おもやい
「おもやい」って言葉、普通に使ってた。でも、ふと思いついてググって見たら、あら、九州の方言だって。2,3日まえ他のブログに食ダネを書いていて何気なしに「おもやいで食べる」ことを書いたのだけれど、さてそのホントの意味は・・・と気になり調べたのです。子どもの頃から家では普通に使ってた。どこから仕入れてきたのだろうか。九州とは接点はないはず。在るとすれば遥か昔、曽祖父が西南戦争に従軍したことがあり熊本に滞在していたくらいかな。「おもやい」とは「共にする」とか「分け合う」とか、「あなたのものも私のものも隔てなく」といった意味。おかずを「おもやい」にするといえば一緒のどんぶりをつつき合う。服を「おもやい」にするといえばさしたる断りなしに貸し借りしあいってもよいということ。お手塩皿をおもやいにすることもあれば、弁当のおかずを、レストランで1皿のご馳走をおもやいにすることもある。当然、あいてに対する適度の距離感と思いやりを保っていないと成り立たない世界。自分だけガツガツたべたのでは次の「おもやい」は成り立たない。今の言葉で言えば「シェア」。そんな横文字並べなくても、日本人も昔から程よい距離感を持った人間関係を普通に築いてきたはず。現在あまりに「個」の権利ばかり言われて「もやい」の心がなさ過ぎるのでは?「同じ釜の飯」を今の人は食たがらないらしい。「同じ釜の飯」を食うのも「もやい」と同じ心意気がないと成り立たない。鍋を囲むのも同じ。「鍋パーティ」がとんでもない意味に使われるなんて、悲しすぎる。「もやい」のもともとの意味は舟同士をつなぎ合わせること、同じものを共有すること。私たちも自然や人間関係を「おもやい」して生きているのにね。