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2006年12月20日
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カテゴリ:豆知識


突然何ぞや?と思われるでしょうが、
前の日記のおまけです(笑)


---------- キリトリ -----------


明治神宮 (東京都渋谷区)

主祭神 : 明治天皇 昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)

由緒
明治45年(1912年)に明治天皇が崩御し、
続いて大正3年(1914年)に皇后であった昭憲皇太后が亡くなると、
その遺徳を偲ぶ国民から夫妻を祭る神社を求める機運が高まった。
これを受けて政府は神社奉祀調査会を設置して審議し、
大正天皇の裁可を受けて大正4年(1915年)5月1日、
官幣大社明治神宮を創建することが内務省告示で発表された。
明治天皇が

うつせみの代々木の里はしづかにて都のほかのここちこそすれ

と詠んだ代々木の南豊島世伝御料地を境内地として造営が行われた。
大正9年(1920年)11月1日に鎮座祭が行われた。


成田山新勝寺 (千葉県成田市)

御本尊 : 不動明王(ふどうみょうおう)

由緒
天慶3年(940年)寛朝大僧正によって、開山。


川崎大師 (神奈川県川崎市)

御本尊 : 弘法大師(こうぼうたいし)

由緒
正式名称は「真言宗智山派大本山金剛山金乗院平間寺」
開創は大治3年(1128)、開基は尊賢上人、創建功徳主は平間兼乗。


伏見稲荷大社 (京都府京都市)

主祭神 : 宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)

由緒
711年(和銅4年)2月壬午の日に、
伊侶具秦公(はたのきみのいろく)が勅命を受けて
伊奈利山三ヶ峯(稲荷山)に三柱の神を祀ったことに始まる。


熱田神宮 (愛知県名古屋市)

主祭神 : 熱田大神(あつたのおおかみ)

由緒
第12代景行天皇の時代、日本武尊(やまとたけるのみこと)
東国平定の帰路に尾張へ滞在した際に、尾張国造 乎止与命(おとよのみこと)の娘
宮簀媛命(みやすひめのみこと)と結婚し、草薙剣を妃の手許へ留め置いた。
日本武尊が能褒野で亡くなると、宮簀媛命は熱田に社地を定め、
剣を奉斉鎮守したのが始まりと言われる。
そのため、三種の神器のうち草薙剣は熱田に常に置かれるようになり、
伊勢神宮に次ぐ権威のある神社として栄えることとなった。
熱田大神とは草薙剣の神霊のことであるが、
明治以降の熱田神宮や明治政府の見解では、
熱田大神は草薙剣を御神体とする天照大神のことであるとしている。
しかし、創建の経緯などからすると日本武尊と
非常にかかわりの深い神社であり、
熱田大神は日本武尊のことであるとする説も根強い。


住吉大社 (大阪府大阪市)

主祭神 : 住吉三神 神功皇后(じんぐうこうごう)

由緒
仲哀9年(200年)、神功皇后が三韓征伐より
七道の浜(現・大阪府堺市七道)に帰還した時、
神功皇后への神託により天火明命の流れを汲む
尾張氏の一族である土地の豪族の田蓑宿禰が、
住吉三神を祀ったのがはじまり。その後、神功皇后も祭られる。
住吉三神は、海神であり、底筒男命(そこつつのおのみこと)
中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の総称。


浅草寺 (東京都台東区)

御本尊 : 聖観音(しょうかんのん)像(秘仏)

由緒
推古天皇36年(628年)、宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた
檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟の網にかかった仏像があった。
これが浅草寺本尊の聖観音像であった。
この像を拝した兄弟の主人・土師中知(はじのなかとも、諸説あり)は出家し、
屋敷を寺に改めて供養した。これが浅草寺の始まりという。
秘仏(ひぶつ)とは、信仰上の理由により非公開とされ、
厨子などの扉が閉じられたまま祀られる仏像を指す。


鶴岡八幡宮 (神奈川県鎌倉市)

主祭神 : 応神天皇(おうじんてんのう) 比売神(ひめのかみ)
神功皇后(じんぐうこうごう)---------  

由緒
康平6年(1063年)8月に河内国(大阪府羽曳野市)を本拠地とする
河内源氏2代目の源頼義が、前九年の役での戦勝を祈願した
京都の石清水八幡宮(あるいは河内源氏氏神の壺井八幡宮)
鎌倉の由比郷鶴岡(現・材木座1丁目)に鶴岡若宮として勧請したのが始まり。


太宰府天満宮 (福岡県太宰府市)

主祭神 : 菅原道真公

由緒
延喜3年(903)2月25日、菅原道真が死去。その遺骸を都まで送ろうとしたが、
大宰府から外れた所で牛車を曳いていた牛が動かなくなった。
それはそこに留まりたいという道真の遺志によるものと考え、そこに墓が作られた。
道真の没後、京では疫病や異常気象など
不吉な事が続いたため「道真の祟り」と恐れられた。
これを鎮めるために道真の墓所の上に社殿を建立した。
これが太宰府天満宮の始まりである。また、京には北野天満宮が造られた。


氷川神社 (埼玉県さいたま市)

主祭神 : 須佐之男命(すさのおのみこと) 稲田姫命(くしなだひめのみこと)
      大己貴命(おおむなちのみこと)―――――――――-------

由緒
孝昭天皇3年に創建された。成務天皇の時代に
出雲の兄多毛比命(えたもひのみこと)が武蔵国造となり、当社を崇敬した。
この一帯は出雲族が開拓した地であり、武蔵国造は出雲国造と同族とされる。


その他自分で調べてみてね(^^;;
調べてほしい人は…来年でもよければカキコを(笑)





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最終更新日  2006年12月21日 07時09分39秒
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