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童謡のおはなし

December 1, 2009
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カテゴリ:童謡のおはなし

《春の小川》 作詞 高野辰之/作曲 岡野貞一

 春の小川は さらさら行くよ
 岸のすみれや れんげの花に
 すがたやさしく 色うつくしく
 咲けよ咲けよと ささやきながら

 春の小川は さらさら行くよ
 えびやめだかや 小ぶなのむれに
 今日も一日 ひなたでおよぎ
 遊べ遊べと ささやきながら

誰もが一度は口ずさんだ事がある歌だと思いますが、この《春の小川》は大正元年に尋常小学校の4年生の唱歌として発表された歌です。
春の童謡としても代表的な曲で、私たちの【お出かけ童謡コンサート】の時も、春の小川をイメージした川の音からコンサートが始まりますが、口ずさむだけで、春の小川が思い浮かぶような素敵な曲です。

直ぐに連想させてくれるこの《春の小川》の歌詞は、東京都渋谷区の代々木公園の近くを流れていた河骨川(こうほねがわ)をみて作られたと言われています。
残念ながら、現在は河骨川はコンクリートで覆われてその姿を見ることは出来ませんが、下流の渋谷川は現在も渋谷駅近くで見ることができます。

この曲は、数多くの童謡を世に出した作詞の高野辰之、作曲の岡野貞一のコンビによって作られた曲ですが、この二人による曲は
《春がきた》 《もみじ》 《故郷》 《朧月夜》 《日の丸の旗》などもありますが、どの曲もお馴染みの曲です。

明治9年に長野県生まれた高野辰之は23歳で上京し、30歳を過ぎてから代々木山谷という場所にに居を構えました。
明治42年に文部省小学唱歌集の編纂委員となり、その後この歌が発表されますが、当時は自宅から近いこの河骨川を娘さんと良く散歩にきていたそうです。
明治末のこの近辺は、樹木が生い茂り、牧場や果樹園なども点在するのどかなところだったようで、代々木山谷という町名からもその様子が伺われます。
現在の代々木3丁目になりますが、その地には【高野辰之居住跡】が立っています。
091201takano.jpg

また、この河骨川の直ぐ横は陸軍の代々木練兵場(現代々木公園~代々木体育館)で、それこそ民家も少なく樹木がうっそうとしていたようです。

昭和2年になって小田急線が開通したときも、線路脇には河骨川が流れていましたが、次第に近隣は宅地へと変わっていったようです。
その後昭和17年になって、小学校3年生の唱歌になったことから、低学年児童にもわかり易いように…と歌詞が一部変更され現在も歌われる歌詞になりました。
終戦を迎え、陸軍練兵場はアメリカ軍のキャンプ地に変わりましたが、河骨川はまだその姿を見ることが出来ました。
ただ下水対策のないままの急激な宅地開発の為、さらさら流れていた小川は次第にどぶ川へと変わっていったそうです。
その後、オリンピックの開催が決まると、米軍キャンプ地がオリンピック会場となり、NHKや渋谷公会堂が建ち、同時に河骨川や宇田川などは暗渠となり、川の流れを見ることが出来なくなってしまいました。

代々木で生まれた春の小川ですが、現在もその名残りを見ることが出来ます。
小田急線参宮橋駅の近くには、【春の小川】の石碑がありますが、石碑の歌詞は大正元年に作られた当時の歌詞です。

 春の小川は さらさら流る
 岸のすみれや れんげの花に
 にほひめでたく 色うつくしく
 咲けよ咲けよと ささやく如く

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そしてこの石碑の近くには、【はるのおがわプレーパーク】と言う名の公園がありました。
既存の遊戯具ではなく、手作りの木のジャングルジムをはじめ、タイヤや箱などを用いた遊び道具があり、土がいっぱいの公園です。
ボランティアのスタッフも常駐しているようで、子供が小さかったら、間違いなく連れて行ったと思われるくらい、素敵な公園でした。
091204park.jpg091205park.jpg

