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カテゴリ:ち~やん
最近読んだ本に
【楽天ブックスならいつでも送料無料】ぼくが正観さんから教わったこと [ 高島亮 ] 小林正観さんのお嬢さんことが書かれてました。 -------- 正観さんが結婚して三年後、33歳の時に待望の赤ちゃんが生まれます。長女の慶子ちゃんでした。ところが慶子ちゃんには、生まれつきの障害のあることが分かりました。それを聞いたときに、正観さんはショックのあまり視界から色がなくなってしまいます。目に映る形式がモノトーンに変わり、苦悩の日々が続きました。 それから半年あまりたったある日の夕方、新聞の夕刊で、「障害児が生まれるのは、600人に一人の割合」という記事を見つけます。ちょうど正観さん一家が暮らす団地が約600人。障害児は、慶子ちゃん一人でした。その記事を読んで正観さんは思いました。 「慶子がよその家でなく、うちに生まれてよかった。小林家なら、障害があるからといって邪魔物扱いすることはないし、明るく暖かく育ててあげられる。うちに生まれてくれて本当によかった」 その瞬間、色が戻ったそうです。 おそらく、これは正観さんの第一の悟りでした。価値観の大転換です。 それまで正観さんは、慶子ちゃんの障害を認めることができませんでした。なぜ、わが子がこんな運命に遭わなければいけないのか。慶子ちゃんはかわいいけど、それを受け入れることはできなかったそうです。それで色が失われたのでした。 しかし、よその子と比べる必要はない、この子はこの子のままでいい、この子がうちに生まれてくれてよかったと思えた時、障害も含めて慶子ちゃんをそのまま受け入れることができたのです。 思い通りにならない現実に対して、こうでなければ嫌だという思いを手放すことで、その現実を受け入れることができた。それはおそらく、釈迦の体験にも通じる深い体験でした。釈迦の教えは「受け入れることで、苦悩煩悩から離れることができる」というものです。きっと正観さんも「受け入れる」ことで悟りを得たのです。 ------- 第2の悟りも慶子ちゃんによってもたらされました。 ある年の運動会の日、正観さんの奥さんが出掛に「今日は、はじめて稽古がびりでないかもしれない」と言いました。身体も他の子よりずっと小さかった慶子ちゃんは、運動会の徒競走ではいつもビリでした。ところがその年は、同じクラスで足を怪我してしまった子がいて、慶子ちゃんと同じ組で走るので、ビリを免れるかもしれないということだったのです。 運動会を終えて帰ってきた時、慶子ちゃんは笑顔でした。ついにビリを脱出かと思いきや、確かめるとやっぱりビリだったとのこと。でもこんなことがあったと奥さんが話してくれたそうです。 慶子ちゃんはケガの子より早く、そのままゴールかと思った瞬間、その子が転んでしまった。それを見て、慶子ちゃんはなんとコースを逆戻りしてその子を助け、手を引いて一緒にゴールまで走った。そしてその子の背中をポンと押して先にゴールインさせたのでした。 そんなけいこちゃんの姿を繰り返し目のあたりにして、正観さんは考えに考えます。 自分はこれまで、人より優れていること、努力して力を高めることが大事だと思ってきた。人と競って、人に負けないように、必死でがんばることに価値観を置いてきた。 でもそれはちがった。 慶子ちゃんは、障害があり、能力的には人より劣っている部分が多いかもしれない。でも人と競ったり、争ったりはしない。いつも笑顔で天真爛漫にしているだけ。ただ喜ばれるだけの存在だった。それで本人もまわりもとても幸せでいられる。 人間とは本来そういうものではないか。人生の目的とは、競って、比べて、争って、人より抜きん出ることにあるのでも、自分の力で何かを成し遂げることにあるのではない。 ただ「喜ばれる存在になる」こと、そこにこそ人生の本質があるのではないか。 慶子ちゃんの「喜ばれる」姿によって、またもや価値観の大転換が正観さんにもたらされたのです。 ----------------- 自分はち~やんの障害を受け入れるのに10年近くかかり、まだまだ人と比べてしまう 悟れないなぁ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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