がまだ小さい頃に浅草寺に行った時のものですが、こうした風景を見て東くめは詩を考えたのでしょうか…。 お星さま事務局
Last updated
June 24, 2008 08:16:59 AM
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