この公園近辺を歩いていると目に付くのが、「春の小川→」という電柱の案内です。
091206harunoogawa.jpg 091207harunoogawa.jpg

電柱の矢印のまま歩いてゆくと、「春の小川 この通り」と案内が変わりましたが、特別建物や案内看板がある訳ではありませんでした。
ただ、道路に連なるマンホールが、かつて河骨川だった事を示しているようです。
091208harunoogawa.jpg 091214harunoogawa.jpg

また、「春の小川 線路沿い」という案内もありましたが、小田急線の線路脇がかつての河骨川で、ここにも多数のマンホールがありました。
091212shibuyagawa.jpg 091211harunoogawa.jpg

この河骨川を上ると宇田川になり、更に渋谷川に注ぎますが、渋谷駅近くの渋谷川は暗渠への入り口というようにポッカリ口を空けているようでした。
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今や典型的な都会の汚れた川のようになっていますが、かつてこの先にはれんげの花が咲き、えびやめだかが泳いでいたと思うと、川の流れよりも時代の流れを感じてしまいます。

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Last updated  December 2, 2009 08:22:38 AM
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March 2, 2009
カテゴリ:童謡のおはなし

この季節になると、必ずと言って良いほど耳にするのが、《うれしいひなまつり》ですね。
3月3日は桃の節句とも言われますが、桃の花が咲く季節であります。
サトウハチロー氏作詩、河村 光陽氏作曲のこの曲は、誰もが一度は聞いている曲だと思います。
実は【お星さまの贈りもの2 はる・なつ・あき・ふゆ】の候補曲としてあがっていましたが、アレンジをするのが非常に難しかった為断念した曲でもあります。

この曲が発表されたのは昭和11年ですが、作られたのは前年昭和10年で、作詞のサトーハチロー氏は当時夫人と別居中であったと言われています。
当時小学6年と4年の女こ子がいた事から、母親がいない子供たちに上野松坂屋で高価なお雛様を求め、そのひな壇のぼんぼりの様子が、「あかりをつけましょぼんぼりに…」の歌詞になったと言われています。
また「お嫁にいらした姉様に…」は、若くして死別した姉を思う気持とも言われています。

サトウハチロー氏は、これ以外にも「ちいさい秋みつけた」「りんごの歌」等を発表しています。

この曲を作曲したのは河村光陽氏ですが、昭和11年に発表した時の歌手は、娘の河村順子さんで、翌年には「かめもの水兵さん」も河村光陽氏が作曲し娘の順子さんが歌い、大ヒットとなります。

さてひな祭りはいつ頃から?というと1000年ほど前の平安時代からとも言われていおり、この頃はままごと遊びとして伝えられ、源氏物語や枕草子にも描かれています。
この後室町時代には3月3日の節句が定められ、江戸時代になると女性の祭りとなり、江戸中期には女の子の誕生を祝う初節句として盛んになったと言われています。

090301ohina.jpg

丁度今開催中の「かつうらビッグひなまつり」では、その名の通り、江戸時代に作られたと言う【日本最大の享保雛】が飾られますが、このお雛様は高さが120cmもあり、作られた時期も江戸中期の徳川吉宗公の時代(1716~)と言われています。
この頃が一番ひな祭りが豪華になった時代のようで、この後幕府によってぜいたくが禁止され、更に明治時代になると、節句の行事が廃止される事になります。

こうした歴史を経てきたひな祭りですが、その後再度人気となり「うれしいひなまつり」も作られることになります。

ただ、現在では昔のような豪華な段飾りが減り、比較的小さなお雛様が多くなったようです。

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こうした時代背景のもとで続くひな祭りですが各地の幼稚園でもひな祭りが行われている事でしょうね!

