1317701 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

行きかふ人も又

PR

Profile


はる **

Category

Freepage List

Favorite Blog

Kabu + Plus エースNo1さん
ある日どこかで リラ11さん
でくの坊 雨にも … なんぜんたろうさん
My 映画 on TV 日記 タケ88フミさん

Comments

森須もりん@ Re:【夜行列車(POCIAG)】 1959年 ポーランド映画(03/10) 小学生のときに、テレビでみました。 あれ…
ETCマンツーマン英会話@ 希望を生むもの はじめまして。先日初めて『アラバマ物語…

Free Space

ゆるい分室はじめました
dekunotato.exblog.jp

Recent Posts

全9件 (9件中 1-9件目)

1

台湾映画

2011.12.06
XML
カテゴリ:台湾映画
   (あらすじ) 恋人がパリに留学してしまい傷心の日々を送っていたカオは、パリへの旅費を稼ぐべく両親の店を手伝いながら、夜は近所の本屋で立ち読みをしてフランス語の勉強を続けていた。本屋の女子店員スージーは、そんな彼とすっかり顔なじみになる。
ある日、パリの彼女から突然別れを告げられたカオは、すぐにでもパリに行くため、顔見知りの不動産屋に借金を頼み込み、交換条件として怪しげな小包の運搬を頼まれるのだが―――。


b0044119_4cb472c618c89.jpg


予告を観たときからずっと楽しみにしてたのは、岩井俊二や初期のウォン・カーウァイのような、キュンキュンくるラブストーリーの予感を感じたからだった。
夜の台北、スージーの働く書店、彼女がカオとともに巻き込まれる怪しげな小包を巡る追いつ追われつ・・・そのすべてが善良さに満ちている。
コミカルで切ないラブストーリーがとても身近なのは、台湾と日本の感性が似ているから。

338454_01_01_02.jpg


小気味よい音楽がよく似合う、初々しい恋のはじまりは、すごくありがちで王道をいくストーリー。
灰汁や淀みの微塵もない照れくささ、けれどすごく好み。



 監督・脚本  アーヴィン・チェン
 製作総指揮  ヴィム・ヴェンダース  メイリーン・チュウ
 撮影  マイケル・フィモナリ
 音楽  シュ・ウェン
 出演  ジャック・ヤオ  アンバー・クォ  ジョセフ・チャン  クー・ユールン

 (85min/台湾=アメリカ)







Last updated  2011.12.07 22:58:27
コメント(4) | コメントを書く
2010.02.15
カテゴリ:台湾映画

 怪しげな賭けに手を出したシャオカンは、激しい暴行を受けて瀕死の重傷を負う。
行き倒れる寸前、通りかかったインド人労働者たちに助けられ、そのうちの一人ラワンの手厚い看護で徐々に回復していく。
一方、小さな食堂で働いているシャンチーは、女主人の寝たきりの息子の世話もさせられ、一日中働きづめの毎日。ある日、ふたりは偶然出会い、一目で惹かれ合うのだが・・・。



 マレーシアの首都、クアラルンプール。この街の底辺に、蠢くように生きる人々の物語。
問題というにはあまりに痛いものを抱えて、主人公たちは淀んだ毎日を送っている。
こころ許せる相手に出会い、はじめて重苦しい日常から脱し、浮上してゆく様を淡々と綴っていく。

意地悪な女主人にこき使われているシャンチーも、外国人労働者の男ラワンも、行き倒れのシャオカンも、だれもが生きる意味を失い孤独。その最たる者は、植物状態である、女主人の息子なのかもしれない。
三人の出会いは、ほんの少しの救いを与えあい、寄り添うことで生きる意味となっていくけれど、ベッドの上で生命を維持しているだけの青年には、どんな救いも訪れることはなく・・・虚しい。

口の利けないらしいシャオカンはずっと無言で、彼ばかりでなく、みんなほとんど言葉を発することはなかった。
あるのは音楽と、雑音としての声ばかり。
西瓜』までは、おもしろく観てきたけれど、さすがにここまでくると辛くなってくる。
ミンリャン作品はどんどん病んでいくように思うのは気のせいかしらん。


