遠州中山峠 新春東海道歩き
年末年始、地元兵庫県への帰省の帰路、滋賀県の八幡山城(近江八幡城)に続いて、静岡県の旧東海道の難所、中山峠を歩いて越えて来た。旧東海道歩きのスタートはJR掛川駅から。「道の駅掛川」付近から旧東海道に入り、初詣で賑わう掛川のパワースポット「事任八幡宮」へ。事任(ことのまま)八幡宮は、願い事がそのまま叶うという言い伝えがかり、私も諸々いっぱいお願いして来た。事任八幡宮を過ぎると、旧東海道は日坂宿の宿場町に入り、宿場町の面影が保存されている街並みを歩いた。高札場の跡 江戸時代の面影を残す旅籠「川坂屋」本陣「扇屋」の跡は学校のグランドになっていた。日坂宿の宿場町を過ぎると、旧東海道の難所「中山峠」への登り坂が始まる。以前読んだ池波正太郎の小説「真田太平記」の「遠州中山峠」の項で、徳川方の甲賀忍者と真田の草の者(忍び)が、徳川家康の上洛途中の襲撃計画をめぐって、日坂宿と中山峠の間で戦う場面があり、今回中山峠へ歩きに来たのも、その場面を妄想しながら楽しむため。物語はフィクションなので、歴史上、本当に忍者同士が中山峠で戦ったのかは知らないけど、オッサン版の聖地巡礼としては十分楽しめる。日坂宿から中山峠へつづら折りの急坂を登る。 歩きながら忍者同士の戦いに妄想が全開。中山峠は標高はそれほどでもないのだが、牧の原台地と呼ばれる前後の高低差が激しく、道幅も狭く急峻な登り下りが続くため、東海道の中では箱根や鈴鹿峠と並ぶ難所であったとされ、その昔は山賊まで出るような危険な場所でもあったらしい。急坂を登りきると竹林と茶畑に囲まれたなだらかな道になった。茶畑の中をゆっくり進む。中山峠の頂上、小夜の中山公園に到着峠の茶屋「扇屋」で休憩。名物の「棒あめ」を舐めて糖分補給中山峠を過ぎると急な下り坂が菊川の里まで続くが、菊川の里からは、保存、復元された石畳の上り坂が連続する。石畳の坂を上りきると、室町時代末期に武田勝頼と徳川家康が激しく争った諏訪原城の跡がある。諏訪原城は現在の静岡県島田市に位置し、1573年(天正元年)に駿河から遠江への進出を狙う武田勝頼が築いた山城で、駿河、遠江の国境で武田勝頼と徳川家康が争ったときには、現在の掛川市にある高天神城と共に重要な戦略拠点となった。諏訪原城や高天神城を拠点に、積極的に遠江への攻勢を掛けた武田勝頼だったが、1575年(天正3年)の長篠の戦いで、織田・徳川連合軍に敗退した事で一気に力を失い、諏訪原城も徳川家康のものとなってしまった。1582年(天正10年)に武田氏が甲斐で滅亡すると、諏訪原城は戦略的な意義を失い廃城に。現在は城跡の建物などは残っておらず、曲輪の跡や土塁、空堀の遺構が保存されるのみとなっている。諏訪原城跡からは、富士山の姿をハッキリと望む事が出来た。かつて東海道を下って来た旅人たちも、ここからの富士山の姿を見て、いよいよ駿河の国までやって来た事を実感した事だろう。諏訪原城を過ぎると、次の金谷宿まではひたすら下り坂。今回の旧東海道歩きは、金谷宿の外れにあるJR金谷駅がゴール。金谷駅からは再び電車に乗って、横浜の自宅まで居眠りしながら帰った。