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Last updated  March 3, 2009 12:49:50 AM
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February 5, 2009
カテゴリ:童謡のおはなし

「かきねのかきねのまがりかど…」ではじまる歌はご存知の方も多いと思いますが、童謡の【たきび】です。
私達の記憶の中にも、子供の時にたきびをしながら、熱々のお芋を食べた記憶が楽しい思い出として残っています。
かつてはこうした光景は何処でも見ることができたと思いますが、今ではこの垣根も東京では少なくなり、ましてや垣根の曲がり角で焚き火をしている光景は見ることが出来なくなってしまいました。

【お星さまの贈りもの2 はる・なつ・あき・ゆふ】にも、この【たきび】を収録していますが、ちょっぴり寒い木枯らしが吹く中で、暖かいたきびをイメージしたアレンジです。

さてこの【たきび】ですが68年前の東京で作られました。
作詞の巽聖歌さんは、東京の上高田に住んでおり、住んでいた近所の風景をみて詞を作ったそうです。
そして、その【たきび】発祥の地が中野区の上高田にあるとの事で行ってきました。

たきび発祥の地 たきび発祥の地

住宅街の狭い道路を抜けた一角に、突然現れた長い垣根は、まさに「かきねのまがりかど」でした。
古くから続いているという民家の垣根の中に、【たきびのうた発祥の地】の立て札も立っていましたが、まさにこの一角だけは昭和の世界が漂っていました。

垣根

ただこの【たきび】は発表されたものの、2回放送されただけで直ぐに放送中止となりました。
最初の放送は昭和16年12月9日のNHKラジオですが、折りしも太平洋戦争勃発の翌日です。
すかさず
「焚き火は敵機の目標になる」
「物資不足の中、焚き火も燃料になる」
など戦争が始まったのに何事か!と言う事から、軍部から放送禁止令がおり、翌日の放送を持って封印されてしまいました。

【たきび】が再び日の目を見るのは昭和24年8月1日から放送が始まったNHKラジオ「うたのおばさん」です。
安西愛子と松田トシさんがピアノの伴奏で歌う番組で、はこの【たきび】以外にも【めだかのがっこう】【ぞうさん】【みつばちぶんぶん】【さっちゃん】などもこの番組から登場した童謡です。
その後15年も続く長寿番組となりますが、NHKの【みんなのうた】はこの【うたのおばさん】の後継番組として作られています。

子供たちの人気となった【たきび】は昭和27年には教科書にも掲載されますが、今度は消防庁から「防災上よろしくない」との通達があり、挿絵にはバケツと監視役の大人の姿がかかれるようになったそうで、現在でも挿絵にはバケツと大人の姿がないと、検定には合格しないようです。
下は【お星さまの贈りもの2 はる・なつ・あき・ふゆ】の挿絵ですが、教科書ではこの場に“バケツや監視役の大人がいないといけない”そうです。

たきびの挿絵

前述の上高田の【たきび発祥の地】の家では、毎年子供たちの為にと庭でたきびをしているそうです。
お出かけ童謡コンサートで伺う幼稚園でも、園でたきびを実施している所もありました。
が、都心ではダイオキシンの問題や火災防止の観点からか、焚き火を見かけることはなくなりました。

当然ながら公園でも禁止されていますが、私達が子供の頃、お芋を焼いた記憶が、次の子供たちに残せなく残念です。
安全、便利、規則も良いのですが、大人が見守る中で、子供たちにも実際のたきびを体験し、楽しさと美味しさを実感して欲しいと思います。

お星さまの贈りもの
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Last updated  February 5, 2009 11:14:19 PM
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July 24, 2008
カテゴリ:童謡のおはなし

誰もが一度は口ずさんだ事があると思いますが、『ぞうさん』は まど・みちお 作詞、 團伊玖磨 作曲の童謡で、昭和28年にNHKラジオで放送された曲です。

この歌詞は、まど・みちお さんが昭和23年に、当時勤めていた出版社で子供向けの本の編集をしている時、《幼児むけの童謡を作って欲しい・・・》との依頼で作られた詩です。

