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行きかふ人も又

インド 3

アーグラー


 翌朝、列車は早朝に、デリーから200キロほど南のアーグラーに到着するはずだった。
しかし、途中、下りの列車を待つのか、何度も停車していたらしくなかなか着かない。予定の時刻はとうに過ぎているのに。
インドでは、なにがあっても仕方がないと、このころには慣れているので、じーっと待つだけ。

寝台から降りて、はじめてトイレットペーパー持参で用を足し、車窓を眺めてみる。横を通り過ぎていく小さな村や町の人々の朝の営みが見えた。頭に鳴るのは『世界の車窓から』テーマソング。
線路のすぐ横で、手桶を脇に置いて野ウンコする人がいたのは、いささかかのカルチャーショック。
しかしこれも、めずらしい光景ではないと、三度目も見ると当たり前になってくる。

アーグラーの手前15分の場所で、汽車がまた停まる。同じ車両の外国人旅行者たちも、みんなそわそわし始めた。
そのまま30分以上も動かず、いよいよここで途中下車しようか・・・・とガイドのチャマンさんと相談し始めたころ、列車は無事に動き出して、アーグラー・カント駅に到着した。


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数日前、お世話になったデリーの運転手さん(仮名・サリームさん)が、笑顔で迎えてくれる。
安全運転のジャマールさんから一転、スピード狂の彼はをぐんぐん速度を上げて突っ走る。懐かしい、クラクション攻撃。
明日は彼の運転で、3・4時間かけてデリーに戻るのかと思うと、背筋がすこし寒くなった。
アーグラーは観光地という印象だが、やはり貧しい町並みが続く。この土地の人間はうるさい人が多いと聞いて、多少身構えてしまう。


世界で最も美しいお墓、タージ・マハルに到着した。
チケットを買うと、ミネラルウォーターと靴カバーが渡される。敷地内を走るバスに乗って、いざ入口まで。


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巨大さが伝わる角度から


これまで見てきた寺院は、ほとんどがはだしで中に入らなければならなかったけれど、ここは靴にカバーをつけるだけでいいのらしい。
裸足になって、焼けた敷石の上を歩いた、ヴァーラーナスィーでの思い出が蘇る。荒行に近いものがあったし、やけどもした。
足裏の軟弱さを痛感しながら、日陰だけを頼りに、一気に駆け抜けてヒーヒー言っているわたしたちの横を、インドの人々は涼しい顔で歩いていく。


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タージ・マハル側から見た、入口の城壁。
本物はでかい。幻想ではないかと思うほど美しい。こんなものが目の前にあること自体、夢をみてるようだ。


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裏手に出ると、ヤムナー河が流れている。
河畔には、水牛や他の野生動物たちが暮らしている。いい眺めで清々しい。
ここへ来る前、もっともらしく笛を吹きながら、タージ・マハルを案内してくれたおじさんに、チップを要求された。
騙されたのかもしれないけれど、まぁいいか、という気にもなる。


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アーグラー城から眺めた、タージ・マハル。わたしはこの霞んだ幻影のようなタージが一等好きだった。


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アーグラー城はアクバル帝によって1565年に築かれた、ムガル帝国の権力の象徴。幾つかの宮殿や塔が、それぞれの代に建てられた。


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タージ・マハルのような均整のとれたイスラーム建築もいいけれど、私的にはこのアーグラー城が、旅先で見た建築物のなかで一番好きだった。
細やかな細工に見惚れてしまう。


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妃のために豪奢なお墓タージ・マハルを建てたシャー・ジャハーンは、息子たちによってここに幽閉されていた。
当時は無数の宝石があしらわれていたディーワーネ・アームのすぐ隣、ムサンマン・ブルジュという囚われの塔に。
1666年74歳で息を引き取るまで、ここからタージ・マハルを眺め暮らしていたのだと思うと、とても感慨ぶかい。


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アーチ型の天井。一部剥がれおちてはいるものの、彫刻が残っている。

