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【節操】ハビット&アジャスト ~NBA・古典~日常・情報~

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2021.02.22
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~~~~~~~過去記事~~~~~~~
【中庸】恥とは何か ~知るは勇に近し~
~~~~~~~過去記事~~~~~~~
…数年前に書いた記事を、今一度読み直してみた。この記事のまとめで、以下のように書いた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・『恥』とは感情の一種であり、
 それは行動から湧き出るモノである
・同じ様な失敗を繰り返すは『恥』である
・同じ様な失敗を繰り返さない為には、
 恥とは何かを理解し、その行動に
 慎重さを加える必要がある
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
…恥とは何か。うーん、未だによく分からん、、、。論語に出てくる「小人の過ちや必ず文る」つまり、言い訳して取り繕うのはみっともないなと思う程度だな。そんな事をやっていても、自分を正当化して何も進歩しないだけなんだよね。ま、簡単に"過ち"と思い込んで卑屈になるのもどうかと思うよ。ハナから"自分が間違っていた"と思い込むのは、それは単なる自己否定だ。違う違う。客観的に見て、何が一番最適だったのか見直して学習することが大切なんだよ。
 恥とは"感情"だ。自分の行動がみっともなかったと恥じ入る様子だ。感情は、ごく自然にわき上がるもの。もし、恥じ入る感情がわいてこなければ、それは恥とは言い難い。恥と自覚していないからな。恥と感じるのは、それが"みっともなかった"と感じてからだ。それに気付くのは、たいてい自身が成長した後だ。つまり、恥じ入ることは、自身が成長した証でもあるんだな。それはそれで喜ばしいことだ。もし、恥じ入って凹んでいる人がいたならば、そうやって励ますのもいいかもしれないね。
 そもそも、恥知らずな人というのは、無知な人であるイメージがある。大して知らない状態、ってことだ。"世間知らず"もしくは"常識知らず"とも呼べる。恥知らずは、たとえ失敗など恥ずべき行為をしても、それに気付かない傾向がある。恥を自覚していないのに、恥ずべき行為を指摘しても、呆気にとられるケースは多い。恥に気付いていないからである。そんな状態で、何度も指摘しても、何も行動は変わらない。「過って改めざる、是を過ちと謂う」という言葉もあるが、そもそもその過ちの意味が分かっていないと、結局また同じ過ちをおかすんだな。それこそ、"本当の過ち"というんだ。たとえ失敗しても、その失敗の原因、本質を理解しないと、結局同じような失敗を繰り返してしまうんだな。根本的な原因、それを解明して軌道修正すれば、自ずと同じ過ちをしなくなるんだが、その根本を見出だすのに苦労する場合も多い。それこそ、精神的な根っこの部分が原因だと、ちょっとやそっとでは修正されない。小手先の対処しかできない。それは、自分自身に対しても難しい問題だ。ましてや、他人ともなれば、その難易度は格段に上がる。自分自身を変えられない人が、他人を変えることなど、図々しいにもほどがある。ま、根本的なところは、まずは自分自身を変えることから始めよう
…かなり話が逸れたね(^_^;)。話を戻そう。
 中庸に「恥を知るは勇に近し」と書いているが、これはどういうことか?単純に、過ちを認めることに勇気が必要、とも解釈できるんじゃないかな。
 勇気と恥ってのは、近しい関係性があるのかな。恥じ入る感情は、一種の判断基準となる。恥となる行動は、誰しもがしたくない。それを避けるために、対策をとったり別の方法を採用したりする。では、何に対して恥と感じるのか?それは、もう人それぞれである。一概に言えない。ま、代表的なのは「大衆の前で赤っ恥をかかされること」なのだろう。自身の名誉に関わることだ。名誉を傷つけられて、何も感じない人はいない。だから、名誉を守るための行動をする。たとえそれが、最善策ではないと思われていても。名誉の為なら、人は必死になるんだ。もしくは、名誉を傷つかれないよう、あえて行動せず静観するケースもある。「我関せず」状態だな。それも、おのれの名誉を守るための行動の一つだな。