2015/03/19(木)00:52
大ちゃんが死んだわけ
大ちゃんが亡くなってそろそろ1年だろう…。
実は命日がいつなのかは知らないのだ…。
昨年、いつもお伺いしていたお店の常連客ばかりが集まった時に初めて亡くなった時の様子を聞けた。
余りに悲しくて引きずっているとK氏が良い顔をしないので、出来るだけ話題にしないようにしていた。
でもね、ひとつ上で、とても心根が優しく、男らしい所もある大ちゃんとは、ワガママも言える、少なくとも兄妹のようであったと思うのです…本人は嫌がるだろうけど…。
亡くなる直前の仕事は優秀な大工の雇われ棟梁の大ちゃんにもキツイものだったらしいです。
同郷のささえちゃんが『身体がきついってずっと言うてたんや…』
と語っておりました…。
前年の冬も厳しかったと記憶しているけれど、朝の早い大工の仕事なのに現場は大坂だったらしい…。頑張ってたんやね。
忘れもしない、まだ河端病院が坂の脇にあった頃、坂を挟んだ病院の駐車場で、『あれっ?あの車、大ちゃんの車と違うんかな?』と、なんの変鉄もない軽のトラックを見て思ったこと。
別にナンバーを知っていたわけではないけれど、仕事道具をきちんと片付けて、きちんと幌を掛けていた大ちゃんの車を知っていたから、何となく大ちゃんの車やなと思っただけなんやけど、その車が何日も同じ場所に停まっていたから、『あれっ?現場がこの辺なんかなぁ~』って思って、その後見なくなったから気にしなかったけれど、その間にお葬儀があったんやね。
ささえちゃんが、『しんどいって言いながら死ぬ前日まで3日間、いい付き合いしてる女友達と飲みに行っていて、朝になって自分で車を運転して河端病院まで行って、緊急手術が必要と言われて日赤に運ばれて亡くなったんや…』と話してくれた。
もっと近い病院あったやろに…。
こんな言い方は変やけれど、大ちゃんは私に会いに来たと思ってます。
病名は分からないけれど、たぶん心筋梗塞でしょう。
あほやながまんして。
息子も大ちゃんの事は尊敬してたのに…。
母も大ちゃんの事が気に入っていたのに…。
私も好きやったのにな。
ライブに来てほしかったな。
でも、会いに来てくれて有り難う。
また会いましょう。