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テーマ:■ムービー所感■(484)
カテゴリ:オーストラリア映画
感動作の風体であるこちら、フィリップ・ノイス監督だとは思いませんでした。 『硝子の塔』『パトリオット・ゲーム』などいい印象のない作品の監督。祖国を題材にしているとはいえ、感動的な実話を金儲けのダシにつかったのではと勘ぐりたくもなります。 1931年、西オーストラリアのジガロング。 当時、白人と原住民アボリジニとの間の混血児が増加しつつあることを危惧したオーストラリア政府は、混血児を強制的に居住区に隔離する政策を行っていました。 ある日、14歳のモリーを筆頭に、8歳の妹デイジーと10歳の従姉妹グレーシーの三人は、保護局の職員に捉えられ居住区へ移送されてしまうのです―――。 後に、母の体験を綴ったモリーの娘ドリス・ピルキングトンの小説を基にした実話。 居住区を抜け出し、90日間かけて2400キロを歩きとおした姉妹の知恵と頑張りを描きます。 追うのは政策の指揮をとるネビル(ブラナー)たち、逃げる少女。 否応なくはらはらさせられる展開は、あざといともいえます。この構図は、わずかでも娯楽映画のノリ。 捜索を任されているアボリジニの追跡者と、同じように原住民の知恵を教え込まれて育った賢いモリー。 生きる知恵をフル活用して、逃げ、追いする二者の姿は、サスペンスの様相。 それが安っぽくならず、腹立たしくもならず、すんなり感動できたのは、ひとえにクリストファー・ドイルのカメラのおかげ。 雄大なオーストラリアの自然を背景に、自然と生きる人間の荘厳な姿が、しっかり収められていたと思います。 オーストラリアは美しい。砂漠は厳しく、生活は原始のままでも、生きる人々の美しさは、白人のエゴを際立たせます。 そのエゴによって苦難を強いられ、2400キロをひたすらに歩き続けた、アボジリジニの少女から、生きるうえで大切な知識とか知恵とか精神の強さを教えられました。 勉強は多少できなくても、この生き抜く力だけは絶対に身につけて持って欲しいと、我が子には願うばかり。 フィリップ・ノイス監督の、珍しい小品佳作作品といえるのではないでしょうか。 監督 フィリップ・ノイス 原作 ドリス・ピルキングトン 脚本 クリスティーン・オルセン 撮影 クリストファー・ドイル 音楽 ピーター・ガブリエル 出演 エヴァーリン・サンピ ローラ・モナガン ティアナ・サンズベリー ケネス・ブラナー デヴィッド・ガルピリル ジェイソン・クラーク (カラー/94分/オーストラリア製作/RABBIT-PROOF FENCE) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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>捜索を任されているアボリジニの追跡者
と言う文なのですが、 その追跡者もアボリジニと解釈して良いのでしょうか?。 つまりアボリジニをアボリジニを追うと。 そうだとすると、追跡者には罪の呵責とか、 自己矛盾に対する悩みとかはあるのでしょうか?。 良く思うのですが、A集団がB集団を迫害する場合、 B集団の中のA集団協力者の存在がもっとも厄介ではないでしょうか。 例えば女性差別に対する異議申立て行動の最も強力な敵が、 女性であるというケースは良くありますよね。 (2008.03.24 15:54:54)
もしかして 今日ははるさんのお誕生日かな。
おめでとうございます♪ これからも沢山の映画と お気に入りの雑貨の囲まれて 素敵に年を重ねてくださいね。 (2008.03.24 17:50:36)
追跡者のアボリジニは、娘が居住区に入れられているので、傍にいれる仕事でもあります。
居住区にいるということは、娘は白人との間の子なのだと思います。 地面に残る僅かな足跡を見つけ追う追跡者は、自然の勘や視力や嗅覚みたいなものに頼って探し、逃げる少女も同じ。 あまりに見つけられず、焦る白人のなかで 追跡者は、「相手もよくやる」と同じ民族として誇る気持ちにさえなります。 少女たちの演技がいいことと、やはり映像に助けられた良作でした。 (2008.03.24 21:30:51)
ありがとうございま~すww
嬉しい恥ずかし お誕生日です。 いつも映画やら日常の日記に、お付き合いくださってあるがとうございます♪ これからもどうぞよろしく♪ (2008.03.24 21:33:28)
この監督が他にどんな作品を作ってるのか全然知らずに観てました。
同じ人間同士で隔離したりって本当にひどい話だと思いました。 結局白人って酷いことなかりしてるんですよね。 混血児が産まれるのだってもともとよその国を侵略しなければおきないことです。 親子を引き裂くなんて誰にも許される行為ではないと思いました。 (2008.03.25 22:14:51)
最近は監督さんを調べるのがクセになりつつあります。
当時の白人の意識は、原始的な生活をしている人々が哀れで、文明を身に付けさせるのは為になると、真剣に考えていたのでしょうね~。 もっと尊重しあう違った方法はなかったかと、いまなら思うのだけれど・・・ あそこにケネス・ブラナー、けっこう似合っていましたね! (2008.03.25 23:23:44) |