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カテゴリ:関内ー海岸通り周辺
横浜開港記念館の正面入口には、「ペリー提督横浜上陸の図」がある。 1853年7月8日(嘉永6年6月3日)、アメリカ東インド艦隊司令長官ペリー提督率いる4隻の軍艦が、日本との和親通商を求め、浦賀沖に現れました。 久里浜において浦賀奉行にフィルモア大統領の国書を渡すと、再来を約束して退去し、翌1854年2月13日(嘉永7年1月16日)軍艦7隻を率いて、江戸湾の小柴沖に投錨しました。 3月8日(2月10日)横浜に上陸、応接所で幕府との交渉がはじまり、応接掛[おうせつがかり]の林大学頭[はやし・だいがくのかみ]、町奉行井戸覚弘[いど・さとひろ]、浦賀奉行伊沢政義[いざわ・まさよし]らと、数度の交渉を経て、3月31日(3月3日)に日米和親条約(神奈川条約)が調印されました。 これにより、アメリカ漂流民の保護、薪水・食料・石炭の欠乏品の供給、下田・箱館(函館)両港の開港が決定されました。 この時の、ペリー提督横浜上陸の図であります。 なぜか犬が 2匹、図の中央にいる。 なぜだぁ~! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.10.24 04:53:15
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