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Oka-Ryo.ACのフィジカルトレーニング

2019年08月17日
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カテゴリ:歴史
地元:兵庫県への帰省を終えて、昨日、横浜の自宅へ戻って来たが、
横浜への帰路は歴史歩きで寄り道をして夏休みの時間を楽しんで来た。

昨日の歴史歩きのコンセプトは明智光秀!

明智光秀といえば、
1582年(天正10年)6月2日に起きた「本能寺の変」の一方の当事者。

主君:織田信長に謀反を起こしたクーデターの当事者として、
歴史上は「悪役」のレッテルを貼られている人物だが、
最近は「本能寺の変」の研究が進んで評価が変わり、
優秀な武将、政治家であった事などが評価されている。

昨日、最初に向かったのは、京都府長岡京市にある「勝竜寺城」。
JR長岡京駅から徒歩で10分弱の所にある。


勝竜寺城は室町時代初期の南北朝時代、
1339年に北朝側の武将:細川頼春によって築かれた城で、
室町時代末期には織田信長の傘下に入った細川藤孝の居城となった事で知られている。

明智光秀との関りで言うと、
本能寺の変の11日後の6月13日、
備中(岡山県)の戦場から引き返して来た羽柴秀吉(豊臣秀吉)を、
明智光秀が迎え撃った山崎の戦いの際、明智方の属城となり、
敗戦となった光秀が一時籠城したが、
夜に入って本城の近江:坂本城を目指して脱出し光秀の脱出後に城は落城している。


現在は勝竜寺城址公園として整備され、
石垣や堀、櫓などが復元されて当時の城の様子をうかがう出来るほか、
明智光秀が夜に紛れて脱出したとされる北門の跡などが残っており、
山崎の戦いに敗れた光秀の足跡を辿る事ができた。


勝竜寺城を後にし次に向かったのは、
京都市営地下鉄東西線醍醐駅から徒歩15分ほどの京都市伏見区小栗栖にある「明智藪」。


「明智藪」は勝竜寺城を脱出した明智光秀が本城である近江:坂本城に向かう途中、
落ち武者狩りの土民の襲撃に遭い命を落とした場所。


現在も住宅街の裏山に竹藪が広がり、
明智光秀が命を落とした竹藪として「明智藪」と呼ばれていたが、
最近になって新たに道路が通る事になり竹藪はこのように切り拓かれてしまっていた。


「明智藪」のある場所は近くにある「本経寺」の境内:敷地内になっている。


本経寺の境内には明智光秀の供養塔が建てられていた。


本能寺の変の11日後の山崎の戦に敗れた明智光秀の足跡は、
この小栗栖の明智藪で途絶えた訳だが、
昨日の私は光秀の代わりに(?)、光秀が目指した近江:坂本城へ向かう事にした。

明智藪から次に向かった滋賀県大津市にある坂本城。


JR比叡山坂本駅から徒歩20分ほどの所の琵琶湖岸にあり、
1571年に明智光秀によって築城された時は天守のある大きな水城だったが、
現在は石垣の一部が残るだけとなっている。


坂本城跡に建つ明智光秀像


城跡には石垣の一部が残っているのみ。

坂本城跡公園から琵琶湖を望む。
琵琶湖を囲んで安土城、長浜城、この坂本城が築かれ織田信長の近江支配を支えた。


坂本城を訪ねた後に昼食をとったのは、
京阪坂本比叡山口駅の近くにある「本家 鶴㐂そば」。


以前、坂本の石積:石垣を見に来た時に寄って以来、
今回が2回目の訪問で、
昨日も美味しい蕎麦を味わう事が出来た。

遅めの昼食を終えた後は、
坂本比叡山口駅から京阪石山坂本線に久しぶりの乗車。



明智光秀の足跡を歩き、
最後は光秀が帰る事が出来なかった坂本城を訪ねて、
大好きな歴史歩きで妄想モワモワ⤴⤴⤴。

台風の翌日で湿度も気温も高くたくさん汗をかいて疲れたが、
夏休みの1日として楽しい歴史歩きになった。






最終更新日  2019年08月17日 18時20分19秒

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