326901_01_03_02.jpg


寝たきりの青年とシャオカンの二役を演じたリー・カンションは、変わらない存在感で文句なしだった。
シャンチー役の女優チェン・シャンチーも、いつもすごいと思う。
ふたりは『ふたつの時、ふたりの時間』あたりから、もうずっとこの名前のまま、同じ役者が監督の分身のように演じてきた。
映像を見れば、ツァイ・ミンリャン監督の作品だと、すぐにわかるほどだ。
画面には必ずリー・カンションがいて、不快感な排泄シーンがあり、じっとりした長回しが多用される独特の世界。


326901_01_01_02.jpg


廃屋の溜め池、汗、ジュース、尿・・・どこも水=生命力で溢れている。主人公たちがどんなに枯れていても。
水に浮かべたマットで眠り漂いながら、驚くほどの安らぎが浮かびあがるラストが印象的だった。それが幸せに通じるものなのかはわからないけれど、不思議な浮遊感で幕を閉じていった。



●  ●  ●  ●



監督・脚本/ ツァイ・ミンリャン
製作/ ブリュノ・ペズリー  ヴィンセント・ワン
撮影/ リャオ・ペンロン
出演/ リー・カンション  チェン・シャンチー  ノーマン・アトン

(カラー/118分/台湾=フランス=オーストリア合作)







Last updated  2010.02.15 23:14:32
コメント(0) | コメントを書く
2009.01.06
カテゴリ:台湾映画

 台北の街、昼下がりの公園。お腹を下したらしい年配の女性(ルー・イーチン)がトイレから出てくると、3歳になる孫の姿が見当たらない。女性は台北の街中を必死になって捜して回る。
一方、同じ街の片隅では、祖父が作ってくれた弁当には手も付けず、ファーストフードで食事をすませる少年がいた。一日中インターネットカフェに入り浸り、祖父のことなど気にも留めずゲームに夢中になっていた少年だったが・・・。


 なにも知らずに観れば、監督はツァイ・ミンリャンだと見間違う人もいるのじゃないだろうか。
それくらいに良く似ているミンリャン節の、リー・カンション初監督作。
欠かせない長回し、ロングショット、摂食排泄の描写。

一見、祖母が迷子になった孫を泣きながら探し回るだけのストーリーに見えるが、裏でもうひとつ、祖父と暮す現代っ子の少年の日常が動いている。
預かりものの大切な孫がいなくなり、尋常ではないほど動揺する祖母の姿は痛々しい。
パニックに陥り、泣き叫び、なりふり構わず半日中街を探し回るのだ。
かたや少年は、祖父の用意してくれた弁当を公園に置き去り、ネットカフェでゲームとチャットに夢中になっている。

bnr_maigo04.jpg


時に街角ですれ違いながら、一日の終わり、夜の公園でふたりは偶然出会う。
ふたりは気づかないけれど、敷地の外には、迷子の孫と少年の祖父が、手を繋いで歩いている。
年代も生活もかけ離れた二人が、親しい言葉を掛け合うでもなく吸い寄せられるように佇む、都会の夜の風景がちょっといい。

時は奇しくも、新型肺炎SARSの脅威が台湾に迫ってるころ。
新聞には見出しが躍り、少年の友人はSARSらしきの症状で行き倒れ、不穏な空気だ。
子どもたちは不健康なネットカフェに入り浸り、老人たちは孤独。そんなたくさんのモチーフがさりげなく入り混じる。

bnr_maigo03.jpg


長回しで平坦な絵面を構成する、ある種退屈なミンリャン風の撮り方そのままに、確固たるものが浮き彫りにされないのはちょっとツライ。
作品にのめり込ませる力が足りないのは、初監督ということで、これからに期待しよう。
それにしても、ここまで作風が似てしまうのは・・どうだろう。