外に出ると、敷地に棲みついてる野生のリスが、木にたくさんいるのがみえた。
チャマンさんが持っていたジュースをそっと石の上に溢すと、何匹も寄ってきて飲みはじめる。すごくなつっこいリスたちなのだった。



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午後からもいろいろあったのだけれど、とりあえず、この日泊まったホテルの部屋はこちら。
天井にファンが回っているのは、どのホテルもおなじ。冷房完備で、なかなかキレイに見えるが、実際にいると、日本の清潔さとは雲泥の差がある。

旅のあいだ中、汗だくの洋服は、毎日アクロンで洗濯して、風をあてて翌朝には乾いていることを繰り返してきた。
ところがこの日、昨夜の夜行列車の疲れか、気の緩みか、服といっしょに家人の携帯と財布も洗ってしまう、、、。
インドの脆いお札は、それでもなんとか無事だったが、携帯はご臨終・・・・。しばらく音信不通になってしまったのだった。


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道路に面していないと、部屋は静かでいい。日に何度か停電はするけれど、気にならなくなっている。
この日も、夕食の席で、ビールを注文した。インドに来て二回目の飲酒。度数が高いのか、酔いがまわるのが早い気がする。

選んだメニューはこんな感じ。
インドではポピュラーな、中華料理の炒飯。インドの炊き込みご飯プラーオ。
酒のつまみは、うずら豆の粉で作ったスパイシーなせんべいパパル。

インドの夕食はたいてい9時だから、チャマンさんと一緒にレストランで夕食を食べることはなかった。でもこの日、インド最後の晩餐なのを知ってか知らずか、わたしたちが食べているあいだ、ずっとむかいに座って世間話をしていた。
息子さんのこと、日本のこと、インドの政治の話や、旅行者のことなどなど、たくさん話した。
笑の絶えないとても楽しい夕食だった。



再びデリー



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 アーグラーでのことを、ちょっと追記。
インドでボリウッド映画を観れたらいいなーという思惑が、アーグラーでちょびっとだけ叶ったのだった。
ホテルから数キロ離れたショッピングモールにある、映画館。ちょうど時間があったのが『Raavan』というアクション映画だった。
だけど・・・じつはイヤな予感・・・・。
チャマンさんには「インドの伝統的な派手に歌って踊る映画を、本場の劇場で観たい」とちゃんと告げていなかったので、歌いも踊りもしない、いたってふつーのアクション映画を観る羽目になる。
30分で出てきたけれど、もったいないなかったよ。
インドに来れば、どこでも歌って踊る映画が放映されているものと決めつけていたけれど、ちゃんと話をきけば、そんな映画はもうあんまり作られていないのだそうだ。予告にも、コメディとか、真面目な政治映画とかがかかっていて、歌ったり踊ったりする映画はない(汗)
ここがムンバイとか、もっと大きな都市なら選択の余地はあったかもしれないけれど、かかっている三本とも、現代風のふつうの映画なのだった、、、。
リベンジは、いつの日か、ムンバイで。そう心に誓いつつ、映画館を後にした。

わたしの入った劇場は、新しいモールのせいもあるけれど、小ギレイなシネコンという感じ。日本となんら変わりない。料金設定は、平日と週末、午前と午後で違い、最高350ルピー(700円)、最低60ルピー(120円)で映画が観られる。(写真はチラシとチケット)
わたしの座ったのはGold席、午前だったから70ルピー。

午後からもう一度、空き時間に、家人とふたりで、ホテルからこのモールへと歩いてみた。一階のマックでハンバーガーとアイスコーヒーを食し、少しだけお土産ものを買い、帰りは値段交渉をして、オートリクシャーに乗ってホテルまで帰ったりもした。


ちなみに、右の写真はヴァーナーラスィーでの朝食。
ジャガイモ入りのドーサー(豆と米の粉を練って鉄板で薄く焼いたもの)。ダヒーというヨーグルトと一緒に食べる。
普段から写真を撮る習慣がなくて、なんと、これしか食事の写真がない・・・・ちょっと後悔。食事時なんて、とくにカメラを出す気にもならずにいたんだけど、撮っておけばよかった!



