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カテゴリ:・互為論
「尊敬に年齢は関係ない」
…たとえ年下であっても、たとえ後輩や部下であっても、凄いと思ったことは素直に認める。凄いと認めて、真似れるなら吸収して糧とする。尊敬に年齢は関係ない。たとえ自分の半分程度の年月しか生きていなくても、様々な修羅場を乗り越えて人格者になっている人などザラにいる。人によって歩んできた道は無数にある。尊敬に値する人も、年齢関係なく無数にいるだろう。 気が付けば、最近のNBA選手は俺より年下が多くなってきた。それでも、プロとして模範となる人格者が大多数なんだ。それは教育の賜物ではあるが、よく学習して実践に移す選手達も立派である。だからこそ、今でもNBAの物語を見続けるのだ。ニュースやコラムで見るNBAの物語は好きだ。その考え方や哲学は参考になる。 年齢で相手を見くびると見誤るよ。一人一人、ちゃんと生きているよ。相手を大人と認めるんだ。大人として対応すれば、相手は大人扱いされていると察して、大人としての対応をし始めるんだ。相手を認めている証拠だ。社会人としては大人にならないといけないが、プライベートで遊ぶときは"大人の仮面"を外してもいい。ま、大人仮面の影響をいつの間にか受けて、大人な考え方になっていることが多いけどな。そうなれば、はめを外すことはないね。そうやって日々大人になっていくんだ。大人の先は老練だ。老練になるのはまだまだ先でいい。社会人を引退するまでは、大人として立派に生きればいい。 年下や後輩、部下に敬意を持つのはいい。だが、無闇に褒めるのは得策ではない。褒めすぎると言葉を軽く捉えるようになる。過ぎたるは及ばざるがごとし、ってやつだ。普段厳しく指導されていても、本当に良い成果を挙げたときに褒められる。それがいいんだ。寛猛相済、ってやつかな。厳しさと柔軟さ。言葉にもメリハリが大事なんだ。後輩や部下は、頼りないと察すると、どんどん相手を嘗めてかかってくる。敬意を忘れるんだ。敬意を忘れた人は、どんどん道を逸れていくんだ。努力の方向音痴にもなる。ま、だからといって嘘の敬意はいけないな。敬意とは『相手を認める』ことである。敬意があれば相手を見抜ける。敬意を忘れると相手を見抜けない。敬意は、人や物事を観察する上で必要な感情である。敬っているふりはバレる。逆に嘗められていると感じるものだ。大人といっても、誰もが寛大とは限らない。 敬意を忘れた人間はどうなるか。"俺様対応"になる。皮肉を込めて"神様対応"とも言う。天上天下、自分が一番、自分さえ良ければそれでいい。他は知らない。他は切り捨ててもいい。そんな傲慢な考え方に陥るんだ。そしていつしか人の恨みを買って、陥れられていくんだ。足元を掬われる。社会は人間関係で成り立っている。その人間関係が崩れれば、自分の居場所はあっという間に失われていく。淘汰されていく。そうなれば、強制的に放浪の旅や冒険にいかなければならない。それも1人で。そうなってから初めて、自分の愚かさや至らなさに気が付くんだ。全てを失ってからでは遅い。もう取り戻せない。多大な代償を払って勉強させられることとなる。 人間に敬意を払えるとどうなるか?相手を見抜ける。人間関係を見抜ける。環境を見抜ける。先々の展望を見抜けるようになるのだ。敬意は、観察力を高める感情だ。喜怒哀楽に揺さぶられると見誤ることがある。感情の起伏が激しい人はなおさらだ。敬意は、社会で自分が安心して生きられるために必要な感情だ。偽りの感情じゃない。正真正銘の純粋な敬意だ。正真正銘の敬意があれば、人も社会も世の中をも見抜けるようになる。本質を理解しているからだ。 素直な気持ちで敬意を抱く。イメージとしては、鬼滅の無限列車編で出てくる炭治郎の無意識領域の世界だ。 無限列車編で感動的な一面の一つだ。自分が救われたいがために悪事に手を染めようとした青年を、炭治郎の無意識領域の温かさが"説得"してしまうんだ。自分の欲望を越える、あたたかくて心地が良い領域だったのだ。この人を害したくはない。そう思い止まらせてしまうのだ。純粋で素直な心の持ち主は、こういう人物を指すのだろう。素直に認められる人物は、相手への敬意に満ちている。 敬意は観察力を高める感情である。純粋で素直な気持ちでありのままを見抜く。心が歪んでいると見えなくなる事象も、素直な心であればストレートに受け入れ認めることができる。そして、聡(さと)い者であれば、認めた上でどうするか考えていく。過去に凝り固まっているよりも、未来への布石を打つ方を優先する。