2024/05/01(水)14:00
未開の地。。
昔、アフリカへキリスト教の宣教師たちは、「未開の地」と呼ばれるところへ死を覚悟で移り渡っていました。
仏教では、もともと何も仏縁の無いようなところに宣教のために移り住んでいたようでした。でも初めの頃は己の修行のみなので、宣教のつもりはなかったのですが、これが「小乗仏教」と呼ばれてた仏教です。
しかし、のち異教がインドに流れ込んでからは、仏教は南方へ移りましたが、一方では北の方へと流れて中国に渡ったのでした。その頃から宣教する仏教、つまり仏教の種まきが活発的になり、皆が救われていくという「大乗仏教」の方へ進みました。
だから日本に着いた時はすでに大乗仏教だったのですね。。各国でその土地に合った仏教観念が発達したのですが、日本では宗教という形は無くても確かに何かを信奉していたようです。
そこにインド発の仏教がやってきて、そこに根付きました。
当時はアフリカの宣教師たちのように、何の因縁のないところに種まき始めたモノですから、宣教師たちは大変な思いだったと。。でもそれが彼らの因縁となって今の時代にまでつながっているのです。
オニオンはその方の専門家ではありませんが、無毛の土地に種を蒔き、ただひたすらに雨が降って陽が射すことを祈るような感じではなかったかと。。
決して恵まれていない条件で頑張って、失敗を繰り返していくのですね。。そしていつか、花が開く。。気が遠くなりますね。そういうのを魂の修行と呼ぶようですが。。
現代社会はモノに溢れていて、精神的な満足が得られないようですが、いっそのこと一からやり直してみてはどうでしょうか。。すぐにモノを捨てるというキーワードが出てくるでしょうけど、そのまえに気持ちの浄化です。気が整ってないのにモノは片付けられません。逆にとにかくモノを捨てれば、気がすっきりするということもあり得ますがね。。
好い環境で勉強したら、いい成績になって思う通りの進路に進めるでしょう。多くの人はそれを望んでいるのでしょう。しかしながら逆境というか、勉強など出来る環境で育っていない人でも、好成績で好いところに進学できる場合もあるのです。その方がかえって鍛えられてますから、ストレスに強い種になりますかね。。
温室育ちではストレスをかけないように成長しますが、野原で育ったモノはいざという時のショックに耐えられる素質を備えているのですね。。見た目同じような花を咲かせても、プロセスが違うと遺伝子に変化が出ます。
生きるとは、のほほんと育つことよりも、荒波に飲まれ、風に吹っ飛ばされそうになっても生き抜くプロセスではないかと。。不毛の砂漠に見事な花を咲かせてみたくはありませんか。。