本作についてリー・カンションが語った言葉を読むと、少し見えてくるものがある。
彼の父親が亡くなって二年後に、母親に初孫ができたのだそうだ。母は孫を父の生まれ変わりだと信じて大きな愛情を寄せると同時に、孫になにかあったらという不安に苛まれ始めた。
その姿から浮かんだ構想だという。
本編は父に捧げられている。

そういえばミンリャンの『ふたつの時、ふたりの時間』でも、祖母を演じた主演のルー・イーチンは、夫を亡くした喪失から立直れない母親を演じていたっけ。
実生活と微妙にシンクロさせて映画を撮るのも、ミンリャン組み風といえるのかもしれない。
それにしても現代の台湾と日本は、似てる。




監督・脚本  リー・カンション
製作  ツァイ・ミンリャン
撮影  リャオ・ペンロン
出演  ルー・イーチン  ミャオ・ティエン  チャン・チェア

(カラー/88分)






Last updated  2010.02.14 22:06:54
コメント(0) | コメントを書く
2008.12.26
カテゴリ:台湾映画

 現代の台北を舞台に、映画「好男好女」で抗日戦に参加した情熱の女を演じる女優が、自分の恋を蘇らせるラブ・ストーリー。

主人公の女優・梁静(伊能静)は、見知らぬ者に日記を盗まれ、その内容をファックスで送りつけるイタズラにあっている。
銃殺された恋人・阿威と過ごした時・・・過去の日記は辛い記憶を思い出させ、次第に彼女は映画の主人公・蒋碧玉と同化してゆくのだった―――。


ホウ・シャオシェン監督は有名な名匠だけれども、初鑑賞。
台湾近代史3部作といわれる『非情城市』『戯夢人生』に次ぐ完結編となっている。評価の高い一作目から見るのが良かったかもしれない。
とにかくわかりにくい構成となっていた。

以前どこかでも書いたとおり、香港・台湾・日本の最近の恋愛映画からは、似たような表情を感じることがある。それは豊かさゆえの遊び心や退廃。
おしゃれさであったり、痛さであったりもする。

80682b15-837e-463b-91d1-829bdb889dd5.jpg


主人公の痛々しい恋愛の記憶、遡る1950年代の情景、そして今。
三つの時間の出来事が、さりげなくリンクしながら、最後にゆったりと終結する。だけどわかりにくさが残るのは、感情移入しきれなかったゆえだろうか。
この気だるさと痛々しさは、胸に迫ることなく、正体不明の不快さだけが残ってしまった。

性に関して率直に表現すれば、今風とされるような風潮がこの時代にはあったのだっけ。台湾の1995年はそんな時代だったのかもしれない。それが不快に感じるのなら仕方がない。
すごい熱演を見せている伊能静も魅力的に見えず、それはたんに好みの役者ではないだけだけど、初鑑賞のホウ・シャオシェン監督に寄せていた期待がちょっとだけ薄れた。

台湾は映画文化の進んでいる国という印象で『西瓜』『楽日』などのツァイ・ミンリャン監督は好きだ。
日本と台湾の合作をみかける機会が多いけれど、どんな経緯があるのだろう。




監督  ホウ・シャオシェン
脚本  チュー・ティエンウェン
撮影  チェン・ホァイエン
音楽  ジャン・シャオウェン
出演  伊能静  カオ・ジエ  リン・チャン  ウェイ・シャホェイ

(カラー・モノクロ/108分/台湾=日本)









Last updated  2008.12.30 14:10:30
コメント(0) | コメントを書く
2008.06.23
カテゴリ:台湾映画

 suika.jpg 20070523145834s.jpg

 いやらしい。それに尽きる。
が、けしてそれだけじゃない。どうしようもないほど、心は純情。
前作とは違った、カラフルで幻想的な、ミュージカル仕立ての恋愛映画。
出逢ってすぐに肌を重ねる、今風の恋愛を前にすれば、このプラトニックさは驚異的。

