キュイジーヌ・シセイドー ~一つのルーツ~
独身のころの話をひとつ。葉月さんから手紙をもらった。再来月の中頃、あるコンサートのために東京にやってくる。もし時間があえば、滞在中の一日、東京を一緒に回ってほしいという。特別な目的はなく、ただ会って話ができればそれだけで良いともいう。在神戸の彼女は文学関係の友人で、何年か前に私が関西方面に行ったとき、お世話になっていた。とりあえずスケジュールをあけ、OKの返事を出した。そのプランニングのために、頭を悩ます日がつづいた。紋切型の東京見物なら、バスの日帰りツアーを利用すればよいだろう。しかしそれでは、こちらの気がすまない。彼女が喜ぶような何かを盛りこみ、同時に私らしい何かを折りこみながら、その一日を最大限にもてなしたかった。いくつかのモデルコースを作った。食べ物関係をどうしようかと頭をめぐらせる。東京で私がよく利用するのは、いわゆるB級グルメの店ばかりだった。自分には似合っていても、彼女には似合わない。カップルが行くようなスポットではなかった。その当時、食の情報としては単行本が何冊かあるだけ。それらはすでに世間に名の売れた店ばかりで、こちらのニーズには合致しなかった。やはり実際その場に行って、味わってみるしかない。休日になると私は東京に出かけ、あちこちの店を食べ回った。といっても胃袋には限度がある。ランチで2店、ディナーで3店。一日に5つまわるのが精一杯だった。25ほど訪ねてみると、昼・夜の店はほぼ固まった。ランチは銀座のイタリアン、ディナーは六本木の和食とし、それぞれに予約をいれた。どの出口からでると次のアクセスがいいのか、地下鉄のどの車両にのれば合理的に済むのか。実地で入念に調べた。歩く歩数まで気をくばる。ただ、昼と夜のあいだのブレイクタイム用の店がなかなか決まらなかった。銀座と六本木のあいだのエリアで絞ってみる。ちょうどよい店がないので、Aを外したり、Bを外した別プランを立てたりした。ひとつ妙案が浮かんだ。帝国ホテルのとなりのビル内に「キュイジーヌ・シセイドー」というレストランが入っていた。料理としては評価できなかったので、早々と候補から落としていたのだが。れっきとしたフランス料理店にはめずらしく、中途半端な時間にも開いていた。ティーサロンとして使うなら、そこで十分ではないのか。翌週もう一度その店に行き、ケーキ&珈琲を試した。行けると思った。この店はなにより、眺望のすばらしさが特筆ものだった。ビルのトップの26階で、眼下には日比谷公園の緑が矩形にひろがっている。ライトグレーに霞がかったそのむこうに、高層ビル群が遠望できる。雰囲気・静けさ・サービスなどは、文句なく一級品だった。葉月さんを迎えたその当日。99%自分のイメージした通りにすすんだ。たぶん喜んでもらえたのではないか。後日「アンリ・シャルパンティエ」のスイーツが送られてきた。「石橋をたたいてもなかなか渡らない」「50回たたいてやっと1度渡る」ような私は、人からみると、かなりつまらない人間にうつるだろう。ハプニングというものに、面白さをまったく期待しない。すんなり収まる予定調和こそ、最大の歓喜と思えるような人間は、たしかに無味乾燥で面白くないにちがいない。自分が実際に感じたものが命。自分が良いと思ったものだけを人にすすめる。あるいは、それからセレクトして人をもてなすのに利用するというのは、その後もずっと自分の根幹をなしている。たとえば、奥方の両親と一緒にお泊まりしようというとき。ホテルは(CPも勘案しながら)厳選を重ねる。候補が決まると、私はそこを実際にたずねてみる。さいわい今はほとんどの旅館で「日帰りコース」を用意している。ただ、食べ歩きのように何箇所も利用することはできない。比較している宿には、風呂利用のみで入る。風呂さえ無理な場合は、とりあえず館内を案内してもらう。それだけでも、サービスや雰囲気的なものは、かなりつかめる。大事な人をもてなそうというとき、私は極端なまでに慎重になる。自分の実感を最大限に信じ、尊重する。東京のレストランの食べ歩きや、旅館の日帰りチェックなど。考えてみるとこの「食べある記」も、それらと通有する部分があるのかも知れない。私はずっと、同じようなことをしている。こんなレポートをして何になるのか、何が楽しいのかと訊かれたら、ことばに詰まるしかない。要するに、そうするしかない人間、そうするしか能のない人間なのだろう。今はただ、これだけがわかっている。自覚している。