過去に囚われないのは、過去は過去のものとして既に心が処理しているからだ。"現在"とは、過去と未来の狭間で存在している。今一時を生きる。素直な心で生きている人は、常に"今"を真剣に生きてきた。今どうするか?今をどうしたいか?今なにをすべきか?それが常に頭にある。今を真剣に生きているんだ。今を"自分らしく"生きている。だからこそ、自己肯定感は満たされている。自分の好きなところ嫌いなところ、良いところ悪いところ、それらをも素直に受け入れて生きている。自己肯定感さえ満たされていれば、相手に対しても素直な心で見透かすことができる。たとえ相手が表面上は違うと感じていても、後に振り返ったときは実はそうだったと気付くケースも多い。素直な心というのは、頼りなさそうに見えて、実は芯の強さがあるんだ。確固たる自信。自分を知り、自分を信じているからこそ、相手も同様に信じることができる。 敬意を払えるようになれば、人生は好転してくる。良いことは良いと認め、悪いところは悪いと指摘する。その"当たり前"のことを瞬時に即座にできる。場の雰囲気を読みながら物事の良し悪しを判断する。そして、その場に即した適切な対応をする。敬意があればできる。相手の存在を認めているからだ。敬意を払うとは、存在を認識していると相手に伝えることでもある。一個人としての存在を認めてくれれば、段階的に心を開いてくれるだろう。 敬意は、良好な人間関係を築くために必要な感情だ。最初は形式上でもいい。次第に観察力を磨きあげ、純粋で素直な敬意を抱けたらいいね。敬意に必要なのは"善悪の判別"だと思う。良いものは良い、悪いものは悪い。その判別を瞬時にできる自分なりの原則をもつんだ。そうすれば、自分なりの敬意の感情が湧いてくる。 《互為論プチ目次》 ・互いの為になるには論 ・『おのれ』と『まわり』それぞれの視え方 ・まわり から おのれ を知る ・蟠(わだかま)りや疑心暗鬼 ・過去/現在/将来~ おのれ を知る手段の一例~ ・厳格と蒙昧~自身の道を探求する~ ・おのれ の習慣を変える事 ・実力&チームワーク(前編)~実力篇~ ・実力&チームワーク(後編)~チームワーク篇~ ・強(したた)かな柔軟性~自主性や信頼~ ・認めて認められる事 ・最大限か最小限か ・ツヨき者&ヨワき者 ・捉え方ー接し方ー扱い方 ・チームワークとは伸ばし合い ・ビジネス対価 と 感情対価 ・自分本意を認める ・大人として対応する ・関わる相手を選ぶ ・敬意に年齢は関係ない お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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・たとえ年下であっても、たとえ後輩や部下であっても、凄いと思ったことは素直に認める。
・凄いと認めて真似れるなら吸収して糧とする。 ・尊敬に年齢は関係ない。 ・たとえ自分の半分程度の年月しか生きていなくても、様々な修羅場を乗り越えて人格者になっている人などザラにいる。 ・人によって歩んできた道は無数にある。尊敬に値する人も、年齢関係なく無数にいるだろう。 ・NBA選手はプロとして模範となる人格者が大多数。 ・それは教育の賜物ではあるが、よく学習して実践に移す選手達も立派である。 ・今でもNBAの物語を見続ける理由はそこにある。ニュースやコラムで見るNBAの物語は好きだ。 ・その考え方や哲学は参考になる。 ・年齢で相手を見くびると見誤る。 ・一人一人、ちゃんと生きている。 ・相手を大人と認める。 ・大人として対応すれば、相手は大人扱いされていると察して、大人としての対応をし始める。 ・相手を認めている証拠だ。 ・社会人としては大人にならないといけない。だが、プライベートで遊ぶときは"大人の仮面"を外してもいいのではないか。 ・"大人の仮面"の影響を受けて"大人な考え方"になっていることが多いけどね。 ・そうなれば、はめを外すことはない。そうやって日々大人になっていくんだ。 ・大人の先は老練だ。老練になるのはまだまだ先でいい。 ・社会人を引退するまでは、大人として立派に生きればいい。 (2021.11.20 09:55:15)
・年下や後輩、部下に敬意を持つのはいい。だが、無闇に褒めるのは得策ではない。