体と心は別々の場所に存在できる。カンションの心の清さと、体の不純について思うとき、セイヨクなんて、取るに足りないものだと思えてしまう。

極限の水不足が続く台湾。パリから帰国したシャンチーは、時計を買ったカンションと偶然再会した。
当たり前のように一緒に歩き出したふたりには、やっと同じ時間が流れる。
孤独に沈んだ時、ふと思い出す人だった互いが、今ここにいる。恋は動き出した。

肉体など交えないでも居心地の良い場所をみつけて、それでも時に求めては、プラトニックさは守られる。いい関係だった。
けれども、AV男優となったカンションの仕事場が、あろうことかシャンチーの住むマンションの一画であったために、彼の罪悪感は静かに募っていく。

水不足を補うため、人々は西瓜ジュースを飲んでいる。
西瓜は瑞々しくて、フレッシュで、艶かしくて、おそろしくいやらしい小道具だった。
日本のAV 女優が出ているのは、台湾にはさすがに演じてくれる人がいなかったからだろうか。上映に際しても物議を醸したというから。

台詞がそぎ落とされて、時間が刻々とただ流れていく。
心が結ばれるのは簡単でも、体は難しいなんて変わっているけれど、こんな恋愛の有り様があってもいいと思った。
やはりポップさが、ウォン・カーウァイの恋愛モノに似ていて、ミュージカルシーンに新しさはなくても、監督と役者の関係という面においては、他に類を見ないと思う。
役者がここまでやれるのはミンリャン監督だから、そしてこの役者陣がいなければ、良質な本作はきっとなかった。
リー・カンションの魅力はすごい!




監督・脚本  ツァイ・ミンリャン
製作  ブリュノ・ペズリー
出演  チェン・シャンチー  リー・カンション  ルー・イーチン
ヤン・クイメイ  夜桜すもも

(カラー/112分/台湾)








Last updated  2008.06.23 23:16:48
コメント(2) | コメントを書く
2008.06.21
カテゴリ:台湾映画

 台北の路上で腕時計を売っているシャオカン。父が急逝し、母は悲しみから立直れず抜け殻のようだ。
ある時、シャオカンはまもなくパリに旅立つという女性シャンチーと出会う。彼女はシャオカンの着けていた時計を強引に買い受けて旅立つ。
台北とパリ。遠く離れたふたりは互いの場所で、深い孤独と向き合っていた―――。


 先に観てしまった続編『西瓜』。ふたりの未来を知りながらの鑑賞となった。
想像以上になにも起こらない物語は、印象がかなり違っていたけれど、なかなか良かった。
きっと誰もが持っている孤独。それは身近で、主人公たちがいじらしく感じられるのは、自分の中にも同じくあるものだから。
ツァイ・ミンリャン監督作品には、いつも同じ役者が配される。彼の分身的な役割リー・カンションは、実に魅力的だ。
役者たちが監督に全幅の信頼を置いているのが伝わる。そうでなければできないだろう演技で溢れる。
どこにでもいる無力な人物を、泣き笑いしたい気分で見つめる。その先に、愛おしさと切なさがほんのりと残る。

映画を通じて“死”を考えて欲しかったーーというこの作品。父親の死から始まる物語は、喪失から立直れない母を描き、その息子の孤独や、シャンチーの異国での孤独にまで描写が及んでいく。
面白いのは、シャンチーがなぜパリへ行ったのか不明瞭なまま(旅行とはいえ)、魅力的には描かれないパリで、ジャン=ピエール・レオに出会うところ。
大人は判ってくれない』のシーンを引用して、歳を重ねたレオ本人も出演せている。内容とは繋がりないのは、監督憧れの俳優を起用したかった、ただそれだけなのかもしれない。
楽日』で往年のスターを出演させたように、自分の作品で敬意を込めて。そういう自由さが許される作品だった。

ひとつのエピソードを、少ないカットで撮っていく個性的な映像は、やぱり私好みだった。
シャオカンがシャンチーを想って、色んな場所のいろんな時計を、7時間遅れのパリTIMEにあわせるシーンは、ウォン・カーウァイの描くこじゃれたユーモアの感覚に似ていて、こちらも好きだった。
香港・日本・台湾に共通してあるアジアの恋愛のあり方は、豊かさの象徴のような気がする。