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アーグラーを離れる朝が来た。高速道路にのって、デリーに戻る。写真は料金所。
高速とはいっても、自動車や馬車や自転車がいっしょになって走る道。路肩はそのまま土の大地に繋がっている。
たまにクラクションを鳴らして車が逆走してくるので、おちおちしていられない。


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トイレ休憩に寄ると、観光用の象がいた。「近くに寄れよー」とうるさいので、かえって近寄れない。
レストランに入り、ペプシを買おうとしたら100ルピー(200円)というので「それならいらない」と冷蔵庫に戻す。いちいち値段交渉をするのは大変だ。



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ニューデリーから南に15キロの、クトゥブ・ミーナールに到着。
この巨大な塔は、奴隷王朝のスルタン(イスラムの君主)が、ヒンドゥー教徒に対する勝利を記念して建てたもの。


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高さは72・5メートルもある。
赤砂岩と大理石でできていて、外壁には図案化されたコーランが刻まれている。


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インディラー・ガーンディー国際空港から、数分おきに旅客機が飛び立ち、塔のすぐ近くを通る。
その振動のせいで、クトゥブ・ミーナールは傾きはじめているのだそうだ。
永遠にここに聳えているのは、ムリかもしれない。でも、せめて旅客機の航路を変えるくらいなら、できそうな気がするけど。


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すぐそばには、インド初のモスク(クワットゥル・イスラーム・マスジット)があり、なんと中庭には、グプタ朝時代4世紀に建てられたという鉄柱が、いまも腐らずに建っている。


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ヒンドゥー寺院の石柱が再利用されているとはいえ、見事な景観だった。
遺跡の類は、ここでおしまい。つぎからは、デリーの最も近代的なインドを見に向かった。


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大統領官邸や、国会議事堂(上の写真)のあるあたりは、インド門へむかって、広い広場になっている。
芝生でくつろぐ人、散歩する人、テレビの中継車も多く停まっている。


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インド門は、1911年、イギリス領インドの首都が、コルカタからデリーに移されるとき、英人建築家ラチェンズによって建設が開始された。完成は1931年。
近くで見ると、第一次大戦の戦没者の名がびっしりと刻まれていた。この日は清掃中らしく、足場が組まれ、作業している人が見える。


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各国の領事館が並ぶ、閑静でリッチな街並みもみた。この辺りで、紅茶の専門店に寄って、お土産を買いこんで、とても豪華な昼食を頂いたのだけれど、お店の名前をメモっておくのを忘れてしまったよ。
4種類のカレーと、ナーンにライス、羊肉のミンチを串焼きにしたシークカバーブ、タンドゥーリーチキン。それに新鮮なマンゴージュースとラッスィーもいただいた。
奥の席で、領事館関係の奥さまがたと思しきセレブな日本人女性が、食事している姿が見えた。
これまで目にしてきたインドと、縁あってこうして訪れているわたしの生活と、富む人と。ほんとに一概には語れない、インドという国のデカさよ。

午後からは、コンノート・プレイスという地下鉄のすぐそばにあるショッピングモールへ赴く。
パリカ・バザールでは呼び込みの声が賑やか。若者たちがたくさん集う。似たり寄ったりの店が多くて、結局おみやげになりそうなものを見つけることはできなかったけれど、インドの別の一面を見れた気がした。
円形をしているので、ぐるり歩いて一周してから、インディラー・ガーンディー国際空港へ向かう最後のドライブ。

5日間お世話になったガイドのチャマンさんと、運転手さんにお礼をして、別れて、夜9時のエア・インディアにて帰国。
ちなみに、帰りの機内では『アバター』を観つつ。




  長々とお付き合いくださって、ありがとう!
インドは奥が深いです。また行きたいなー印度。








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