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テーマ:今日聴いた音楽(79645)
カテゴリ:ALICE(谷村新司・堀内孝雄・矢沢透)
昔のアリスのコンサートの音源などをいろいろと聴いていたら、本編最後のちんぺいさんのMCに
本当に毎回、感動させられてた事を思い出した。 でも、感動的な話ばかりじゃなく、その時に思った正直な気持ちを吐き出してから最後の歌を歌う事も あったりしたのも思い出して。 そして昔に文字起こししたデーターがあったと思い出して、昔のHDの中を探して見つけた。 その中から、少し定番っぽいMCから、アクシデントに近いようなMC、 そして怒ってるMC…など、その中から少し珍しい感じのものをいくつか抜粋して。 ![]() 最初はまだ大きなヒット曲もなかった頃の本編最後のMC 「また、こういう機会を必ず持ちます。良かったら今度はあなた一人じゃなくて、あなたのお友達でも、 お父さんでもお母さんでも誰でもいいです、友達を一緒に連れて来てあげてください そしてこういう大切な時間というのを互いに少しでも一緒に過ごしたいと思います それがまた、いずれいつか、素晴らしい思い出になるんじゃないかと思う。 それじゃ次のが…一応終わりの曲です……終わりの曲です 青春の影」 (1974年3月31日 神田共立講堂「アリス・セカンド・ライブ」) 「ほんとにどうもありがとう え、まさか…(笑)アンコールが来るなんて思ってなかったものですから 3人ともえ、びっくりしておりますけど、え、またなるだけ恒例のリサイタルでこれからもいろんな 趣向でみなさんのお目にかかりたいと思います。 アリスってのはやっぱりヒットが出なくてもがんばってるグループです。 えーでは最後になります、もう1曲みなさんにプレゼントします」(このあと「明日への讃歌」) (1975年12月23日 神田共立講堂 アンコール前のMC) 「最後はこの曲で。最後の曲です、大きな手拍子を 冬の稲妻!」 (初めて大阪で冬の稲妻」を本編ラストに歌った時のもの) (1977年12月19日 大阪厚生年金会館) 「どうもありがとう。「遠くで汽笛を聞きながら」、アリスというグループが続く限り、 きっとこの歌だけは歌い続けていきたいと思っています。こうやっていろんな人が この場所に、この一瞬に一緒にいるっていう、凄くうれしさってのを最近感じるようになりました。 ひょっとするとこのホールの中には体の悪い方もいらっしゃるかもわからないし、 でも、みんなが何か同じことに一生懸命になろうとしている。 そう言う瞬間を自分たちが生きている中で持てたって言うだけでも 凄く幸せだと思います。お別れの時間です。最後はこの曲を」(このあと「帰らざる日々」) (1978年12月23日 日本武道館) 「今日、始まる前に実は凄い不安がありまして、会場をずっと見渡して、 年齢の低い方がずいぶんたくさんいらっしゃてるんで、キャーとかワァ〜とか 言われるんじゃないだろうかと心配しておりまして… でも出て来て本当に我々の方が申し訳ないぐらい 静かに聴いていただけでうれしいと思います。 ただ、今日…あの・・飛行機で空港に着いた時になんかあの・・いっぱい人がいまして SLでも撮るようにバチバチバチ写真を撮りに来られて、凄く恥ずかしくて、 こう言う場所では他の人の迷惑になるからやめなさいと言っても、 わかってくれない人がいたりしまして、いつも喧嘩になる… あのー、車に乗る時とか、きゃーって言うのは我々アリスにとっては一番イヤな応援の仕方で、 ほんとにアリスを応援しようと思うんだったら、みなさんの今、いただいてる熱い拍手だけで 我々はじゅうぶんですし、そこからいなくなった瞬間には我々は普通でいればやれるように 自分たちではしたいと。音楽なんて別に特別な事でもないですし、 キャンディーズじゃないですけども、普通のおじさんっていう・・・・ あの・・いつもこうやって話してても、帰る時、車に乗る時、ギャーなんて言いながら、あの、 窓から手、突っ込んで頭、パンパンパンパン!って叩かれたり、…そんな事がありまして、 ぜんぜん通じてないな、なんて思ってガッカリする事もあるんですけども、 でも、今日はほんとに最後まで3人ともきっと同じ事を考えていると思います。 本当に静かに聴いていただいてありがとうございました。 