それにしても、時計売りのシャオカンは、続編でAV男優になってしまうのだ。
最初から知ってて見ると、なんだか妙に納得した、時の流れを感じた。





監督  ツァイ・ミンリャン
脚本  ツァイ・ミンリャン  ヤン・ピーイン
撮影  ブノワ・ドゥローム
出演  リー・カンション  チェン・シャンチー  ルー・イーチン  ミャオ・ティエン
セシリア・イップ  ジャン=ピエール・レオ

(カラー/116分/台湾=フランス)








Last updated  2008.12.22 14:12:10
コメント(0) | コメントを書く
2008.04.23
カテゴリ:台湾映画

 アン・リーといえば、昨年、大胆な性描写が論議を醸した『ラスト、コーション』や、沢山の賞を受賞した『ブロークバック・マウンテン』が記憶に新しい方も多いと思います。
まだどちらも未見だけれど、両方ぜひ観たいと思っています。
本作は、リー監督のデビュー作。

 太極拳の師匠、朱老人は、息子夫婦を訪ねてニューヨークへ来るが、息子の嫁マーサはアメリカ人。言葉も通じず、食事も違って気まずくなるばかり。心安らぐのはチャイナタウンで太極拳を教える時だけという朱老人に、息子のアレックスは父の第二の人生を応援しようと、恋のお膳立てをするのだが・・・。

『春にして君を想う』に続いて、同じようなテーマを持った作品です。
べつに、老後の生活を考えて悩んでいるわけではありませんよ。
老後を自分らしく生きる場所がない、場所はあっても居場所がない。そんな主人公の朱老人と息子一家のドラマ。
息子の嫁マーサは作家の卵です。家族が出かけた後、家に残された義父とふたり、重苦しい沈黙のなか、執筆ははかどらなくなっていました。
生活習慣の違いと、言葉が通じないイライラ。仕事場と繋がった居間で、太極拳をしたり、ビデオを観たり閉じこもり気味の義父へ、苛立ちは募るばかり。
マーサの切実な苦悩はありありと感じられるけれど、父親だって居場所がないことやアメリカでの暮らしに合わないことを、静かに悩んでいます。
ふたりの間に立っていつも板ばさみの息子は、さらに苦しい立場にいて、どちらの思いも汲みながら愚痴を聞いたり通訳したりで、ついには大爆発する時を迎えてしまうのです―――

配偶者の親と暮すこと、私には経験ありませんが、その苦労は想像するにやすいです。
誰も正論で、どの苛立ちもごもっともで、まったく我慢をしていないわけじゃないのが、なお辛い。
一昔前には、どんな風でも家族みんな一緒に暮すのが当然だったのかもしれませんが、現代は違う。
すっかり生き方が変わってしまって、欧米化してきて、民主主義といいながら個人の自由を優先してしまいがちなのかもしれません。自分の生き方を曲げたり変えたりなんて、私もきっとできません。このお話の朱老人だってそう、70歳になってアメリカへ渡ってはきたけれど、ここの暮らしにチェンジすることは不可能なのです。

結論は別居するしか方法がなく。
可愛い孫とも離れ、中華街のマンションでひとり暮らし始めるのでした。
太極拳教室をまた開き、教室を通じて知り合った未亡人・陳夫人と共に、第二の人生を歩み始めようというラストシーンには、希望はあるけど、息子夫婦との歩み寄りはない。
父親を受け入れる決意をし、新しく広い家に越した息子は、きっとまだそのことを知らないけれど、どちらにしても、互いに心が楽なのは離れていることだというのが、淋しい。

