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カテゴリ:名所・旧跡
年末年始の兵庫県への帰省の帰路、
滋賀県近江八幡市にある、 八幡山城(近江八幡城)へ寄って来た。 JR近江八幡駅で下車し約2.5km離れた城下町へ。 ![]() 八幡山城(近江八幡城)は、 1585年(天正13年)に豊臣秀吉の甥、豊臣秀次が築いた山城で、 織田信長の死去後に荒廃してしまった安土城に代わって、 近江国の支配を安定させる事を狙って築城された。 城下に建つ豊臣秀次の像 ![]() 八幡山城(近江八幡城)は山上に築かれた戦闘用の城郭と、 山麓に置かれた居館や発達した城下町などの二分された造りが特徴で、 近年、テレビドラマの撮影などで有名になった「八幡堀」も、 この城を構成する一部となっている。 城の防御としての役割に加えて、 琵琶湖と通じて水運を担った「八幡堀」。 ![]() ![]() 八幡山の山上にある城跡へはロープウェイを利用。 ![]() ![]() ロープウェイの山頂駅を降りると城跡の石垣が広がり、 大規模な築城であった事を感じる事が出来る。 本丸跡の石垣 ![]() ![]() 城跡に現存する建物は残っていないが、 現在の本丸跡には村雲御所瑞龍寺門跡があり、 たくさんの人が新年の参拝に訪れていた。 ![]() ![]() ![]() 西の丸の石垣 ![]() 西の丸から見た琵琶湖と比叡山の眺めは絶景 ![]() 西の丸の先、出丸からの近江八幡の町の眺め ![]() 東側を見ると安土城から伊吹山までが一望出来る ![]() 豊臣政権下で重要な役割を担った八幡山城(近江八幡城)だが、 豊臣秀次の次に城主となった京極高次は、 築城から10年後の1595年(文禄4年)、 秀次の切腹(殺生関白事件)とともに居城を大津城へ移し、 あっと言う間に城としての役割を終え廃城となってしまった。 城が移った後も近江八幡は商業都市として発展し、 近江商人発祥の地となったが、 わずか10年の栄華に終わった山上の城跡との対比は、 歴史好きにとって情感を誘われるのだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025.01.06 21:13:38
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