最後の曲は、この曲をプレゼントします。」(このあと「帰らざる日々」) (1978年12月24日 大阪フェスティバルホール) 「そろそろお別れの時間が近づいてきまして、我々もまだ30年ほどしか生きておりませんし 人生の勝利者になったり敗北者になったりする瞬間というのが、みなさんにも、そして我々にも あると思います。いつも勝利者になりたいと思うものです。 でも、その勝利者は敗北者の悲しみを知っているかどうかで、その価値が決まる。 なんか、そんな気がいたします。お別れです、チャンピオン!」 (1979年2月12日 大阪府立体育館) 「どうもありがとう。「遠くで汽笛を聞きながら」って曲をお送りしました。 最後になる前に今日、このステージを作るために ほんとにいろんな人が関係してくれました 今日、会場の外にいるそんな一生懸命やってくれたスタッフに盛大な拍手をあげてください。 ありがとー!ありがとー!ありがとー!ありがとー!最後の曲みんなに送るからな!チャンピオン!」 (1979年7月28日 つま恋) 「ありがとうございます。今日、我々のために素晴らしい照明をしていただきました照明さん それから音を作ってくれた音響さん、そして主催してくれましたHADの畠山さん、 そしてこの国際会館のいろんなホールの関係者のみなさん、そういった裏方さんたちは 我々を支えてくださっています。そんな裏方さんたちにもどうか拍手を! 最後に何を歌おっかって考えました。3人でやろかって決めました。 この曲を送ります」(このあと「帰らざる日々」) (1979年10月22日 神戸国際会館) 「何年か前に、この「遠くで汽笛を聞きながら」を同じこのホールでべーやんが病気で倒れ、 ステージにて倒れてしまいまして、はじめて僕自身が歌ったっていう記憶がありまして、 なんかついこの間のような気がします。それが今、こうやって3人元気で…年はとりましたですけど 元気でステージできて良かったなぁ、いいなぁって思います。 ある週刊誌を読んでおりましたら、ひとりのボクサーがチャンピオンに挑戦して敗れたって言う記事が 載っておりまして、ただ見過ごしてしまえば、それだけの記事なんですけど僕も少しその方を 知っていたものですから、彼はかつて東洋の素晴らしく強いチャンピオンでした。 挑戦者は全てノックアウトで退け、そして相手の顔を打たない、そして勝っても顔も見ない、 可哀想だから…彼は言っておりました。 そのボクサーに友人が一人おりまして、あのライターの人間なんですけど、 その方に「優しいチャンピオンだったのですね」と言いましたら、彼は、 「違う。彼は弱いんですよ」と教えてくれました。その理由がよくわからなくて。 その後、彼は挑戦者に敗れてチャンピオンの座を追われました。 何年かのブランクがあって今年、31歳になって改めて彼はチャンピオンに挑戦いたしました。 友人のライターの努力もさる事ながら本人もその1戦に、ボクサーで31歳でカムバックというと 不可能に近いぐらいの大変さなんですけど、彼は夢を描いて韓国に渡りました。 そしてタイトルマッチで不運にも2回、相手のラッキーパンチをもらってマットに沈んでしまいました。 それを見届けていた、そのライターが日本に帰って来てお会いしました。 その時も僕は言いました「不運だったんですね」、 すると彼は「いいえ、彼は弱いんですよ」…そう答えてくれました。 もう一人の友人のカメラマンが彼が倒れてリングに仰向けになった無様な姿を ずっと冷酷に撮り続けながら「これから彼はどうするんだろう」と感じたっていう話をしておりまして 「多分、彼はよかったんじゃないかな」…ふと、そのライターが呟きました。 そのボクサーの名前をカシアス内藤、ライターの名前を沢木耕太郎といいます。 お別れです、チャンピオン!」 (1979年12月25日 大阪厚生年金会館) 「おおきに、紹介遅れました。ドラムス、矢沢透、よろしく! みんなー今、何時や? 7時15分?(客席から多くの時間を叫ぶ声)ん? よし、7時12分…?13分よし!、 次の曲、ラストです。いくよ!チャンピオン!」 (1980年8月8日 日本平) 「今、19分!昨日より7分遅くなりました。大丈夫! 知らせがあります。 この関係者、きのう見てくれてた人とか、警察の人とかみんな今日に限り、10分延長よろしい!って! みんなでありがとう言おうぜ! ありがとー!