この結論にたどり着くまでに、おじいちゃんは自慢の太極拳で警察沙汰を起こしたり、恋をしたり、散歩に出たまま迷子になったり・・・紆余曲折いろんなエピソードが描かれています。
デビュー作とは思えないくらい、巧くまとまった、良質な作品となっていました。
もしかしたらこの映画は、台湾からアメリカへやってきた監督の思いも込められているのではないでしょうか。
老人が話す台詞「アメリカのアニメは暴力的だ」「バランスのとれた食事が大事だ」「子どもに甘い」・・・などなど。
監督自身も、たぶんカルチャーショックで苦労した人なのかも知れませんね。


 監督  アン・リー
 脚本  アン・リー  ジェームズ・シェイマス
 撮影  ジョン・リン
 音楽  チュイ・シャオソン
 出演  ラン・シャン  ワン・ボー・チャオ  ワン・ライ  デブ・スナイダー
 
 (カラー/108分/台湾=アメリカ合作/PUSHING HANDS)

 latelolita,20061011213518.jpg








Last updated  2008.04.23 17:15:02
コメント(2) | コメントを書く
2007.12.30
カテゴリ:台湾映画

 ヤンヤンは祖母や両親、姉のティンティンと台北に住んでいる、ごく普通の少年。ところが、叔父の結婚式を境に、様々な事件が起こり始める。
祖母は脳卒中で昏睡状態となり、母は精神不安定で新興宗教に走り、父は初恋の人と再会して心を揺らす。そして、姉とヤンヤンにも恋心が芽生え・・・。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 今夏、亡くなられたエドワード・ヤン監督の遺作。
優しい時間の流れてる、すごくいい映画でした。カンヌで監督賞を受賞しています。

現代の家族が抱えている様々な問題を、絶妙な距離感で描きます。
祖母が突然倒れ、昏睡状態になった一家に、次々と起こる出来事。
悲喜こもごもな、でもどちらかというとツライ現実を、リアルに映し出した素晴らしい作品でした。

映像のすべてが、瑞々しい。
日本版の予告編集をしているのは岩井俊二監督で、この瑞々しさ、似たものがあると思います。
優しい時間、現代であってもノスタルジーを感じる、染み入るなにかが、大好きでした。


初恋の女性とばったり再会して、青春時代をやり直そうとする父。
突然昏睡状態となった母親に、自分の日常を語りかけるうち、その稀薄さに耐え切れなくなって山に篭る母。
友達の恋人と付き合う姉。
幼馴染と別れて、できちゃった婚した叔父。
そしてヤンヤンは、初恋をします―――。


yan-06.jpgyan-02.jpg



描かれているのはヤンヤンからみた家族ではなく、一人一人の目線で経験された痛みや涙。
叔父さんの結婚の直後、おばあちゃんが昏睡状態になって、思いもよらぬ問題が山積みになっていくのでした。
たしかに、こういう時期って、あるのかもしれない。

けれど、大なり小なりトラブルを抱えている家族も、やがては、まあるく収まって成長してゆきます。
お父さんが、人生はやり直しできないと知り、現実を受け入れたように。
お母さんが、山も下界と差がないことを悟ったように。
お姉さんが、恋の幻想から醒めたように、叔父さんが今の人生を堅実に生きてくように・・・
頑なに、意識のないおばあちゃんへ語りかけることを「意味がない」と嫌がっていたヤンヤンだって、しっかりと大人になっているのです。

ラストは、おばあちゃんの死から、また何かが始まる予感がしました。
家族のみんなが、それぞれの知らぬ間に成長したことを、隠したまま。



お父さんの会社が倒産寸前で、立て直しを賭けた事業の相手役には、イッセー尾形さんが出演しています。
間の取り方の特徴ある方ですが、「太陽」に続いて外国の作品にあっても、やはり巧いものは巧かった!
不思議な魅力を持つ、ゲーム業界のトップという役柄でしたが、お父さんと急速に気のあっていく様がまたいい。
音楽を通じて、手品を通じて意思の疎通をしていく、大の男・ビジネスマン二人が、私的にもとても好みなシーンでした。


