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…というテーマが最近頭から離れません。
先日彼が、そういう関係を持つことにより私がよりいっそう苦しむことになるのならば、そうならない会い方をしてみよう、と提案してきたからです。 自分が好きな人といるときの姿と、夫に対して接しているときの姿を一歩離れて見つめると、自分が好きな人といるときに自分が心地よく、開放的であり、そのイメージが具体的であるほど、夫に対しては相手を排除しようとし、寄せ付けず、自分を閉じてしまうような気がしたのです。 もちろん、手抜きながら、主婦としての役割は果たしていますし、忙しい夫にはできようもない育児もそれなりにきちんとしていますし、夫が安心して帰ってこられる場所を守ってはいます。 でも、私は夫との精神的、肉体的なつながりを、ほとんど完全に放棄しようとしています。 結婚、という契約関係の権利と義務を最低限履行することしかしていません。 こんな自分に気がついたとき、私はもうひとつのことに気がつきました。 私は、父の宿命を受け継いでいるのです。 家族を最愛の存在としながら、家族に心を開くことがほとんどなかった父の…。 … 途中、非公開 … こんな風に考えてきたら、答えが少し見えてきました。 どっちだって構わない。 私が満たして欲しいのは、性欲ではない。 そんなものはずっと前にあきらめてしまった。 自分という人間をありのままに知り、受け止めてくれる人と、現実に対面したときに、もしそこに自然な流れがあって、お互いの望みが一致したなら、言葉によってありのままの自分をさらけ出すことの延長としてそういう関係になればいいし、そこに何かの力が働いて、その動きを止めることになれば、それはそれでいい。 なんだかモラルのかけらもないような発言に聞こえるかもしれないけど、そもそもモラルってなんだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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