誰もが一度は口ずさんだ事があると思いますが、『ぞうさん』は まど・みちお 作詞、 團伊玖磨 作曲の童謡で、昭和28年にNHKラジオで放送された曲です。
この歌詞は、まど・みちお さんが昭和23年に、当時勤めていた出版社で子供向けの本の編集をしている時、《幼児むけの童謡を作って欲しい・・・》との依頼で作られた詩です。
作詞の まど・みちお さんによると、この歌詞の意味は、
◇お鼻が長いのね・・・とは、私と違っているのね!とからかっている。
◇そうよかあさんも長いのよ・・・と、お母さんと一緒だから・・と逆に喜んでいる。
という事が含まれ、更に
◇周りと違う事は素晴らしい事である。
という意味あいがあるそうです。
今で言うなら、『自分自身をしっかり気持ちを持ち、個性を磨く』という事でしょうか。
奥が深いですね。
そして作曲の 團伊玖磨 さんによると、この曲は、インド象のインディラが上野動物園に来た時のお披露目として、『ぞうさん』の詩に曲を書いたそうです。
戦時中、《上野動物園の猛獣が万が一空襲よって檻が壊され逃げ出したら…》、と軍により【猛獣処分令】が出され、ライオンや豹、ヒグマなど14種27頭の動物が指定され、その中に当時3頭いた象も対象とされます。
最初は毒入りの餌を食べさそうとしましたが、象は吐き出してしまい、次に注射を打とうとしましたが、針が刺さらず、最期は餌を食べさせないで、そのまま餓死させる事になりました。
芸をすれば餌がもらえると思った象は、一生懸命芸をしますが、最後まで残った象のトンキーが餓死したのが昭和18年9月の事です。
その後、「かわいそうなぞう」という題で童話が発表され、更に国語の教科書にも掲載されましたので、このお話はご存知の方も多いと思います。
下は昭和8年の【トンキー】と思われます。
伯父が兄弟で上野動物園に行ったときに撮った写真ですが、追って【昭和からの贈りもの】にも掲載致します。

上野動物園は象がいない状態が続き、《妹に象を見せたい》というある子供の記事が新聞に掲載されると、《何とかして上野動物園に象を!》という運動が起ります。そして当時名古屋東山動物園に2頭いたうちの1頭を借りよう!と子供たちの【子供会議】で決定し、実際に子供たちが名古屋まで直談判に行ったそうです。
但し大きな象の輸送が困難ということから、東京から象を見に行く【象列車】が企画されたそうです。
そんな中、来日中のインドの首相に子供たちの手紙や絵を見せた事から、インド象が日本に来ることになり、昭和24年9月に待ちに待った象の【インディラ】が芝浦港に着き、そこから歩いて上野動物園にやってきました。
因みにインディラの名は首相の娘さんの名前からとったそうです。
上野では【象祭り】が開催され、そして待ちに待ったお披露目の曲として『ぞうさん』の曲が出来たという事のようですが、実際にNHKラジオで放送され一般的に歌われるようになったのは昭和28年です。
因みに美空ひばりさんも、この式典に参加をされていたようです。
この昭和24年から53年経った平成14年、タイからアジア象のアティとウタイが贈られましたが、この時もお披露目が開かれ、当時寛永寺幼稚園に通っていた娘も式典に参加しましたが、やはり『ぞうさん』がピッタリな感じでした。

さて まど・みちお さんは、他にも『やぎさんゆうびん』『いちねんせいになったら』『不思議なポケット』。
そして【お星さまの贈りもの】に収録の『ドロップスのうた』なども作られています。
昨年テレビでも拝見しましたが、何と今年で白寿を迎えられるそうで、現在も創作活動をなさっています。
また 團伊玖磨 さんは日本を代表する作曲家として名高く、数々オペラや交響曲、映画音楽を残していますが、『やぎさんゆうびん『ぞうさん』は まど・みちお さん作詞の童謡です。
そんなさまざまな思いで出来た『ぞうさん』ですが、意味や経緯がわかると更に『ぞうさん』の想いが増す感じがします。
お星さま事務局
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