診断・検査
2002年 1月24日 究極のがん専門病院へ両親と一緒に行く。勿論9:00前に着いたが、頭頸科の受付のAさんは新患が来るとは知らなくて、「今日H先生は診られません。」と言う。少し口論気味となったが、AさんがH先生に新患の話をすると、すぐに診察をしてくれた。先生同士の連絡は他の人が全く知らないので、一時混乱するものだと分かった。 H先生は部長だった。今までの経緯を話し、H部長(主治医)は事前記入した問診票に目を通した。そして、やっぱりここでもファイバーをした。勿論喉麻酔を十分にして。 ファイバーの画像を見ながら、「(癌で)塞がってるね。本当はこっち(もう片方側?の下咽頭)と同じように開いてなくちゃいけないんだけど。よくこれでご飯食べられたね。」と言われた。 私がファイバーをしている姿を見たのと、ファイバーの画像(癌の拡がり具合)を見て両親は泣き崩れていた。私は怯えていたが泣く事もなく、ただ放心状態だった。頭の中は真っ白だが、何とか冷静さはある。 主治医:「進行癌で、下咽頭癌です。この病気は60歳以上でお酒やタバコを好む男性がなるんだけどね…。50代でも若い方なのに、28歳で発症とは…。私が診た患者さんで20代でこの癌になった人が1人います。26歳で発症した患者さんは、お父さんも同時期に同じ癌を発症しているから関連性は分かるんだけど…めぐマグさんの場合はちょっとね…。偏食はあるんだね?結婚はしているんですか?」 私:「野菜が嫌いで…。結婚はしていないです。」 主治医:「肺に転移しているともう治療はできません。転移していなければ、治療は3つやります。手術・放射線・化学療法です。どれを先にやるかはこれから考えます。手術は腸を上(下咽頭)に持ってきて、声(喉頭)を失います。だけど、声がなくても食道発声という発声法があって、若いからこの発声法ができるでしょう。食事は今までと同じ物は食べられなくなります。とりあえず今日は採血(一般採血・腫瘍マーカーなど)と肺のレントゲン、CT(肺の単純CTかな?)、肺機能、心電図をして下さい。これからちょっと私は学会があって空港に行かないと行けないので、あとはT先生が話してくれますから。」 主治医は9:30には外来を終えて外出しなくてはいけないのに、9:45まで時間を取ってくれた。 その後はT先生に手術の話などを聞き、診察が終わると、父は看護婦さんから検査場所や検査順番などを聞いていた。私は放心状態のまま、検査をこなしていった。 ただ、肺に癌があるともう治療法はないと聞いたから、私は「肺には自信があるから、大丈夫だよ。」と両親に声を掛けた。根拠はないが、その時はすごく自信があった。 主治医は【下咽頭癌】と言ったが、Gセンターを紹介したR病院では甲状腺癌と言われた。R病院では下咽頭癌と分かってて、私には言えなかったようだ。でも、母には下咽頭癌と言っていた…。 この日はファイバーで下咽頭が塞がれた画像を見て、食欲が失せる。お粥や軟らかい物を食べるが、体力維持の為にカロリーメイト(飲料)や高カロリーのゼリーも食べる。低カロリーゼリーもあるという事をお店で知り、間違って買わないようにkcalをよく見て買った。 1月25日 Gセンターで胃のバリウム検査。初バリウムは甘い味がした。 元々、炭酸飲料は飲まない方なので、バリウムの後に炭酸を飲まされて、キツイ。朝食抜きだから、バリウムは美味しく感じるけど。 検査の途中でバリウムがなくなり追加され、もう1度炭酸を飲み、すぐにゲップをしてしまう。 バリウム検査は、バリウムを飲んでグルグル回されるのと、炭酸のゲップが我慢できないのと、下剤を飲んで便をだすという3つが原因で嫌になる人が多いのだろう。私はファイバーよりマシな検査だと思ったが。 1月26日 Gセンターで28日に全身麻酔で行う食道直達鏡(喉カメラ)の説明。 麻酔科の先生に麻酔の説明を受ける。血圧と体温を測る。 気付かなかったが、微熱が出ていた。 熱が高いと食道直達鏡ができないので、体調管理をしっかりするよう、言われる。 1月27日 日曜だから病院へ行く事はなく、この日は会社に荷物を取りに行く。 癌が分かった時点で上司には休む事を話していたが、父がそれ以前に根回しして私の上司に病気の事や職場復帰は難しい事を告げておいてくれたし、この日1人で荷物整理をしたい事も告げておいてくれた。会社にはいろいろ気を遣って頂き、誰も出社していない。手紙とお守りが私の机の上にあった。ありがたい。 淡々と荷物や書類整理をした。