「初恋のきた道」(1999年、中国)
「初恋のきた道」(原題:我的父親母親、英題:Road Home)は、1999年公開の中国のドラマ映画です。パオ・シー(鮑十)の同名小説を原作に、チャン・イーモウ(張芸謀)監督、パオ・シー(鮑十)脚本、チャン・ツィイー(章子怡)ら出演で、厳しくも美しい中国の農村の四季を背景に、一途な少女の初恋の成就とその顛末をみずみずしく描いています。ベルリン国際映画祭で銀熊賞(審査員グランプリ)を受賞した作品です。 「初恋のきた道」のDVD(楽天市場)【スタッフ・キャスト】監督:チャン・イーモウ(張芸謀)脚本:パオ・シー(鮑十)原作:パオ・シー(鮑十)著「初恋のきた道」出演:チャン・ツィイー(章子怡)〜チャオディ(招娣)若き日の母 チョン・ハオ(鄭昊)〜ルオ・チャンユー(駱長余)若き日の父 スン・ホンレイ(孫紅雷)〜駱玉生(ルオ・ユーシェン)私(語り手) チャオ・ユエリン(趙玉蓮)〜チャオディ(招娣)老年の母 ほか【あらすじ】都会で暮らすユーシェン(チョン・ハオ、鄭昊)は、父の訃報を聞き、母のいる故郷の小さな農村に帰郷します。父は40年以上にわたってこの村の小学校を一人で支えた教師でしたが、校舎の建て替えの為に街に陳情の出かけた際に心臓の発作で急死してしまったのです。皆で棺を担いで葬列を組み、村まで歩いて連れ帰るのが古くからの習わしでしたが、村長達は村の若い衆が街に働きに出ているので遺体はトラクターで運ぶしかないと言います。しかし、母のチャオディ(チャオ・ユエリン、趙玉蓮)は、伝統通りに棺を担ぐと言い張ります。そんな母を眺めながら、ユーシェンは若かった両親の出逢いに思いを馳せます。母のチャオディ(チャン・ツィイー、章子怡)が18歳の頃、この村に初めて小学校が建つ事になり、20歳の青年チャンユー(チョン・ハオ、鄭昊)が街から教師としてやってきます。一目惚れしたチャオディは、自分の数少ない服の中から華やかなピンクの服を選んで着替えます。自由恋愛が稀な古い時代の片田舎では、そのようにアピールするしかありませんでした。チャンユーと村の男達は総出で校舎を建て始め、村の女達は家で昼食を作って持ち寄ります。チャオディも心を込めて料理を作り作業現場に運びます。純朴で学もない彼女に出来る事は、水汲みやキノコ採りの際にチャンユーとすれ違う事ぐらいでした。チャンユーも、村に着いた時に見た赤い服のチャオディが目に焼き付いていました。しかし、チャンユーは文化大革命の混乱に巻き込まれ、街へ連れ戻されてしまいます。チャンユーは、赤い服に似合うヘアピンをチャオディに贈り、村を去ります。高熱を押してチャンユーを探しに街へ行こうとしたチャオディは、道すがら倒れてしまいます。二日間、眠り続けたチャオディが目覚めた時、授業をするチャンユーの声が小学校から聞こえて来ます。チャオディの病気を伝え聞いたチャンユーは、連れ戻されるのを覚悟で町から無断で戻って来たのです。若かりし父母の追想から我に返ったユーシェンは、町から続く道が母にとって意味深いものである事に気付き、人を雇ってでも葬列を組むよう、村長に頼み込みます・・・。【レビュー・解説】中国の大地の圧倒的な厳しさ、美しさの中で、生涯をかけた母の初恋の成就と父による村の子供達の教育を通して人間の愛の営みを描いた、自然と人間愛の本質を感じさせる、シンプルながらも感動的な名作です。自由恋愛がご法度だった中国かつての中国では、結婚相手は親や媒酌人の推薦で決まりました。恋愛はご法度で、学生の恋愛が発覚すると退学処分になったりしました。その後、開放政策が進むに従って自由恋愛が認められるようになりましたが、この映画の舞台となった時代の自由恋愛は極めて珍しいものでした。この映画が公開された1999年は、中国の市場経済が急成長し世界の工場と呼ばれ始めた頃で、自由経済の発展に伴って人々の考えも大きく変化した時代です。そんな中で、本作が描く初恋、自由恋愛の成就は、当時の中国の若者たちの心を大きく揺さぶったものと思われます。モノクロームで描かれる現在1960代〜70年代の文化大革命の後、中国は開放政策を推し進め、社会主義市場経済を導入、大きな経済発展を遂げます。