作詞の まど・みちお さんによると、この歌詞の意味は、

◇お鼻が長いのね・・・とは、私と違っているのね!とからかっている。
◇そうよかあさんも長いのよ・・・と、お母さんと一緒だから・・と逆に喜んでいる。

という事が含まれ、更に
◇周りと違う事は素晴らしい事である。

という意味あいがあるそうです。

今で言うなら、『自分自身をしっかり気持ちを持ち、個性を磨く』という事でしょうか。
奥が深いですね。

そして作曲の 團伊玖磨 さんによると、この曲は、インド象のインディラが上野動物園に来た時のお披露目として、『ぞうさん』の詩に曲を書いたそうです。

戦時中、《上野動物園の猛獣が万が一空襲よって檻が壊され逃げ出したら…》、と軍により【猛獣処分令】が出され、ライオンや豹、ヒグマなど14種27頭の動物が指定され、その中に当時3頭いた象も対象とされます。
最初は毒入りの餌を食べさそうとしましたが、象は吐き出してしまい、次に注射を打とうとしましたが、針が刺さらず、最期は餌を食べさせないで、そのまま餓死させる事になりました。
芸をすれば餌がもらえると思った象は、一生懸命芸をしますが、最後まで残った象のトンキーが餓死したのが昭和18年9月の事です。

その後、「かわいそうなぞう」という題で童話が発表され、更に国語の教科書にも掲載されましたので、このお話はご存知の方も多いと思います。

下は昭和8年の【トンキー】と思われます。
伯父が兄弟で上野動物園に行ったときに撮った写真ですが、追って【昭和からの贈りもの】にも掲載致します。
昭和8年 トンキー

上野動物園は象がいない状態が続き、《妹に象を見せたい》というある子供の記事が新聞に掲載されると、《何とかして上野動物園に象を!》という運動が起ります。そして当時名古屋東山動物園に2頭いたうちの1頭を借りよう!と子供たちの【子供会議】で決定し、実際に子供たちが名古屋まで直談判に行ったそうです。
但し大きな象の輸送が困難ということから、東京から象を見に行く【象列車】が企画されたそうです。

そんな中、来日中のインドの首相に子供たちの手紙や絵を見せた事から、インド象が日本に来ることになり、昭和24年9月に待ちに待った象の【インディラ】が芝浦港に着き、そこから歩いて上野動物園にやってきました。
因みにインディラの名は首相の娘さんの名前からとったそうです。

上野では【象祭り】が開催され、そして待ちに待ったお披露目の曲として『ぞうさん』の曲が出来たという事のようですが、実際にNHKラジオで放送され一般的に歌われるようになったのは昭和28年です。

因みに美空ひばりさんも、この式典に参加をされていたようです。

この昭和24年から53年経った平成14年、タイからアジア象のアティとウタイが贈られましたが、この時もお披露目が開かれ、当時寛永寺幼稚園に通っていた娘も式典に参加しましたが、やはり『ぞうさん』がピッタリな感じでした。
上野動物園 お披露目 アティ・ウタイ

さて まど・みちお さんは、他にも『やぎさんゆうびん』『いちねんせいになったら』『不思議なポケット』。
そして【お星さまの贈りもの】に収録の『ドロップスのうた』なども作られています。
昨年テレビでも拝見しましたが、何と今年で白寿を迎えられるそうで、現在も創作活動をなさっています。

また 團伊玖磨 さんは日本を代表する作曲家として名高く、数々オペラや交響曲、映画音楽を残していますが、『やぎさんゆうびん『ぞうさん』は まど・みちお さん作詞の童謡です。

そんなさまざまな思いで出来た『ぞうさん』ですが、意味や経緯がわかると更に『ぞうさん』の想いが増す感じがします。

お星さま事務局
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Last updated  July 25, 2008 06:31:41 AM
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July 7, 2008
カテゴリ:童謡のおはなし

たなばた飾り
今夜は《七夕》ですが、童謡の《たなばたさま》が登場したのは昭和16年です。
文部省発行の《うたのほん下》に掲載されますが、作詞は権藤花代・林柳波、作曲は下総皖一によるものです。