荷物は山のようにあり、書類は私がいなくても分かるように整理はしたつもりだが…どうだろうか。 1月28日 食道直達鏡の検査。担当はT先生。 下咽頭癌は食道に別の癌(多重癌)が発生しやすい。食道癌は間隔を置いて点・点・点と拡がるので、どうしてもこの検査が必要。 13:30からの検査の為、外来処置室で検査着に着替えストレッチャーに乗る。 肩に全身麻酔が効きやすい注射を打たれる。この注射は26日に麻酔科の先生にお願いした注射だ。注射は筋肉注射だから、とても痛い!筋肉注射後は「揉んで下さい」と看護婦さんに言われ、ひたすら揉む。 ストレッチャーで処置室を出ると、両親が寄ってくる。「行ってくるよ。」と声を掛けた。もうそれからは、何も記憶にない。筋肉注射が効きすぎたのか? 目が覚めたのは、夕方ICUで。 麻酔から覚めて水を飲むと右側の喉が痛い(右側の下咽頭しか開いていないからだ)。 看護婦さんに「(具合)どうですか?」と聞かれ、足をバタバタ動かして「足が動くから帰れる!」と訳の分からない回答をした…でも、実際歩くとふらつく。 その夜は唾液を飲み込むのが今迄以上に辛く、殆ど寝られない。布団の横に洗面器(汚物入れ)を置き、ティッシュを口にくわえて唾液を吸わせるようにする。 この痛みは3日すると消えるらしい。痛み止めとして座薬のボルタレンを処方してもらう。本当にこの薬は効いているのだろうか…ちょっと不安。喉の痛みは完全には消えない。 1月29日 昨日の食道直達鏡で暴れていたせいなのか、全身筋肉痛。咳をして痰を出すのがとても辛い。 頭頸科受診。ファイバーをまたやる。 核医学ではガリウム注射をする。 この注射は全身の内臓検査をする薬剤。微量の放射線を放出する薬剤を投与して、3日後、癌や異常のある内臓に放射線が集まり、画像で診断する。内臓の核医学は半年に1回しか出来ないと聞いた。 (余談:よく核医学で骨シンチを聞くが、これは投与3時間後には検査ができる。核医学と云っても、10種類以上の検査がある。) その後はMRI。前日の食道直達鏡で唾液を飲み込むのが困難だが、MRIをやる。 唾液で口の中がいっぱいになり、かなり焦る。 20分後起こされ、造影剤を入れられる。MRIでも造影剤を使うのを知った。 合計40分の検査終了後、思わず「昨日喉カメラをして、唾液飲むのが辛くて…」と愚痴ると、技師さんが「え~っ、カメラの後にMRIだったら辛かったね。」と言ってくれた。 私の場合、緊急で検査しているので、検査計画に文句を言える状況じゃないけど、辛さを分かってくれる人が居た事でちょっと満足。 1月30日 頭頸科受診。超音波(エコー)をやる。 相当拡がっている事と、手術をしても食道発声があるという事と、今までと同じ物は食べられない事をT先生に言われる。 ここ2日、熱が38.0℃ある事を告げる。座薬のボルタレンは鎮痛剤でもあるが解熱効果もあるので、引き続き使うように指導された。 主治医が帰り際看護婦さんに「28歳下咽頭癌の女性、入院早くして!」と叫んでいるのが聞こえた…。相当状態が悪いようだ…。 帰りに入院手続きをする。 2月1日 核医学検査と内視鏡(胃カメラ)検査をする。 核医学はCTやMRIのような検査と同じようなもの。ただ、機械が体ギリギリのところまで迫り、圧迫感がかなりある。低い鼻を擦った。 20分程横になって撮影をしたが、その後隣の部屋に連れて行かれ、またそこで撮影される。 胃カメラをする前に小さな紙コップに入っている液体を飲む。そしてファイバーの時と同じ喉麻酔を3分。肩に胃の動きを止める注射をする。 胃カメラは何回やっても入らない。反射はしっぱなし。 約10分苦しんだ後、内視鏡の先生が断念する。 最初は「頑張って、我慢して。」と言っていた先生だが、入らないのが分かったら「ごめんね。もう終わりにするからね。ごめんね。先生(主治医)には入らなかった事を伝えておくからね。」と言う。 入らないってどういう事?はっきり云って、全身麻酔の食道直達鏡の時にやって欲しい検査だった。 怒涛の約1週間、検査の嵐。勿論、殆どの検査は初めて尽くし。いろんな検査を知ってしまった。 入院までの間は、家で身辺整理をしていた。 部屋にこもって片付けていると、私が自殺をするんじゃないかと父が思い、母が様子を見に来る。 生きようとしているから病院に行き、治そうとするんだから、自殺なんかしないよ。でも、一瞬よぎる… ジャンル別一覧
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