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カテゴリ:中区
「麦田町市電車庫跡地」が、麦田町にひっそりたたずんでいる。 近所の人は、気にかけない。目立つでもなし、目立たないでもなし、それなりの石碑だ。 戦後、横浜市は、市電の拡張を都市の再建として行う。 新たな、線路も出来た。 しかし、自動車の交通量も増え市電の線路上にも自動車やトラックがあふれる。 そんなときに、昭和47年(1972年)、市電は廃止され都市交通は、市営バスの時代になる。 市電の車庫や資材置き場は、分散して、横浜にあった。 麦田の市電車庫は、廃止された。 現在は、区の麦田清風荘があり、隣には、麦田地域ケアプラザがある。 市電が、あったから、横浜市のとくに、旧市街地は、道路幅が広い。 道路の上下線、市電の上下線。 市電が無くなれば、片側2車線の道路ができる。道路の拡張なしでだ。 横浜は、けっこうラッキーと思う。 市電の思い出は、結構有る。 磯子区に、市電博物館がある。 もう一度、横浜の市電の歴史を再確認したくなった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.08.01 04:40:35
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