もし、何かしらの失敗をして、面目丸潰れになる恐れがある場合、人はどんな行動に出るのだろうか。おそらく、素直に失敗を認めて次のアクションを取る、という人は少数派なんじゃないかな。それこそ、勇気ある行動だ。なぜなら、面目丸潰れになって名誉に傷がつくからだ。たいていの人は、ごまかしたり、取り繕ったりするんじゃないかな。実際、そういう光景は、日常的に見る。そりゃそうだ、誰だって面目を潰されたくないからね。これは、人間の性(さが)だと言える。ま、だからと言って、ごまかしたり取り繕ったり言い訳は見苦しいんだけどね。その姿を、自分自身で直接見せないから、必死にそうしてしまうんだろうな。たぶん、俺自身も、気付かない内にやっているんだろうな。
 さて、話を戻そう。勇気と恥の関係性だったな。過ちを認めるのは、たしかに勇気がいる。だが、単に鵜呑みして聞き入れることではない。そこに「自分の意志があったか」により、話が変わってくる。もし、何も意志がなく、ただ単に惰性に流されて失敗したのであれば、それは恥ずべき事だ。もし、その失敗に対して指摘しても、その惰性に流された原因を突き止めない限り、再び同じような失敗を繰り返すだろう。それが『根本的な原因』となる部分だ。それは、姿勢の問題なのか、そういう仕組みが整ってなかったのか、要因は様々ある。その要因が解消されない限り、前に進むことは難しいだろう。逆に、その問題さえ解決されれば、急遽豹変する場合だってある。要因を究明することは、大切なことなんだな。
 さて、再び話を戻そう。もし、その過ちについて「自分の意志」があった場合はどうだろうか?たとえば、そこにロジックがあり、成功するであろうと思われたが失敗に終わった場合はどうだろうか。その場合は問題ない。原因を究明して、その失敗を次に活かせばいい。次に、個人的な感情が出てきて失敗した場合はどうだろうか。たとえば、自分の信念に反した場合などだ。もし、その信念が"正しいもの"であるならば、誰も文句は言うまい。個人的に反省して、次の対処を考えればいい。場合によっては、それは「失敗じゃない」場合だってある。惰性に流されるよりはましだ。惰性に流されて大きな失敗をするより、信念にしたがって大きな失敗を防ぐほうが、時には大切なんだ。ま、それは気付きにくい問題なんだけどね。これはこれで大した問題ではないだろう。問題は、"歪な信念"により失敗した場合はどうだろうか?たとえば保身。保身に走るがために、取り繕うために更なる失敗を重ねるケースだ。これは、目も当てられない惨状になる危険性がある。そもそも、歪な信念ってのは何だろう?正当ではない。邪道。小賢しい策。そんなイメージだろうか。ともかく、歪な信念を元にした言動は、周囲に不穏な影響を与える。そして、厄介なのは、歪な信念というのは"よく分からない"ということだ。何となくおかしい、だけどよく分からない。そういうものだ、歪な信念というのは。その場合は、あまり深入りしないほうが身のためだろう。
 また話が逸れた。話を進めよう。失敗を認める勇気について、だったっけな。今までの行動に間違いがあったと認め、それ以降の行動に修正を加える。それって、結構大変なんだよね。何故なら、今までの習慣を一部否定することになるからだ。そうすると、習慣の修正を迫られる。習慣の修正となれば「楽(ラク)が出来なくなる」ということだ。それはなかなかに苦痛だ。何故なら、1日の大半は「習慣にしたがって"無意識"に動く」からだ。"意識して動く"ってのは、結構なエネルギーや労力を消費するんだ。出来れば、やりたくない一手だ。それでも、失敗したのならやるしかない。一般的には、そう考えて修正するだろう。だが、人間は惰性に流されやすい。今までの習慣を変えたくないがために、ごまかしたり取り繕ったり言い訳したりする場合もある。みっともない行為なのに、意志の弱さ、理解の低さから、無駄なことに時間を費やしてしまうんだ。よくよく考えれば、そんなことをしても百害あって一利なしだ。だが、悲しいかなそれに気付く人は少数派だ。大多数の人は、"今まで通り"にしたいんだ。習慣にしたがって進めたいんだ。無意識にラクに行きたいんだ。それを否定されると、都合が悪くなってしまう。それを防ぐために、無駄な言い訳をしてしまう。それが、更なる無駄を生み出してしまうのに。だからこそ、失敗は失敗と認め、次どうするかを考えるようにするんだ。遠回りのようで、よっぽど建設的だ。無駄に逃げるよりも、遠回りでも立ち向かう方が、実は一番の近道だった場合が多いだろ。だったら、正々堂々とやればいい。小賢しい小手先の取り繕いより、よっぽど建設的だろう。
