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テーマ:生き方上手(686)
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今日は、息子の9歳の誕生日です。
数えで言えば10歳ですから、昔は“ツばなれ”(やっツ、ここのツ、とお)と言って、このくらいの年齢になると、通り一辺のあいさつや口上はできたそうですが、今は親の方もできないんですからしょうがありません(^^; 本当に手がかかった子供ですが(今もかかる!)、よくぞここまで育ったもんだとしみじみ思います。 下の写真は、この子が生まれるちょっと前に作ったものです。 ベビーベッドの横に、よく見えるようにいつも広げてました。こんな変な親を選んで、この不自由な世界にわざわざやってきてくれたんだから、せめて歓迎してあげようと、、(笑) 当時出入りしていた「笑顔共和国」(近所にあるんです)の国旗に、うちの親父が字を書いてくれました。 完璧主義の親父は「字が少し滲んでしもうた・・」とくやしそうでした(笑) 実は、陣痛が始まる直前まで自宅出産を考えてたんですよね。 そのために、お風呂わかしたり、ハサミを消毒したりしてたんですが、いざ陣痛が来ると、前日にちょっと出血したこともあって勇気が出せずに、結局病院出産になりました。 でも、陣痛が始まってから4時間で生まれましたから、初産としてはかなり安産な方でしょう。もちろん僕はずっと立ち会いました。立ち会うだけでなく、お医者さんに「会陰切開はせんでください」とかエラソーにお願いしてました(^^; あの頃は、とにかく自然な出産・子育てがしたくって、会陰切開はもとより、あの出産時の仰臥姿勢とか、母子別室だとか、ミルクだとか、紙オムツだとか、許せないものがたくさんあって、既存のやり方を何の疑いもせずにやろうとする人々に、反発心を持ってました。 そういった僕ら夫婦が抱いていた周囲の人々との壁、さらに言えば、自分の正当性を主張しないと自分が自分でいられない不安、それらをそっくりそのまま、ものの見事に子供が引き継いでくれました!(^o^)b さらに、以前かみさんにも指摘されたんですが、生まれた直後に、実は僕が“悪魔のささやき”をしてるんですね。 生まれてすぐ、かみさんの後処理をしてる間に、赤ちゃんの方は体重測ったり、きれいに拭いたりしてる間に、僕が上から覗き込みながら、こう言ったんです。 「早くお母さんに抱っこしてほしいね~、さびしいね~」 今にして思えば、バカですよね~。「母親から離れるとさびしい」という刷り込みをわざわざ作ってるわけですから。実際、彼はこの思いがものすごく強烈で、ずーっとおっぱいから離れないし、ひとり遊びも全くしないしで、かみさんはいつも死にそうでした(^^; 息子の方も、心の深いところから湧き起こってくる感情をどう処理していいかわからず、これまでだいぶ苦労してきたと思います。最近になってようやく何とかっていう感じです。 ありがたいことに、あの子は目がキラキラしてるので、こちらもなんとか未来を信じられるんです。 いや~、ホントここに至るまで苦労しました~(笑) 子どもは親の写し鏡ですね~。特に、妊娠~乳児期の“親の思い”の影響はすこぶる大きいことを実感しました。 でも、ここでこんなにエラソーなこと書けるのも、あの子が色んな思いを味あわせてくれたからなんです。子育てがもしスイスイうまくいってたら、僕らは間違いなく鼻高々の天狗になってただろうね、とよくかみさんと話します。 こんなに深く自分を掘り下げてみることもなかっただろうし、苦労してる人の気持ちもわからなかったでしょう。つくづく、子どもは(特に長子は)、親の成長を助ける天使だなあと思います。ありがとう!>息子へ ところで、息子が3歳の頃に、何気なく「生まれた時どうやった?」と聞いたことがあります。 すると、彼は開口一番こう言いました。 「あんまし回らんかった」 全く予想しない答えに、一瞬何のことだかわかりませんでした。 赤ちゃんが回転しながら出てくるのは知ってましたが、赤ちゃんの方もちゃんとそれを意図してやってるんでしょうね。どうも病院についたらいきなり破水させられたせいで、本人の思ったほどスベリがよくなかったみたいです(^^; この辺の話に興味がある人は、『誕生を記憶する子どもたち』(春秋社)をどうぞ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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