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2005/03/29(火)10:47

食育って・・・いのちを教えることなのでは part2

レシピ(6)

1年続いた東北放送ラジオの番組も今日で終了(番組改変)。お聞きくださった皆様、ありがとうございました。 今日は先週にに引き続き「食育」について。 食育は結局「生きること、いのちって何だろう」を考えさせることなのではないかとお話しました。 食育というと田んぼにいってイベント的に田植えを体験させたり、いろいろな植物を栽培させたりということが行われています。 ホントにこれで食育になるの?って思います。 家の子どもが小さいとき、学校から稲の苗をもらってきました。バケツに入れてにわか田んぼを作り稲を育てました。 大して手もかからずに立派な稲に育ちました。脱穀して、一升瓶にいれ棒でつついて精米して米にし炊いてたべました。 この一連の作業の中で何を学んだかというと、なんと「お米って簡単にできるんだね」でした。バケツへの田植えではなく広い田んぼに植える大変さや虫、病気のしんぱい、台風、日照、水の管理、稲刈、田んぼの手入れなどなど本当に大変なところはすべてスキップして「米がなった」という結果だけがのこる。 これでは「なんだ、農業なんてかんたんだ」で終わってしまうように思いました。 食育はもっと地道に時間をかけて、本当の辛さ、たいへんさ、努力を体験させる「プログラム」を開発しなければならないと思いました。 食育とはなにを「育てる」のかの根本思想をかかわるみんなが持っていないといけないとおもいます。 日本ではすべてのことが「イベント」になってしまって、商売の種にされてしまう傾向があります。もちろん生産者も流通の関係者も衣のしたには鎧を着ているわけではありますが、なうるべく「衣」を厚くして、それも他の業種の人たちも同じ「衣」をまとって「食育」にあたって欲しいとおもうのです。 栄養士も同じ。クッキング教室も良いし、エプロンシアターも良いし、やり方は案でもいいのだけれど、「生命の根源やいのちって何だろう」ということを考えさせるのが食育の本当の目的であることを認識してプログラムを考えたいものだとおもいます。

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