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お星さまのひとりごと・ブログ

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February 10, 2011
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上は昭和2年12月30日に開通した、日本で初めての地下鉄【銀座線】の絵葉書です。

絵葉書でも判るように、現在の銀座線とは違って開通したのは上野駅~浅草駅間のたった2.2kmの距離で、《いなりちよ》と《たはらまち》という途中の駅名も見えます。
「うへの」と「あさくさ」とひらがなの看板ですが、この時代にしては珍しく字が左読みです。

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こちらの絵葉書には開通記念のモニュメントも設置されていますが、入り口と出口に並ぶ乗降客の多さがわかります。

この頃の同じ区間の市電の運賃は7銭に対して、地下鉄は十銭均一という割高な運賃にもかかわらず、物珍しさもあって人々が押し寄せます。

特に営業開始の6時には既に長蛇の列で、上野駅の行列は上野広小路まで続き、2時間程の待ち時間だったようです。
午前中だけでも上野駅からは2万人が乗車し、浅草駅でも1万人もの人々乗車したようで、上野駅の1日の乗降客数は初日だけでも10万人との記録があります。
現在の東京メトロ銀座線上野駅の1日の平均乗降客数は17万8千人となっていますが、ここから比較してもその多さが判ります。

この銀座線が計画された当初は新橋~浅草間を一気に開業する予定だったものが、関東大震災の影響で全区間の開通が間に合わず、まずは浅草寺のある浅草と上野という、いわゆる当時東京で一番の繁華街を最初に開通させ、徐々に新橋方面の駅が伸びて行きました。

暮れも押し迫った12月30日という、年末の慌しい中での開業は、東京で一番の賑わいである浅草寺の初詣を考慮しての開通と思われます。

ap3517ueno.jpg

この地下鉄が営業を開始した昭和2年の12月に同時にできたのが上野検車区です。

上野駅から程近く、バイク街がある昭和通り沿いの東上野4丁目にありますが、かつてこの一帯は下谷区車坂町といわれていた場所です。

また写真でも判るように、ここは日本で唯一の【地下鉄の踏み切り】がある場所でもあります。
踏切が閉じる事はあまりなく、一時停止の標識もありませんが、それでも車両が通る際には係員が配置に付き、ものものしいゲートが開いて、踏み切りが降りてきます。

写真には、奥に通じるトンネルがありますが、これが地下鉄への入り口で、このまま上野駅に通じます。

ap3511chikatetubl.jpg

上は地下鉄浅草駅の上に建つ《地下鉄ビル》です。
昭和4年に建てられた地下鉄直営のビルで雷門の横にあったことから、《雷門ビル》とも言われ、東京地下鉄道の出入口をかねています。

絵葉書宛名面には

地下鉄ビル 浅草吾妻橋畔にあります。日本最初の地下鐵道の起點にあたるところです。現在の線路はまだ一局部だけにしか過ぎませんが、数年後に、豫定線の工事を終わつた場合には、大東京の交通潮流に一大變化を招來するものと期待されてゐます。

と書かれていますが、昭和5年には地下鉄は万世橋まで開通し、7年には三越前や京橋まで伸び、そして昭和9年には新橋まで開通することになります。

高さは40mで地上6階地下1階(地下は地下鉄出入り口)のこのビルにはエレベーターが完備され、2階3階は禁酒食堂で、4階5階は普通食堂。
そして6階と屋上が四方を展望できるスペースになっており、浅草12階がなくなった以降の浅草のシンボル的意味合いも含まれて建てられた地下鉄直営の食堂ビルです。

事実、川端康成の浅草紅団にも、当時の地下鉄ビルの事が掲載されていますし、絵葉書写真の撮り方からしても、ビルに斜めに入った模様にしても斬新的なビルだったようです。

残念ながらこの地下鉄平成18年に解体され、今は新しいビルが建っていますが、現在も新しい雷門ビルが観音通りに面して建っています。

この他当時の絵葉書など詳しいことは【昭和からの贈りもの・昭和初期の絵葉書 地下鉄銀座線】を参照下さい。

昭和からの贈りもの 

 

 

 






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Last updated  February 10, 2011 08:53:49 PM
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