 ささの葉さらさら
 のきばにゆれる
 お星さまきらきら
 きんぎん砂子

 五しきのたんざく
 わたしがかいた
 お星さまきらきら
 空からみてる

昭和16年の童謡にしては、仮名が多く子供たちにわかり易い歌詞になっています。
確かに《軒端に揺れる》や《金銀砂子》、《五色の短冊》では童謡らしくありませんね。
この軒端とは軒先のことで、五色の短冊とは、五行説にあてはめた五色と言われ、緑、紅、黄、白、黒の事だそうです。

作曲の下総皖一氏は明治31年に現在の埼玉県大利根町に生まれ、東京音楽学校(現東京芸術大学)を首席で卒業し、ドイツに留学します。
その後「兎のダンス」「ゆうやけこやけ」「かくれんぼ」「電車ごっこ」「野菊」「はなび」など数々の童謡を発表します。

因みに埼玉県大利根の《道の駅・童謡のふる里おおとね》は、下総皖一氏の出生地であり「たなばたさま」「野菊」「はなび」等は大利根町をイメージして作られたと言われる事からこの名がついているそうです。

七夕さまと言えば《七夕祭り》ですが、江戸時代前にはこのお祭りがあったそうです。
現在の《七夕祭り》は綺麗な飾りを思い浮かべますが、このスタイルは《仙台七夕祭り》を倣ったものと言われています。
近所の《かっぱ橋商店街》でも毎年《下町七夕まつり》が開催されていますが、今年は洞爺湖サミットの影響で、お祭りは来週末です。
祭りと言えば屋台ですが、《下町七夕まつり》は屋台はなく、出店は全て地元の人たちが中心の為、商売っ気はない分楽しさが一杯です。
下町七夕まつり

お星さまの贈りもの2 はる・なつ・あき・ふゆ に収録の【たなばたさま】は4人が歌い、オープニングも童謡とは思えないほどダイナミックなアレンジでスタートします。
ちょっと大人っぽい【たなばたさま】も一度お聞き下さい。

さて「たなばたさま」のお話は童謡コンサートでも何度かお話しましたが、簡単なストーリーは

天の川に住んでいた機織り上手の織姫と、牛を飼っているひこ星が結婚し、楽しい生活を送るようになったものの、二人は仕事を忘れて遊んでばかりいるようになった為、天の神様の怒りによって織姫とひこ星は別れ別れにさせられてしまいます。

でも織姫があんまり悲しそうにしているのを見て、
「一年に一度、七月七日の夜だけ会ってもよろしい」と神様が言い、それからは一年に一度会える日だけを楽しみにして、織姫は毎日一生懸命機をおり、天の川の向こうのひこ星も、天の牛を飼う仕事にせいを出します。

そして待ちに待った七月七日の夜、織姫は天の川を渡って、ひこ星のところに会いに行きます。
でも雨が降ると、天の川の水かさが増え、織姫は川を渡ることができません。
そんな時どこからともなくカササギという鳥が飛んできて、天の川に橋をかけ、織姫を渡してくれるようになったということです。

さて今夜は天の川は晴れるでしょうか?もしくは雨?
でも雨が降ってもカササギが橋を渡してくれるので、織姫もひこ星も無事再会できる事でしょう!

お星さま事務局
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Last updated  July 7, 2008 07:00:59 PM
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June 24, 2008
カテゴリ:童謡のおはなし
童謡のお話3でも述べましたが、明治14年に日本の童謡の出発点ともいえる《小学唱歌集 初編》が発行されました。

その中で、現在も歌われている童謡に『ちょうちょう』がある事は述べましたが、その他にも『むすんでひらいて』もあります。

発表当時は『見わたせば』という題名で発表されたこの曲は、フランスの哲学者ジャック・ルソーが作曲した外国曲です。
哲学者が作曲したとは驚きですが、もっと驚きなのは、ルソーが生きていたのは1712-1778年…ということは、250年も前の曲ということになります。
歌詞は現在のものとは異なりますが、旋律は《小学唱歌集 初編》掲載の譜面のように、現在と同じです。
みわたせば 小学唱歌集 初編 みわたせば

