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竹輪 の芯

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2008.05.10
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カテゴリ:横浜・雑記帳
増徳院は、元町1丁目、現在の元町プラザの場所にあった寺院です。
古くから町の人たちの信仰の中心的存在でした。
震災後、1928年(昭和3年)に南区平楽に再建し、戦災を経てそのほとんどが平楽へ移転しました。
現在元町にあるのは、1972年(昭和47年)に再建された薬師堂のみです。
大同年間(9世紀初頭)の創立といわれていますが、記録は残っていません。
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1854年ペリーは開国交渉のため7隻の艦隊を組織して再び来日しました。
このとき艦隊の中の一隻ミシシッピー号の乗組員ロバート・ウィリアムズという24歳の二等水兵が墜死し、この水兵の埋葬地と共にアメリカ人用の墓地をペリーは幕府に要求しました。
協議の後、幕府は横浜村の増徳院(大震災で全焼した)の境内の一部を提供することにしました。
ペリーの要求した「海の見える地」という条件にも合い、ウィリアムズはここに埋葬されました。
これが横浜山手の外国人墓地の始まりとなります。
ペリー艦隊のミシシッピ号の船員の葬式が行われたときは、葬儀の列は街中を太鼓の音に合わせて行進し、住民達は家や店から出てきて、見物しました。

また、明治8年、三致学舎と明衛学舎を合併し,元街学校とし,増徳院境内に移転した。
後の元街小学校であります。

いろいろと歴史がある増徳院である。






Last updated  2008.05.10 06:52:21
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