気楽に行こう。

2010/08/16(月)22:02

お盆。満州の話。

その他。(ニュース・恋愛・家での出来事)(238)

お盆です。 ママンと私は日帰り、パパンは1泊で、島根に帰省しました。 途中、青空市でおじいさんが黄色の菊の花を振っていて、そこでお花を買って行きました。 そのおじいさんの、菊の振り方が可愛いの 昨日も振ってて、思わず立ち寄って買っちゃいましたもん。←そして今日も買ったw 実家に着いて、まずはお墓参り。 掃除して、花を供えてお参りします。 その後、お祖母ちゃんとちょっと話してから、ご飯を食べに出かける。 ショッピングモールに行ったんだけど、人が多い~。 最初は冷麺を食べる気満々だったんだけど、待ってるうちに、なんか熱いラーメンが食べたくなって、みんな揃ってラーメンを食べたのでした んで、買い物をしてから、帰宅。 パパン、買い物長いよ…( ̄△ ̄;) 今回、図書館で、満州や韓国併合の本を色々借りてきました。 その中で、満洲の風俗や写真・地図なんか載っているものを3冊ほど、島根に持って行っていました。 お祖母ちゃんに見せると、パラパラと見ながら、色々話してくれました。 ※見せた参考図書 ・「あゝ満州」浜野健三郎編著;秋元書房 ・「グラフィックカラー昭和史 第2巻 動乱の序幕」池田一秀;研秀出版 ・「満洲幻想(旧題 満州紀行)」長谷川傳次郎;東京経済 お祖母ちゃんは、大正15年(昭和元年)生まれ。 今の北朝鮮の新義州(しんぎしゅう)という所で生まれて、鴨緑江という河を挟んで中国側にある、満州の安東(あんとう・現在の丹東)に住んでいたそうです。 大和小学校(国民学校?)の後、安東京橋高等女学校に行っていたそう。 満州鉄道の安東駅裏に住んでいたそうで、安東駅前広場の写真を見て、懐かしそうに、「大きな通りがこの前を横切っていてね…」と話してました。 当時、大きい通りでは、洋車(ヤンチョ)という人力車がたくさんいて、それをよく使っていたらしい。 遠いところまで行く時は、馬車(マーチョ)を使った。 辻で「ヤンチョー」「マーチョー」と呼ぶと、来ていたらしい。 タクシーみたいな感覚だったのかな? 満州には、楡の木やアカシアが多く、初夏にはアカシアの香りが漂い、とてもその香りが好きだったそう。 北海道みたいなかんじだったのかな~。 建物はレンガ造りで、冬はペチカを焚いていたらしい。 建物の写真を見ながら説明してくれた。 冬、校庭に水を撒くと、翌朝には凍りつき、それを数回重ねて、スケートリンクにして、皆で遊んだ。 「ええ?!水撒いて霜柱じゃなくって、スケート場なの?!」と思わず言うと、「え?だってそれが普通だったもの」と、けろっと言われた。 そうなんだ…。 冬はマイナス30度ぐらいあったらしい。寒~。 「それでも、安東は満州では一番暖かかったのよ」 そうか、確かに満州の中では南だもんなぁ。 でもマイナス30度で暖かいって一体…( ̄x ̄;) 小学6年の時、長兄に一人だけ連れられ、黒河(こっか)という、北の街に住んだそうだ。 そっちは安東よりももっと寒かったって。 満州では、秋は無いらしい。 春が来て、夏がすぐ来て、お盆にはもう寒くなってるんだそう。 早っ!! Σ(゚Д゚) 昔は匪賊(ひぞく)って盗賊みたいなのが居たらしいんだけど、日本軍が来て掃討してからは、スキーとかもできるようになったんだって。 でも雪質があんまり良くなかったから、もっぱらスケートがメインだったそう。 お金は、日本人は日本通貨を使っていて、満州貨幣はあまり使っていなかったらしい。 見たことはあるが、あまり使わなかったって言っていた。 じゃあ、誰が使ってたんだ? 中国系満州人?? 満州鉄道で、奉天(ほうてん)や新京(しんきょう・旧 長春)には何度も行ったそう。 特に新京はとても都会で、道路が広く、建物も綺麗だったって。 日本橋広場の丸い所から、放射状に道があったという。 今のロータリーみたいなもんかな? 哈爾浜(はるぴん)にも行ったことがあって、そこはロシア風で、とても好きな街だったそう。 修学旅行では、撫順(ぶじゅん)の炭鉱に行ったらしい。 露天掘りで、とても大きかったって。 「炭鉱の坑道っていうか、穴にも入ったの?」と訊くと、「だから、露天掘りだから、穴とかないの。そこ自体がでっかい坂っていうか、穴なのよ。」と返され、ああそっかと思いました。 愚問だわ(^^;) 写真を見ても、大きかったことがよく分かる。 新義州へは、よく汽車が渡る橋を渡って、買い物に行っていたんだそう。 そちらの方が、物が安かったからだそう。 橋のたもとに税関があって、そこで荷物を見せてから、満州に戻っていたらしい。 でも大概は、よっぽど変な物(火薬とか)持ってない限り、「もういいよ」という感じで、手でパパッと行けという仕草をされていたって。 安東の河は、木材で埋まり、筏のようにして運搬していたそうだ。 「鴨緑江節」で有名な安東鴨緑江の筏流しというのだと、本に書いてあるのに、後で気が付いた。 