 見渡せば 青やなぎ、
 花桜 こきまぜて
 みやこには 道もせに
 春の錦をぞ
 佐保姫の 織りなして
 降る雨に そめにける。

また、明治14年に唱歌として発表される前は、賛美歌としても歌われていました。
その後唱歌として発表されたものの、歌詞が子供にとって難しく、歌われることがなくなりつつなると、時代を反映してか、なんと『戦闘歌』という軍歌として復活します。

 見渡せば 寄せて来(きた)る
 敵の大軍 面白や
 スハヤ戦闘(たたかい) 始まるぞ
 イデヤ人々 攻め崩せ
 弾丸込めて 撃ち倒せ
 敵の大軍 撃ち崩せ

と何とも凄い歌詞です。

明治大正昭和と、戦火に包まれた時代が終わり、昭和22年発行《1ねんせいのおんがく》の中で、私たちの知っている『むすんでひらいて』となりました。

 むすんで ひらいて
 手を打って むすんで
 またひらいて 手をうって
 その手を 上に

今では誰もが知っている童謡ですが、賛美歌~唱歌~軍歌~と数奇な運命を持った童謡とも言えますね。

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Last updated  June 24, 2008 08:16:13 AM
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June 2, 2008
カテゴリ:童謡のおはなし
童謡のお話2で、「花」の碑が墨田公園にあることは述べましたが、同じように童謡の碑が浅草にもあります。

浅草寺本堂の前にあるのが「鳩ぽっぽ」の碑です。
鳩ぽっぽの歌碑

「鳩ぽっぽ」作詞 東くめ/作曲 滝廉太郎
 鳩ぽっぽ 鳩ぽっぽ
 ぽっぽぽっぽと 飛んで来い
 お寺の屋根から 下りて来い

 豆をやるから みなたべよ
 たべてもすぐに かへらずに
 ぽっぽぽっぽと 鳴いて飛べ

この歌は明治34年(1901)に発表された唱歌で、それまでの文語調の唱歌ではなく、初めて「語り口調」で作られた唱歌と言われています。

因みに一般的に知られる
「ぽっぽっぽ はとぽっぽ~」は「鳩」という題で明治44年に文部省唱歌として発表されます。

教育学者であった東くめの夫の東基吉が、常日頃から説いていたのが、
「外国曲に訳をつけた唱歌や、文語調の歌詞では子供たちが楽しく歌えないのでは…」
「音楽教育としては、幼児に合った唱歌が必要…」
等の事です。
東京音楽学校を卒業し、結婚後音楽講師として勤務していた東くめは、そうした事を夫から聞きつつ、勤務先の東京府立高等女学校から近い隅田川や浅草寺を散策する事が多かったようです。
そんな折に、浅草寺境内に集まる鳩と、子供たちを見てこの歌詞が生まれたと言われています。

滝廉太郎は、東京音楽大学の二年後輩にあたり、東基吉などから作曲の依頼を受け、東くめが作詞したものに作曲をする方法で「鳩ぽっぽ」が出来ました。

この頃、東くめと滝廉太郎のコンビは立て続けに唱歌を作りますが、今でも歌われている曲は「お正月」や「雪やこんこ」などで、これらの曲も子供たちにとってはとても歌いやすい曲です。
お星さまの贈りもの収録 お正月 雪

これらの唱歌が作られて直ぐに、滝廉太郎はドイツに留学するものの、肺結核を発病し2年後に23歳という若さで生涯を閉じます。
一方東くめは、その後も音楽講師やピアノ教師を亡くなる90歳まで続けますが、滝廉太郎が元気であったなら、この二人で更に多くの童謡が作られたのでしょう。

さて浅草寺の境内ですが、かつてはこの鳩ぽっぽの碑の前は鳩でいっぱいでした。
が、現在は鳩が増え過ぎた事から餌やりも禁止され、今では鳩の姿も少なくなりました。
浅草寺の鳩