・褒めすぎると言葉を軽く捉えるようになる。過ぎたるは及ばざるがごとしだ。 ・普段厳しく指導されていても、本当に良い成果を挙げたときに褒められる。それがいい。 ・寛猛相済。厳しさと柔軟さ。言葉にもメリハリが大事なんだ。 ・後輩や部下は頼りないと察すると、どんどん相手を嘗めてかかってくる。敬意を忘れるんだ。 ・敬意を忘れた人は、どんどん道を逸れていくんだ。 ・努力の方向音痴にもなる。 ・だからといって嘘の敬意はいけない。 ・敬意とは"相手を認めること"である。 ・敬意があれば相手を見抜ける。 ・敬意を忘れると相手を見抜けない。 ・敬っているふりはすぐバレる。逆に嘗められていると感じるもの。 ・敬意は、人や物事を観察する上で必要な感情である。 (2021.11.20 09:58:51)
・大人といっても誰もが寛大とは限らない。
・敬意を忘れた人間はどうなるか。"俺様対応"になる。 ・皮肉を込めて"神様対応"とも呼ぶ。 ・天上天下、自分が一番、自分さえ良ければそれでいい。他は知らない。他は切り捨ててもいい。そんな傲慢な考え方に陥るんだ。 ・そしていつしか人の恨みを買って陥れられていくんだ。足元を掬われる。 ・社会は人間関係で成り立っている。 ・その人間関係が崩れれば、自分の居場所はあっという間に失われていく。 ・そうなれば、強制的に放浪の旅や冒険にいかなければならない。 ・そうなってから初めて、自分の愚かさや至らなさに気が付くものだ。 ・全てを失ってからでは遅い。もう取り戻せない。多大な代償を払って勉強させられることとなる。 (2021.11.20 10:01:24)
・敬意を払えると相手を見抜ける。人間関係を見抜ける。環境を見抜ける。先々の展望を見抜けるようになる。
・敬意は、観察力を高める感情だ。 ・喜怒哀楽に揺さぶられると見誤る。感情の起伏が激しい人はなおさら。 ・敬意は、社会で自分が安心して生きられるために必要な感情だ。 ・偽りの感情じゃない。正真正銘の純粋な敬意だ。 ・正真正銘の敬意があれば、人も社会も世の中をも見抜けるようになる。本質を理解しているからだ。 ・素直な気持ちで敬意を抱く。そのイメージとしては、鬼滅の無限列車編で出てくる炭治郎の無意識領域の世界だな。 ・自分が救われたいがために悪事に手を染めようとした青年を、炭治郎の無意識領域の温かさが"説得"してしまう。 ・自分の欲望を越える、あたたかくて心地が良い領域に入り浸れる。 ・純粋で素直な心の持ち主は、こういう人物を指すのだろう。 (2021.11.20 10:04:05)
・素直に認められる人物は相手への敬意に満ちている。
・敬意は観察力を高める感情。 ・純粋で素直な気持ちで見抜く。 ・心が歪んでいると見えなくなる事象も、素直な心であればストレートに受け入れ認めることができる。 ・聡い者であれば「認めた上でどうするか」を考えていく。 ・過去に凝り固まっているより未来への布石を打つ方を優先する。 ・過去に囚われないのは、過去は過去のものとして既に心が処理しているからだ。 ・"現在"は、過去と未来の狭間に存在する。 ・今一時を生きる。素直な心で生きている人は、常に"今"を真剣に生きている。 ・今どうするか?今をどうしたいか?今なにをすべきか?それが常に頭にある。 ・今を真剣に生きているんだ。 ・今を"自分らしく"生きている。 ・だからこそ自己肯定感に満ちてる。 ・自分の好きなところ嫌いなところ、良いところ悪いところ、それらをも素直に受け入れて生きている。 ・自己肯定感さえ満たされていれば、相手に対しても素直な心で見透かすことができる。 ・たとえ相手から表面上は違うと思われていたとしても、後に振り返ったときは実はそうだったと相手が気付くケースも多い。 ・素直な心というのは、頼りなさそうに見えて実は芯の強さがある。 ・確固たる自信。自分を知り、自分を信じているからこそ、相手も同様に信じることができる。 (2021.11.20 10:08:47)
・敬意を払えるなら人生は好転する。
・良いことは良いと認め、悪いところは悪いと指摘する。 ・その"当たり前"のことを瞬時にやる。もしくは思う/考える。 ・場の雰囲気を読みながら物事の良し悪しを判断する。 ・そしてその場に即した適切な対応をする。 ・敬意があればできる。相手の存在を認めているからだ。 ・敬意を払うとは、存在を認識していると相手に伝えることでもある。 ・一個人としての存在を認めてくれれば、段階的に心を開いてくれる。 ・敬意は、良好な人間関係を築くために必要な感情だ。 ・最初は形式上でもいい。 ・次第に観察力を磨きあげ、純粋で素直な敬意を抱けたらいい。 ・敬意に必要なのは"善悪の判別"。 ・良いものは良い、悪いものは悪い。その判別を瞬時にできる"自分なりの原則"をもつ。 ・そうすれば、自分なりの敬意の感情が湧いてくるだろう。 (2021.11.20 10:12:55) |