機械化、自動化も進展し、社会形態も農村中心のゲマインシャフト(地縁社会)から、都市中心のゲゼルシャフト(契約社会)へと移行していきます。本作の舞台は1990年代後半で、映画はモノクロームで始まります。語り部の駱玉生(ルオ・ユーシェン)は故郷を離れ、都会で暮らしています。経済発展の恩恵を受けて羽振りの良い生活をしているのでしょう、父の訃報を聞いて帰郷する彼はクライスラー社製のジープ、チェロキーを運転しています。昔ながらの中国農村部の家に住む母の家には、映画「タイタニック」(1997年)のポスターが貼ってあり、中国の片田舎の山村まで市場経済の波が押し寄せていることがさりげなく暗示されます。壁に貼られたハリウッド映画のポスターが、片田舎の山村まで押し寄せる市場経済の波を暗示する駱玉生(ルオ・ユーシェン)に父の最後の様子を伝えた村長が、父の遺体を車ではなく、病院から担いで帰したい、自分を付き添いたいと母が言い張っていると言います。これは故人に家路が見えるようにし、山を越え、道を曲がる度に遺体に声をかけ、家路を忘れないようにというしきたりに基づくものですが、開放政策が進んだ今、村の若い衆は皆、街に働きに出ており、人手が集まらないので、かつてのように棺を担ぐことができません。かつて子どもたちを教える父の声を聞きに通った学校の前から動こうとしない母を説得、自宅に連れ戻した駱玉生(ルオ・ユーシェン)に、母は棺にかける布を織ると譲りません。かつては村の行事がある度に機織り機で布を織ったものでしたが、今ではどこの家にも機織り機は残っておりません。駱玉生(ルオ・ユーシェン)は実家の壊れた機織り機を担いで村の古老を訪ね、修理してもらいます。修理を終えた機織り機で母が布を織るのを聞きながら、駱玉生(ルオ・ユーシェン)は村の人々に語り継がれた父母の出会いに思いを馳せます。鮮やかなカラー映像に切り替わり、父母が出会った頃に遡って母が機を織り、父の棺を担いで家路を辿ることにこだわるに至った理由が、描き出されていきます。鮮やかな色彩で描かれる若き父母の出会い現在が描かれる序盤と終盤が厳しい現実を暗示するモノクロームであるのに対して、中盤の生命感溢れる回想シーンは鮮やかな色彩で描き出されます。特に、若き父が紅葉の中を子どもたちと歩くシーンと、その若き父を目で追いながら白樺林の中を走る若き母の美しさが圧巻です。紅葉の中を子どもたちと歩く若き父若き父を目で追いながら白樺林の中を走る若き母紅葉の美しさをこれほど芳醇に描いた作品は滅多にありません。私が記憶する限り、フランス映画の「うつくしい人生」(1999年)くらいです。奇しくも同じ年の公開ですが、農家を描いていることも共通しています。秋が冬に向けて枯れる季節ではなく、豊かな収穫の季節であることを意識しなければ、これほど芳醇な美しさを描き出すことはできないでしょう。また、繰り返し映し出される水汲みや炊事のシーンも、生命感が感じられます。この時代の不便な生活の方が、むしろ生き生きと人間らしく暮らせるのではないかと感じさせるほどです。現在の冬は暗く陰鬱だが、回想シーンでは冬も美しく描かれている村の子供達を教える為に街から馬車でやってきた若き父に、若き母は一目惚れします。若き父と子どもたちの為に新築される校舎の梁に巻く赤い布を村一番の美しい娘が織るという栄誉を勝ち得た若き母は、丹精を込めて布を織ります。この時代、どこに家にも機織り機があり、こうした特別な行事の度に布が織られたわけですが、これが冒頭、老いた母が父の棺の掛ける布を織ることにこだわることに繋がっています。自由恋愛か、反体制か本作のチャン・イーモウ(張芸謀)監督は、1987年に「紅いコーリャン」で映画監督デビュー、第38回ベルリン国際映画祭で金熊賞(作品賞)を受賞しています。当時としては進歩的な主題に学生たちの人気を博しましたが、中国政府の受けはあまり良くなく、天安門事件(1989年)以降、政府との関係が悪化します。