鴨緑江節ってのを知ってるか、お祖母ちゃんに訊いてみたかったな~。 その木の運搬作業を、兄がしていたらしい。 その兼ね合いで、黒河に行くことになったそう。 黒河はド田舎で、なんでこんなとこに来たのかな~と思ったと言っていた。 兄二人は、北朝鮮の大学に行ったそう。 お兄さんたちは文献を読むのに必要だったから、ハングルの読み書きが出来たらしい。 お祖母ちゃんは、満州語(中国語の一種)は習ったが、中国の標準語である北京語は習わなかった。 だから、満州語は理解できるそうだ。 満州語と北京語は、語尾の発音が違ったりするらしい。 「了」という言葉の発音は、北京語では「ラ」だが、満州語では「リャオ」という。 朝鮮語は、満州語ほどではないが、一応言っていることは分かるらしい。 後で調べてみると、満州語は、しっかり初等教育の科目に入っていた。 うーん、必須科目だったんだなぁ。 今度、満州の教科書を図書館で借りて見せてみようかな~。 「あゝ満州」という本の最後の方に、歌の歌詞が色々載っていた。 それを見て、お祖母ちゃんがいくつか歌ってくれた。 「戦友」や「水師営の会見」という歌は有名だったそうで、知っていたし、歌えた。 満州国の国歌である「満洲国々歌」も歌えた。 (ウィキに載ってるその1の方ね) 漢字ばっかりだけど、しっかり歌っていた。 …読めねー( ̄▽ ̄;)てか、日本語じゃないのね…。 思わず呟くと、歌詞を説明してくれた。 てか、「満洲」って字自体が、今の「満州」って字と違う…。←それって普通なの? 歌謡曲は、よく分からないらしい。 「だって昭和10年なんて、まだ小学生だもん」とお祖母ちゃん。 うん、そりゃそうだ(笑)。 終戦直前、新聞の事務所で勤めていた時、もうすぐ日本が負けるから、北朝鮮の共産国家設立しようという動きがあるという話を聞いたそう。 「日本はもうすぐ負けるよ、逃げた方がいいよ」と言われたこともあったらしい。 共産国に反対の人は、今の韓国方面や満州に逃げて行ってたって。 その後、王子製紙に転職して、終戦を迎えても、しばらくは中国人への仕事の引継ぎなどの為に、満州に滞在し続けた。 他の日本人は、早く帰ろうと、大連や中国のコロ島からダモイ(帰国)しようとしていたという。 「終戦直後に帰った人たちはたくさんいたみたいだけど、大変だったみたいだねぇ…」と言っていた。 昭和21年に、ようやく日本に帰国する。 終戦から既に1年以上経っていたので、満州から日本への送迎船は無かったらしい。 なので、安東から新義州に汽車で渡って、新義州の近くの龍岩浦(りゅうがんぽう)という港から家族だけで船を買って、38度線まで行ってから、38度線を徒歩で山越えして、大韓民国に入ってから汽車に乗った。 釜山(ぷさん)まで汽車で行き、日本行きの船に乗ったんだそう。 でも、両親(曾祖父ちゃんと曾祖母ちゃん)は、「日本に帰れる」と嬉しそうに喜んでいたけど、兄妹はみんな、見たことも無い土地・日本に向かうのが寂しく不安で、心細くてしゅんとしていたそう。 そりゃそうだよなぁ…。 きっと、お祖母ちゃんにとっての故郷は、満州なんだよなぁ…。 いつか連れて行ってあげたいと思いました。 お祖母ちゃんは二度、銃殺刑を見た事があるそう。 一度目は5歳の時、ぞろぞろと皆が出かけて行くのを見て、芝居か何か、面白い事があるかと思って、親に連れてってとせがみ、親が「ここに居た方がいい」と言うのも聞かず、結局、馬車で連れて行ってもらったんだそう。 そしたら、行った先で、捕まった匪賊数人が壇上に手を前に組んで縛られ、膝を折っている姿があり、『パンパンパン』という銃の音と共に、頭を打ち抜かれた様を見た。 一人だけ弾が急所を外れたらしく、苦しんでいる所に、もう一度撃って殺したという。 二度目は二十歳の時。 終戦を迎え、赤(共産党主義者・右翼)が、当時勤めていた会社の社長を捕らえて、日本人に加担した中国人達と共に、銃殺されたんだそう。 終戦直後、”日本人の子供は賢い”などと言われ、多くの子供がさらわれて、中国人の間で売買されていたそう。 在中日本人の何割かは、こういう経緯があるはずだと言っていた。 「日本人に味方した中国人やロシア人、他にも日本人もたくさん殺されたよ。  中国の人は、『日本人は酷い事をした』とよく言うけれど、中国人だって酷い事をしたんだよ。  たくさん殺されたし、子供がさらわれて売り買いされていた。  日本の人はあまり口には出さないから知らない人が多いだけで、中国だって悪い事をしたよ。  でも、中国人も日本人も、どっちが悪いっていうんじゃない。  戦争が悪いんだよ。」 実感がこもっていて、胸にズシリときた。 お祖母ちゃんは、今年で85歳。 もっと話を聞いておきたいと思いました。 いつか、安東に連れて行ってあげられるといいなぁ…。

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る