久米島の偉人伝説 その1
リヤカー式の屋台でおでんをつまみながら一杯飲むサラリーマンの光景は沖縄では見かけない。沖縄はたぶん全国で一番屋台が少ない県ではないだろうか。特に久米島のような離島では皆無に等しい。ところが実は昔、久米島にも屋台があったのだ。それは今から約60年程前、終戦直後のことである。ある一人の若い娘、年は二十歳前?が屋台の店をオープンしたのである。その屋台は那覇でわざわざ特注したもので、それはそれはたいそう立派なリヤカー式のものだったらしい。久米島の繁華街に芝居小屋があった。娘はちょうどその横で屋台を始めた。場所がよく客は多かった。商売は繁盛したかのように見えた。しかし、、、、、、、当時は終戦直後で村人たちはみな貧乏だった。しかも お腹は空いている。客の多くはツケで飲み食いするのであった。その娘は文句も言わず一生懸命働いた。働いても働いても金が溜まるわけではない。結局、店はつぶれてしまった。 まるで ”おしん” のようなこの娘はいったい誰だ?今尚、ご健在なら年は80近い。さらに調査を進めているいちに、ついにその娘を発見!な、なんと、、、、、糸数民宿のオバーだった。 久米島の「おしん」に感動した人は一発ありがとうございます。--------お知らせ--------Tシャツが完成しました。もうすっかり秋になったけど、海人とーちゃんのTシャツを着ればまだまだ心は夏!海人とーちゃんの元気が出るTシャツ!