続く「菊豆」(1989年)も、第43回カンヌ国際映画祭でルイス・ブニュエル賞を、第48回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞(監督賞)を受賞、また、第63回アカデミー賞では香港からのエントリーでだ外国語映画賞ノミネートされるという快挙を成し遂げますが、本国の中国では性的であるという理由で上映禁止となります。その後、「秋菊の物語」(1992年)では、歴史的、寓話的な題材から離れ、自身の為に闘う小作人の女性を主人公にした、現代的で現実主義的なドラマに転じ、政府との関係が徐々に改善され、中国映画のスポークスマン的な立場を得るまでになります。本作が描く自由恋愛の成就は、当時の中国の若者たちの心を大きく揺さぶったと思われますが、男性に依存した女性の生き方に批判的な欧米ではむしろ反政府的な要素が評価されているようです。これは恐らく、国際的な実力を持つチャン・イーモウ監督はかつて中国政府と対立していた本作では、市場経済が導入された現在を寒々としたモノクロで描いている資本主義文化に批判的だった文化大革命時代をカラーで芳醇に描いている機織り、葬列など、文化大革命時代の慣習を懐古的に描いているといったことによるものと思われます。私自身は、文化大革命の混乱で街に連れ去られた恋人を、身を挺して呼び戻した街で校舎建替えの陳情という、いわば政治的な局面で客死した夫が迷わぬようにと、昔ながらの葬列を組んで故郷に連れ帰ったことから、むしろ政治に距離を置く作品のように感じましたが、こうした様々な解釈が可能であることは、本作が名作である証左かもしれません。また、本作のタイトルが、我的父親母親(原題)The Road Home(英題)初恋の来た道(邦題)と、地域によって微妙に異なることも興味深いところです。因みに、チャン・イーモウ監督は自身の作品に「反政府的」とレッテルが貼られることに抗議して、本作のカンヌ映画祭への出展を取り下げています。中国での制作を志すチャン・イーモウ監督にとって、例え解釈のひとつとしても「反政府的」とレッテルが貼られることは我慢ならなかったのかも知れません。多様な感動をもたらす名作親や媒酌人の推薦で結婚相手が決まるという封建的な慣習から逃れたかった中国の若者たちは本作の自由恋愛に心を揺さぶられたであろうし、男性に依存する女性像を良しとしない欧米の人々はむしろ本作の反政府的要素を評価するなど、見る人によって感じることは様々です。かくいう私は、中国の圧倒的な自然の厳しさ、美しさの中で、生涯をかけて初恋の成就させた両親の一途さに、自然と人間の愛の営みの本質のようなものを感じました。このように、人々は同じ作品を見ても、置かれている環境や、生きている時代によって感じることが異なるのでしょう。例えば本作が公開された頃、中国の封建的な婚姻の仕組みの中で若者たちは自由恋愛を渇望していたわけですが、今では中国でも自由恋愛が当然になりつつあります。もう一世代も過ぎ、親も自由恋愛、子も自由恋愛が当然という時代になれば、中国の人々がこの映画に感じることも、また異なっていくのではないかと思います。初志貫徹、夫唱婦随、生涯をかけて初恋を成就させる夫婦の一途さや、一貫性といったものに私は心動かされたわけですが、実は人間は生物学的には乱婚だそうで、一生、添い遂げるのが美徳というのは、もしかしたら封建的な倫理の名残なのかもしれません。今後、女性の経済的な自立が進めば、こうした一途さや一貫性よりも、未婚、離婚、再婚、実子、養子など、多様な人間関係の中で柔軟に生きることが、日本でもより評価される時代がやって来るかもしれません。そんな時代の日本人が本作のどこに感動するのか、とても興味深いです。チャン・ツィイー(章子怡)【撮影地(グーグルマップ)】豊寧壩上草原舞台は中国北部の三合屯という村だが、撮影は北京から230キロほどの河北省豊寧满族自治県にある壩上草原で行われている。秋には、爽やかな空に雲が点々と漂い、駿馬が疾走し、小川が流れ、シラカンバがうっそうとした美しい風景を見ることができ、本作でもその美しさが余すところなく引き出されている。 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