 さて、正々堂々とやれば、結局は一番の近道となると言ったが、実際に"正々堂々と"物事を進めるにはどうするか?一つは『正しい信念を持つこと』である。一つは『確証が出るまで動いて考え続けること』である。そして『納得させること』である。それらがキーワードとなる。
 正しい信念を持つこと、とはどういうことか?法的な常識と一般的な観念を鑑みた上で"自ら"が考える正しい考え方を指す。自分の目から見た"正しい道"とでも言おうか。それを、自分の頭で考えて出た答えが"信念"となる。その信念が、法的な常識と一般的な観念に近ければ近いほど、自信を持って堂々とできる
 確証が出るまで動いて考え続けるとは、確信ある情報を集め、分析し、最適な答えを出すことである。物事の多くは"問題解決"にある。次から次へと来る問題に対し、的確な答えを出し続ける必要がある。その為に、動いて情報収集し、分析して考えて答えを出す。それを積み重ねていく内に、物事の原則が分かるようになって、堂々と動けるようになってくる。
 そして、納得させるとは、双方納得させるための答えを出すことである。自分と相手、双方だ。そのためには、自分の中で答えを見出だしておくんだ。その上で相手からも答えを聞き、客観的な答えを明らかにするんだ。その答えは、真実に近しいほど、信憑性があるほど、信頼につながる。納得するまで、腑に落ちるまで、追求し続けるんだ。
 さて、話が逸れ逸れでよくわからなくなってきたが、話をまとめよう。
 恥とは感情であり、失敗を知覚したときに初めて湧いてくるものである。失敗と知覚しない限り、恥の感情は湧いてこない。もし、その失敗を恥と思っていなければ、同じような失敗を繰り返すようになる。人は、習慣にしたがって生きているからな。習慣を変えるのは大変だ。だから、今まで通りを続けたい。もし、その失敗を理解し、認め、修正しようとするならば、それには勇気がいる。失敗を認めるとは、恥を受け入れることだからね。だから、「恥を知るは勇に近し」と言うんだろうね。
 最後に、すべての恥を受け入れてサイキョーになった国王の逸話を紹介しておこう。
【過去記事】批判大歓迎 ~身贔屓の打破~
…俺の好きな古典話の一つだ。「文句を言ったら褒美をやる」と言って意見を募り、それらを一つ一つ改善していく逸話だ。始めの1ヶ月は怒涛の如く意見が来たが、少しずつ減り始め、最後には何も意見がなくなった。誰も文句が言えないほどに、完璧な環境、体制が整ったからである。そんな国に敵う国はおらず、諸侯はその国に平伏したそうだ。
 この逸話は凄まじい。全てを聞き入れ、全ての問題を解決させたんだ。これは、なかなかできるものではない。なぜ出来たのか?その国王は、何が恥かを理解しており、強靭な勇気の持ち主だったからなのだろう。この逸話は、恥と勇気の答えを知るヒントになるんじゃないだろうか。俺はそう思っている。

…長々と書いたが、結局まとまりきらなかったな。いつか、また気が向いたときにでも、考えてみることにするよ。


【参考書籍】

[新訳]大学・中庸自分を磨いて人生を切りひらくための百言百話【電子書籍】[ 守屋洋 ]

中国の思想(9) 論語(改訂版)【電子書籍】[ 松枝茂夫 ]

【"恥"電子書籍】

言いたいことが言えない人「恥ずかしがり屋」の深層心理【電子書籍】[ 加藤諦三 ]

恥と自己愛の精神分析 : 対人恐怖から差別論まで【電子書籍】[ 岡野憲一郎 ]

恥をかかない コミュマスター養成ドリル【電子書籍】[ 石原壮一郎 ]

生き恥ダイアリー【電子書籍】[ カレー沢薫 ]

恥ずかしい人たち(新潮新書)【電子書籍】[ 中川淳一郎 ]






Last updated  2021.11.10 22:42:30
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【メモ】"恥を知る"まとめ   健葉Kojitsu さん
・恥=みっともないと思う気持ち
・恥を自覚した=成長の証
・恥知らず=無知な人
・失敗の原因や本質を理解する
・自身の根本的な部分から修正する
・誤魔化し、取り繕い、言い訳は見苦しい
・無意識の修正は大変だ。だが、必要なら、頑張って直していくんだ
・大多数の人は"今まで通り"が良い
【物事を正々堂々と進める3ヶ条】
・正しい信念を持つこと
・確証出るまで動き考え続ける
・納得させること (2021.02.22 08:05:47)


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