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ROAD TO VICTORY

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2004年10月11日
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カテゴリ:気になるネタ


こんばんわ!

日に日に寒くなってきましたが
風邪をひかないよう
注意しましょう♪

またオン寝しました(ぉぃ)
めっちゃ眠かったし(;´Д`A ```
眠い…って言ったまま
寝ちゃった(笑)
メッセ中だった方々…
スイマセンでした
ペコm(_ _;m)三(m;_ _)mペコ



えっと、オーパーツ
昨日でおしまい(笑)
でも書くことないんだよな…
ってことで、
思いつきで書きます(ぇ
何故か
ドラキュラ
について書きます(ぇぇ!?w



。。。今日の豆知識。。。


ドラキュラ


俗にいう吸血鬼ヴァンパイアの類。
正確(?)に言えば
ドラキュラとはイギリスの作家、
ブラム・ストーカーの恐怖小説
「吸血鬼ドラキュラ」に登場する
男性吸血鬼。
ドラキュラ吸血鬼の一種ってことかな?ww
処女の生き血を好む。
太陽光線、ニンニクなどに弱い。
(と、されてる)
ドラキュラとはあくまでも小説に登場する
キャストの名前であるが、
本小説が余りにも有名になったため、
現在では
ドラキュラ=吸血鬼(バンパイア)
のように解釈されている。

ドラキュラ伯爵にはモデルがおり
15世紀ワラキア公
ヴラド・ツェペシュ
(現在のルーマニアのトランシルバニア地方出身)
であるとされている。
ツェペシュ串刺し公として
オカルト関係で有名であるが、
この時代のルーマニア
オスマン・トルコに支配されており、
ルーマニア人の視点での記録が
あまり残っていないことに注意が必要。
現地での伝承ではこうなっている。

オスマン・トルコが攻め込んできたとき、
領主のツェペシュ
まだ戦争の準備を整えておらず、
しかし、敵は目前まで迫っていた。
そこでツェペシュは牢にいた囚人を
生きたまま串刺しにし、
領地の入り口の街道に並べた。
まもなくトルコ軍がやってきたが、
これを見てすっかり戦意を失い、
ろくに戦闘もせずに引き上げていった。
そしてこの間にツェペシュ
防戦の準備を整えることができたのである。

この行動が最終的な勝者である
トルコ軍を通じて他地域に広がり、
猟奇的な奇人領主として伝説化したようだ。
ワラキア公国は最終的には
オスマン・トルコの支配下に入るが、
ある程度の自治権は認められた。

ツェペシュ公は祖国ルーマニアでは
今でも名君として知られ、
トルコ支配に対して戦い抜いた英雄
公の城は今も残っており、
ドラキュラ城として観光地化している。
ただし、この城は、
確かにツェペシュの時代のもので、
ツェペシュが短い期間宿泊した
可能性はあるが、
実際には居城ではなかったとされる。

ドラキュラに限らず
ほかにも吸血鬼
モデルとされた人物はいる。
エリザベート・バートリー
である。

ある日、彼女の身の回りの世話をする女中を
返り血を浴びるほどひどく折檻した。
その女中の新鮮な血がかかった肌が
まるで若返ったかのごとく見えた
エリザベートはその女中を手にかけ
その血を全身に浴びた
4人の子供を産み
女の盛りを過ぎた彼女にとって
「老い」をもっともおそれていた。
血液に若返りの作用を信じたのだ。
昔から処女の血
美容や若返りに効果がある、
血は生命の源である、
という思想が現代に至るまである。
かくして血液による若返り
信じたエリザベートは執事達に命じて
次々と女中達を殺していった。
娘が足りなくなれば
近隣の農民達からかき集めた。
城に奉公にいった娘達は
二度と戻ることはなかった。
やがて城の周りから若い娘達の姿が消えた。

1610年、生け贄の一人が脱走して
その悪行が当局に知られ彼女は逮捕される。
城は「鉄の処女」と呼ばれる道具で
血を搾り取られた娘のおびただしい死体や
全身穴だらけで息も絶え絶えの
生け贄達の娘など
目を覆うばかりの惨状であったという。
彼女の犠牲者
300人とも400人とも言われる。
裁判では彼女の所行を助けた
執事や乳母、下男、女魔術師などは
斬首刑になったが、
王族の血縁関係にあった
エリザベートは処刑されず、
チェイテ城に幽閉され3年半後の
1614年54才で死亡した。
((「鉄の処女」ってバンドいたな…「IRON MAIDEN(アイアン メイデン)」ww))

って、
吸血鬼についても書かなきゃ(笑)

吸血鬼

起源は西洋らしい。
生命の根源である血液
死者が渇望するという考えは古くからあり、
古代ギリシアにまでさかのぼる。
オデュッセイア(ホロメス作とされる古代ギリシアの叙事詩)のなかに
降霊の儀式を行う際に
生け贄の子羊の新鮮な血
を用いるくだりがある。

スラブの人々は4世紀ごろには
既に吸血鬼の存在を信じていた。
スラブの民話によると、
吸血鬼は血を飲み、
を恐れる (ただし銀によって殺すことはできない) とされた。
また首を切断して死体の足の間に置いたり、
心臓に木の杭を打ち付けることで
吸血鬼を殺すことができると考えていた。

現在の吸血鬼に対する考え方は
古代ルーマニアから続いているものである。
古代ルーマニアは古来からの宗教や文化が、
キリスト教スラブ民族
混ざりあう過程を経験した。
異なる宗教と文化における矛盾、
外からの人々の流入により
新たな疫病が持ち込まれ
不可思議な死が増加したことに
対する答えとして
吸血鬼伝承
が生まれたと考えられている。
この民話では吸血鬼によって
殺された者は吸血鬼として
復活することになっており、
何らかの手段で殺されるまで
新たな吸血鬼増殖させることになる。
またこの段階では吸血鬼
知性のない動物のような
悪魔として扱われており、
永遠の若さや他の力をもつとされるのは
ビクトリア朝時代に入ってからである。

現在の吸血鬼の多くは、
不老不死知性的な、
多くの不思議な力を持つ者として描かれる。
吸血鬼霧、オオカミあるいはコウモリ
変身することができるとされる。
他人の心を支配することができる場合もある。
吸血鬼悪しき者を持たないため、
に映らないとされる。





長いねw(* ̄m ̄)プッ
でも続くかも(ぉぃ)






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最終更新日  2004年10月12日 00時10分41秒
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