写真は子供がまだ小さい頃に浅草寺に行った時のものですが、こうした風景を見て東くめは詩を考えたのでしょうか…。

お星さま事務局






Last updated  June 24, 2008 08:16:59 AM
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May 22, 2008
カテゴリ:童謡のおはなし

『ちょうちょう』(スペイン民謡/作詞 野村秋足)

 ちょうちょう ちょうちょう 菜の葉に とまれ
 菜の葉に あいたら 桜にとまれ 
 桜の花の 花から 花へ
 とまれよ 遊べ 遊べよ とまれ

誰もが知っている童謡の『ちょうちょう』です。
菜の葉にとまったあと、次なる蜜を吸いに桜の花に移るさまを詠んだ歌ですが、都内では菜の花と桜を両方見る事がなかなか出来ませんが、写真のような場所で作られたのでしょうかね?菜の花と桜

さて童謡という言葉が世の中に出てきたのは、大正時代以降と言われています。
それ以前は唱歌と言われ、更にその前はわらべ唄と称されていたようですが、この唱歌が登場したのは明治14年(1881)の事です。
子供たちのの情操教育に…という観点から《小学唱歌集 初編》が発表されますが、今で言う小学校の音楽の教科書ですね。

この時に発表された曲のひとつが、『ちょうちょう』です。

この唱歌集が編集される際、国内で作られた楽曲を中心に目指していたそうですが、残念ながら国内で作られた曲に限りがあった事から、海外の曲も多数取り入れる事になったそうです。
その中の『ちょうちょう』はスペイン民謡で、歌詞は尾張地方に古くから伝わる《わらべ唄》と言われています。

冒頭の歌詞は現在歌われている歌詞で、終戦後の昭和22年に発表された「一ねんせいのおんがく」に掲載され、現在まで歌われています。

上野の旧東京音楽学校奏楽堂には、明治14年発行の小学唱歌集初編が展示してあり、その中の「蝶々」の歌詞をみたら

 てふてふてふてふ 菜の葉にとまれ。
 なのはにあいたら 桜にとまれ
 さくらの花の さかゆる御代に
 とまれよあそべ あそべよとまれ

と“ちょうちょう”の部分が“へふてふ…”と古い記述で、時代を感じます。
また当初は1番2番と歌詞があったようです。

またこの曲はお隣韓国や中国でも童謡として歌われています。
韓国では「ナビヤ」という題名で日本訳は「蝶々よ」
中国では「蜜蜂工作」という題名で、こちらはミツバチの歌です。

『ちょうちょう』は、幼稚園や保育園で今でも歌われていますし、誰もが一度は歌ったことがある曲ではないでしょうか?
私たちの童謡コンサートでも、ちょっと変わった楽器で演奏する時に、よく『ちょうちょう』の演奏をしてもらいます。
楽器の演奏

まさに誰もが知っいて、旋律が良いからこそ、直ぐに演奏が出来、皆知っています。
でも誰もが知っているこの童謡が、127年前に発表された曲と知っている人たちは、そう多くはないのでは…。
そう思うと、これからもずっと大切にしていきたい童謡のひとつですね。

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Last updated  May 22, 2008 09:23:53 PM
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May 19, 2008
カテゴリ:童謡のおはなし
住んでいる場所柄、隅田川沿いには良く行きます。
子供と自転車で通るたびに口ずさんでいたのが

「はるの~うららな~す~み~だ~が~わ~」
ではじまる『花』です。(お星さまの贈りもの・収録『花』
写真は桜の季節の隅田川ですが、やはり隅田川というと『花』が浮かんできます。
隅田川と桜

滝廉太郎が21歳の頃に作曲したこの曲は、1900年(明治33年)に発表されましたが、当初は
 1.花
 2.納涼
 3.月
 4.雪
といった組曲『四季』として発表された中のひとつで、更にこの『花』は日本初の合唱曲として作られたものです。

隅田川沿いの公園には、この『花』の碑があります。
作詞は当時東京音楽学校(現東京芸術大学)の教授だった武島羽衣ですが、この頃滝廉太郎は同学校の助教授でした。
墨田公園の「花」の碑