ヤンヤンがお父さんに言った言葉。
「人は半分しか見えていないんじゃないかな。だって後姿は見えないでしょう」
これって、外面を言ったのだけど、なかなか深い言葉として残っていました。
半分しか見えていなかったものを、突然両面とも見る機会に遭遇してしまった一家の物語・・・そんな気がして。

青春の裏側、理想の裏側、憧れの裏側、そんな色んな裏側を知って、一時はガックリきてしまうんだけど、そこから始まるであろう新しい視野は、想像するだけでもきっと明るい。
ドキッとしてしまうような、驚きの現代風のオチもなかなかで。
今年最後に、とても素敵な映画が見られました。


こちらは死ぬまでに観たい映画1001本に選ばれています。



監督・脚本  エドワード・ヤン
製作  河井真也
出演  ジョナサン・チャン 、ケリー・リー  、イッセー尾形
    ウー・ニェンツェン 、エイレン・チン

(カラー/173分/台湾・日本合作)








Last updated  2007.12.31 01:33:56
コメント(4) | コメントを書く
2007.09.18
カテゴリ:台湾映画


  台北の古い映画館“福和大戯院”では、閉館となるこの日、巨大なスクリーンにキン・フー監督の「残酷ドラゴン・血斗!竜門の宿」が映し出されていた。
まばらな観客、スクリーンを見つめる2人の老人、舞台裏では足の悪い受付の女が、特別な思いを胸に、映写技師のもとへと向かっていた・・・。


お世話になっているracquoさんおすすめの作品です。
ツァイ・ミンリャン監督は、はじめて。
実在する映画館を舞台に描かれる、最終上映の間のつかの間の出来事―――
ただ静かで、台詞少なく、動きはほとんどありませんが、そこに秘められた情感をたくさん感じ取ることができました。


rakubi_main_rgb.jpg.200px  rakubi_sub3_rgb.jpg.200px




放映されるは、傑作「残酷ドラゴン・血斗!竜門の宿」。
本作にも出演のミャオ・ティエンは、こちらがデビュー作なのだそうです。
過去の名作に出演している老いた俳優がふたり、“福和大戯院”の楽日に居合わせた偶然について、語られることはありません。
再会したふたりの会話さえ、途切れるばかり。

劇場最後の日を惜しむ観客は、いないようにも見え、たぶんいつもと変わらない“福和大戯院”なのでしょう。
下心を持った怪しい日本人の男が、客に色目を使って館内を歩いているのも、珍しいことではないのかもしれません。
そんな中、足を引きずった受付の女だけが、ひとつ仕事を終えるごとに、振り返っては惜しむように、劇場を見つめているのでした―――


脈絡なく、断片だけど、ずっと漂っている哀愁は素晴らしい。
些細な動きしかない映像に、ずっと感じる美しさ。
落としたトーン、絵になるシーンばかり。



もしも、カメラを持たされても、こんな撮り方は絶対にしないしできないと思います。
固定されたカメラで、じっと、静かに、被写体を見つめる目線。
この根気、この気の長さ、監督の性格なのでしょう。
タルコフスキー作品をふと思い出しました。
じっと視線を投げかけている、その優しさは、とても真似できないような気がします。
そしてなかなか出会えない作風。
優しさと、シビアな冷静さを一緒に感じます。



受付の女は、最後の日、自由の利かない足で懸命に、目的あるこの一日を過ごしています。
それは、映写技師へ思慕の念を伝えること―――
詳しくは語られないけれど、淡い想いも描かれていました。
そして、映写技師も、同じように彼女のことを想っているのかもしれない・・・。
降りしきる雨が、涙雨には見えなくて、優しさ残るステキな小品でした。



c100760481_l.jpg



監督・脚本  ツァイ・ミンリャン
製作  リァン・ホンチー
撮影  リャオ・ペンロン
出演  チェン・シャンチー 、リー・カンション 、三田村恭伸 、ミャオ・ティエン
   

(カラー/82分)
 










Last updated  2007.09.19 14:54:15
コメント(4) | コメントを書く

全9件 (9件中 1-9件目)

1


Copyright (c) 1997-2019 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.