サンキュー! この2日間、がんばってくれたたくさんのスピーカー。今、鳴ってんのは3分の1しか鳴ってません。 後ろまで届けへんかもわかりませんけど、もうちょっと音響さんもがんばって、スピーカーも がんばってください。この曲いきます! チャンピオン!」 (1980年8月9日 日本平) 【このMCは「HOT JAM'80」でのもの。 野外コンサートで時間の縛りが厳しく時間に追われるフェスでした 野外コンサートだと関東でも東海でもちんぺいさんは凄い関西弁になる説】 「ステージでこう、歌うたえるってこと、みんなでちょっと話してた中で きんちゃんがチラッと言ったんですけど、難民キャンプとか、ああ言うところに行ってた時に 音楽がないんですよね。何も音楽がなくて、音楽のまるっきりない生活が、えー3日間ぐらい続きまして そして、久しぶりに都会に、というかちょっと都会の方に帰ってきた時に そこに音楽が流れておりまして、思わず涙が出そうになった… 普段、自分たちはひょっとすると音楽を聴き過ぎてるじゃないかな、だんだん耳が麻痺してきて やる事も、やる方も聴く方も感動がなくなってきてるのかも知れないね、なんて話をしておりまして 本当に、ふと空白の中から飛び出してきた音楽、凄く新鮮で衝撃的でした。 そんないろんな思いを込めて、最後の曲です。チャンピオン!」 (1980年9月3日 大阪フェスティバルホール) 【1980年8月29日のバンコクでのコンサート、そしてカンボジアの国境地帯に行ったアリスの3人。 9月1日に帰国してから初の日本でのコンサートでした。 この日の大阪のコンサートに本当に間に合って帰って来れるのかという不安も大きかったと コンサート本編の中でも話しています。「チャンピオン」前のMCの中では一番、異色かも知れない】 「あの、昔はギャーっと言われるのがうれしくってね、誰が一番ギャー言われたかいつも言い合いして そのうち、歌ってる最中にギャーギャー言われると俺たちは何をしてるのやろってこう不安になって 来たりしてまして、そのうち俺たちも一生懸命歌うから、みんなも一生懸命聴いてくださいって 言い始めて、みんなも凄いわかってくれて、そんな方も10年経って、そしてまた10年後の未来も 自分たちと同年代ぐらいの方が客席にいらっしゃる…すごいうれしい事だと思います。 我々、アリスってグループは目的っていうのは見えないんですけど、でも少しずつその目的に 向かってる事をやっていこうと思っています。 誰かが何かをしようとすると必ず足を引っ張りに来る、彼らはいつも机の前でナンセンスだとか いろんな事を言ってくるけども、一流の評論家より自分たちはいつも二流のずっと創作者でいたいと 絶えず思っております。 ひょっとするとまた10年後にこのメンバーで、このお客様で会えればいいなと思います。 お別れです。チャンピオン」 (1981年2月2日 神戸国際会館) 【このMCは、この時点でアリスの活動停止は決まっていたのじゃないかと思えるMCです。 この日が神戸での活動停止前のコンサートでした。最後の「謀反ツアー」には 神戸公演がありませんでした。それも分かっていて、10年後にこのメンバーで、お客様で会えれば なんて言ったのじゃないかと思う。最後の神戸公演だと3人もわかっていたからか、 いつもと何か違った空気を確かに感じました。 「おおきに!「遠くで汽笛を聞きながら」自分たちずっと歌い続けてきた歌です。 残念やけど、そろそろお別れです。最後はこの歌が一番ええやろと思います。チャンピオン!」 (1981年10月18日 横浜スタジアム) 「そろそろ最後です。ノリ残しないな。行くぞ! 今日は本当にたくさんの拍手、ありがとうございました。そして多分、聞こえていると思います。 周りの家の方、ご迷惑おかけしました。すみません!最後です、チャンピオン!」 (1981年10月25日 甲子園スタジアム) 前に一度、アリスのコンサート時の「陽はまた昇る」と「昴」を歌う前のソロコーナーのMCをいくつか 書いた事もあったと思う。 ![]() ![]() ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2026年01月18日 06時35分15秒
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