滝廉太郎は、『花』以外にもたくさんの唱歌を発表しています。
中学校唱歌としては『箱根八里』『荒城の月』
幼稚園唱歌としては、アルバムにも収録の『お正月』『桃太郎』等があります。
『花』の発表の翌年には、男子としては第一号の留学生としてドイツに赴きますが、肺結核を患い翌年帰国し、その後23歳という若さで没します。
因みに助教授を務め、そこでピアノを弾いていたという、上野の旧東京音楽学校奏楽堂は、明治23年(1890年)建てられた日本最古の木造音楽ホールで、当時のままの舞台が残されています。
旧東京音楽学校奏楽堂 旧東京音楽学校奏楽堂 音楽ホール

1階の資料館には、滝廉太郎が書いた譜面や楽譜、明治の尋常小学校唱歌集初編などが展示され、また入り口横には滝廉太郎の銅像が建っており、まさに日本の童謡が始った場所とも言えるかもしれません。
滝廉太郎像

この『花』は春の隅田川の歌ですが
「のぼりくだりの船人…」はこの頃隅田川で行われるようになったレガッタで
「櫂のしずくも花と散…」はレガッタの櫂のしぶきが、隅田川沿いの桜のように飛んでは散る様子
を歌ったと言われています。

下の写真は昭和初期の隅田川の様子で、川面にはポンポン船や、帆掛け舟が行き交い、遠くには言問橋も見えます。
昭和初期の隅田川

レガッタはこの言問橋近辺で開催されていましたので、武島羽衣もこの近辺で見た隅田川を歌ったのでしょうか?

隅田川
現在の隅田川は、コンクリートで護岸整備され、周りにはビルが立ち並びますが、108年前の隅田川はそれこそ花いっぱいの、のどかでゆったりとした川だった事でしょうね。

お星さま事務局
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Last updated  May 19, 2008 04:05:48 PM
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April 30, 2008
カテゴリ:童謡のおはなし
さくらの花が続きましたが、今回は童謡や日本古謡として知られる「さくら」についてです。
さくら

「お星さまの贈りもの はる・なつ・あき・ふゆ」にも収録している『さくら』ですが、現在童謡として歌われているものの中でも特に古い歌と言う事はご存知でしたでしょうか?

一般的には明治21年(1888年)に「筝曲集」という琴の入門曲として発表されたと知られていますが、元々は江戸時代の筝のお稽古用の曲として作曲され、『さいた櫻』という題で歌詞がつけられたとの説があります。
という事は、明治元年が1868年ですので、少なくても150年以上…、もしかして200年以上も前から歌われていたのかも知れません。
更に他の説では室町時代からあった…とも言われており、そうなると500年以上も昔と言うことになります。
中には、確たる証拠が無いので、江戸時代の説は信憑性が無い!という意見もあるようですが、「“さくら”は200年以上も前から歌い継がれている古くからの歌…」と想う事の方が夢があって素敵な感じがします。

さいた櫻
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吉野の櫻
龍田の紅葉
唐崎の松
常盤(ときわ)常盤
深みどり

これが『さいた櫻』の歌詞とされていますが、私たちの知っている歌詞とはだいぶ違いますね。

現在の歌詞になったのは、昭和16年に小学校2年生用の歌として改定されてからですが、『さくら』は日本を代表する曲とも言われています。
プッチーニのオペラ「蝶々婦人」にもこの曲が登場しますし、日本の音楽家が海外で演奏を行う際にはレパートリーに入る事が多かったようです。

「お星さまの贈りもの」収録の「さくら」は、元T-SQUAREの“和泉宏隆”さんがアレンジしたもので、“華村りこ”が歌い、ちょっと切ないような、そして華やかにさくらが舞い散るような想いの『さくら』です。

最近は『さくら』と言えば森山直太郎さんの曲を思い浮かべる方も多いと思いますが、古くから歌い継がれている『さくら』も大切にしたい一つですね。

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Last updated  May 1, 2008 07:40:44 AM
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