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カテゴリ:名所・旧跡
京都での歴史歩きの最後は、
三条京阪近くに残る幕末の史跡を巡ってみた。 坂本龍馬が海援隊京都本部を置いた材木商「酢屋」 ![]() 「酢屋」は現在も木材を取り扱う商売を行っていて、 業態を変えながらも当時の流れが今に繋がっていること自体がすごいこと。 龍馬たちが潜伏した2階のスペースは公開されていて、 見学させてもらう事が出来た。 (ただし、室内は撮影禁止) 「酢屋」の前には「坂本龍馬遇居之址」の石碑が建っている。 ![]() 「酢屋」から歩いてすぐ、 直線距離だと100mも無い距離にあるのが、 「池田屋事件」の舞台となった「旅籠池田屋」 ![]() 現在は三条通りに面して石碑が建つだけだが、 跡地はチェーン居酒屋のはなの舞が屋号を「池田屋」にして営業している。 ![]() ちょうど昼時だったので昼食をと思ったのだが、 ランチ営業はやっていなくて残念。 是非とも夜の営業時間に行ってみたいものだが、 お酒飲んでて新撰組が斬り込んで来たらどうしようかと、 早速アホな妄想が全開になってしまう。 「池田屋事件」の時に、 池田屋で会合を開いていて新撰組に襲撃された志士のうち、 一部が逃走して駆け込んだ長州藩邸は、 現在の京都市役所のあたりにあった。 ![]() 三条通りと河原町通りを通れば2~300m、 徒歩わずか5分程度の距離だが、 逃げ切ってたどり着いた者は僅かで、 たどり着けても受けた傷が重くて絶命した者もあり、 それだけ新撰組の奇襲が凄まじかったのだろう。 池田屋から長州藩邸の方向とは反対側、 高瀬川沿いにあったのが、 こちらにも幕末維新の中心となった土佐藩の藩邸。 ![]() この場所に藩邸が設けられたのは、 高瀬川の水運を利用した商業的な目的が大きかったのだろうが、 幕末は京都の政治的な価値が高まった事もあり、 大政奉還から明治維新にかけて、 土佐藩邸も重要な役割を担う事になった。 大政奉還前後、 土佐藩参政後藤象二郎もこの場所を歩いていた事だろう。 池田屋がランチ営業をやっていなかったので、 この日の昼食は四条河原町にある蕎麦屋で京都名物の「にしん蕎麦」を。 ![]() 冷たいビールとともに、 ゆったりと京都気分を味わって、 その後は兵庫県へ移動した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025.03.14 11:33:10
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