2007/04/13(金)09:50
【ノスタルジア(NOSTALGHIA)】 1983年 イタリア・ソ連映画
アンドレイ・タルコフスキー監督の作品は、先日「惑星ソラリス」を劇場で観て寝てしまったことがありました。
あのとき頂いたコメントも参考にしつつ、身構えて観ました。
ソ連から、表現の自由を求めてイタリアへ亡命したというタルコフスキー氏の、初めて外国で撮った作品です。
モスクワの詩人・アンドレイは通訳を伴って、ある音楽家の軌跡を追いイタリアのトスカーナ地方を訪れます。
静かな村の湯治場に着いた彼は、そこで「狂人」扱いされているドメニコに興味を抱き、近づき、それに対してドメニコは謎めいた言葉を返すのでした。
“ロウソクの火を消さずに広場を渡るように。それは世界の救済に結びつく”と・・・
やっぱり今度も、不思議なお話です。
静かで陰鬱で。
ソラリスの時教えてもらった“水”というキーワードが随所に見られ、生命力が温泉のように湧きすのを感じました。
音楽は自然音、時の流れはかなりゆったりと流れます。
決してつまらなくはないのに、ここまで眠くなる映画は他にないかもしれません。
何日かけて観たことでしょう…
長回しも覚悟していたのですが、どんなにしても眠くなって仕方ありませんでした。
観る時期を選ぶ作品というのがあるとすれば、こちらも何年か後かに、没頭して見られる日がくるのでしょうか。
そんな日が、いつか。
故郷を離れてイタリアへやってきた主人公アンドレイは、監督が自らを投影した人物。
彼の夢や思い出のシーンは、まさに詩的で幻想的です。
回想シーンのみならず、どこをとってみても圧倒されてしまう情緒とアート。
それなのに眠くなるなんて、ほんとに不可解でおかしいものです。
リラックスしている証拠なんだろうか?
もともと恋愛感情などなくみえる通訳との関係には、どんな意味があるのでしょう。
私にはわかりませんでした。
女(通訳)はこんな関係に耐えられないと一方的に去り、男(主人公)は命を削ってまで知り合ったばかりのドメニコの言葉を実行しようとするのです。
ふたりの間には、はじめから大きな溝があります。
恋愛感情なんて、この大事に比べればちっぽけなものと感じるばかりです。
大事とは、ドメニコの信じる世界の終わり、終末です。
終末がくることを恐れ、7年間も家族ともに家に閉じこもったドメニコの過去のエピソードは、すごく滑稽だけどドキンとしました。
描かれ方のせいもあると思いますが、魅力のあるもの。
ロウソクの火を消さずに広場を渡れ――
火が消えては何度も戻り、それをやり遂げようとするアンドレイの強い意思と、ドメニコの最期の演説は、何かがのりうつったように見えました。
どちらも人間業とは思えない。
人ってこんなふうになりえるものなのかと。
ローマの広場、騎馬像の上で世界平和を説いたあとで自らの身を焼き自殺するドメニコの壮絶な最期に……目にしてる物語が浮世とは思えない高潔さでいっぱいになっていきました。
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監督 アンドレイ・タルコフスキー
製作 レンツォ・ロッセリーニ 、マノロ・ボロニーニ
脚本 アンドレイ・タルコフスキー 、トニーノ・グエッラ
出演 オレグ・ヤンコフスキー 、エルランド・ヨセフソン
デリア・ボッカルド 、ドミツィアーナ・ジョルダーノ
(カラー/126分)