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カテゴリ:常識不知の日記
…自由と調和。どちらを望むか。叶えたい願望があるなら自由、安定安心を望むなら調和を願う。それ次第で日々の取り組み姿勢は大きく変わっていく。
_______________________ 自由を望むなら責任を持って貪欲に業務に励むだろう。目的の為なら躊躇はない。手段も多彩にやれることを全てやるだろう。遠慮なくガンガンやる。利害が一致する者と結託する。外交がメイン。実績が目に見えて分かればモチベーションが高まる。実績の対価が得られるなら尚更やる気になる。自由な者を中心に変化が起きる。活動的である。動の姿勢。自ら動いて変化を起こす。歩合制でもいい。1人でも構わない。自ら進んで組織を動かしていく。出世意欲は高め。自ら直談判する場合もある。 調和を望むならルールに則って皆で歩幅を合わせながら事を進めていくだろう。物事を着実に進めていく。報連相を確実に行う。安定安心を望む。無理をしない。余裕を持ちたい。変化を望まずいつも通りを望む。内政がメイン。派閥や人脈が大事だ。組織を機能させる。皆で組織を動かそうとする。長いものに巻かれる。無難に対応。予定調和でも構わない。人畜無害でも構わない。やるべきことをやる。あまり目立ちたくない。仕事をぶん投げられるのを嫌う。固定給を望む。かばい合いに抵抗ない。安定を望む。出世意欲は低め。指示があったらやる。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ …自由と調和について思い付く限り書いてみた。自由でありたいのは冒険や変化を望むからだ。簡単に言えば飽き性で興味対象が多いということ。調和を望むのは安定したいからだ。興味対象を限定して局地的に集中したいのだろう。易経にたとえるなら、自由は陽、調和は陰となる。陽は拡大、拡散を意味する。陽に過ぎれば薄まって消え失せる。陰は集約、凝縮を意味する。陰に過ぎれば縮こまって消え果てる。陰と陽のバランスを保つことが大切。自由と調和のバランスを整えると物事は上手く運ぶ。自分はどちらが強いか。その強弱を知る。目立ちたがりは自由を望み、控え目であれば調和を望む。それは本人の性格や願望にもよる。願望と言っても、大抵はすでに願望は叶っているものだ。本人に自覚がないだけだ。表面的な願望は、ひょっとすると本当の願望じゃないかもしれない。欲求はすでに行動になって表れているケースは多い。自分の本当の欲求が明らかになったら、そこからどうするか考えられるようになる。たいてい、表面的な願望は他人都合の絡みもある。本当の欲求とは、極端なまでに自分本意で自己都合しか考えない場合に明らかになるものだ。皆、自己都合で生きている。その事実に気付けるか。他人のためも含めて自己都合だ。そう考えると、自己都合の範囲は思っている以上に広いと気が付けるはずだ。自己都合を無視して他人都合に振り回されていると、いつしか他人のためが他人のせいになる。ますます無関心になる。そうじゃない。自分本意を認めて他人都合にも合わせてやる。自己都合も考えてやれ。そうすれば、自分らしさを取り戻して周りが見えるようになる。自己満足ができて他者満足にも関心を持てるようになる。自己満足が出来てない間は自分のことで精一杯になる。自己犠牲という言葉は嫌いだ。自己犠牲を求めてくる奴はもっと嫌いだ。自己犠牲を求めている奴ほど、自分本意で自分勝手だと思うからだ。教育の一貫としてやるとしても嫌だ。自己犠牲を求めてくる奴には疑念しか湧かない。逆に、自己犠牲を体現している人には好感がもてる。自ら行動して示す者には協力したくなる。素直に言うことも聞いてやる。自己犠牲を体現出来る人は優秀であるケースが多い。口先だけの奴は信用しない。やることやって黙らせてやるだけだ。敬意というのは行動から表れる。正しい行動をしている者には敬意が湧いてくる。口先だけの奴には嫌悪感しかない。行動は、他人がよく見ている。その言動に同調する者同士が集まる。派閥もそうやって生まれてくる。似た者同士が周囲に集まってくる。だから周囲の人間は自分自身の合わせ鏡だと言われている。人の振り見て我が振り直せというのはそういうことだ。我が振りを直せば、その影響は他人にも及ぶ。正しい手本には影響力がある。周囲の人間共の言動が変わったように見えたなら、それは自分自身に変化があった証だ。知らず知らずのうちに、自分の言動は周囲の人々に影響を与えている。それは良くも悪くもだ。また、我が振り直したならば、自然と関わる人間も変わってくるものだ。今まで接点がなかった人たちと交流したり、新たな出会いがあったりと人間関係に変化が生じる。それは結局自分しだいだ。同調する者や波長が合う者としか出会わないようになっている。そう思っておけば、人の振り見て我が振り直して自立していけるだろう。誰かに依存している間は自由になれない。自分本意に生きても調和を果たせるなら、それは自立していると言えるだろう。自由と調和。そして立ち振舞い。自分の望みは何か。今一度考えてみよう。 【"易経"電子書籍】 生きるヒント『易経』【電子書籍】[ 梶川敦子 ] 楽しくまなぶ『易経』【電子書籍】[ 梶川敦子 ] 中国の思想(7) 易経(改訂版)【電子書籍】[ 松枝茂夫 ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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・自由でありたいのは冒険や変化を望むからだ。簡単に言えば飽き性で興味対象が多いということ。
・調和を望むのは安定したいからだ。興味対象を限定して局地的に集中したいのだろう。 ・易経にたとえるなら、自由は陽、調和は陰となる。 ・陽は拡大、拡散を意味する。陽に過ぎれば薄まって消え失せる。 ・陰は集約、凝縮を意味する。陰に過ぎれば縮こまって消え果てる。 ・陰と陽のバランスを保つことが大切。自由と調和のバランスを整えると物事は上手く運ぶ。 ・自分はどちらが強いか。その強弱を知る。 ・目立ちたがりは自由を望み、控え目であれば調和を望む。それは本人の性格や願望にもよる。 ・願望と言っても、大抵はすでに願望は叶っているものだ。本人に自覚がないだけだ。 ・表面的な願望は、ひょっとすると本当の願望じゃないかもしれない。欲求はすでに行動になって表れているケースは多い。 ・自分の本当の欲求が明らかになったら、そこからどうするか考えられるようになる。 ・たいてい、表面的な願望は他人都合の絡みもある。本当の欲求とは、極端なまでに自分本意で自己都合しか考えない場合に明らかになるものだ。 ・皆、自己都合で生きている。その事実に気付けるか。他人のためも含めて自己都合だ。 ・そう考えると、自己都合の範囲は思っている以上に広いと気が付けるはずだ。 ・自己都合を無視して他人都合に振り回されていると、いつしか他人のためが他人のせいになる。ますます無関心になる。 ・自分本意を認めて他人都合にも合わせてやる。自己都合も考えてやる。そうすれば、自分らしさを取り戻して周りが見えるようになる。 ・自己満足ができて他者満足にも関心を持てるようになる。自己満足が出来てない間は自分のことで精一杯になる。 ・自己犠牲という言葉は嫌いだ。自己犠牲を求めてくる奴はもっと嫌いだ。自己犠牲を求めている奴ほど、自分本意で自分勝手だと思うからだ。 ・教育の一貫としてやるとしても嫌だ。自己犠牲を求めてくる奴には疑念しか湧かない。 ・自己犠牲を体現している人には好感がもてる。自ら行動して示す者には協力したくなる。素直に言うことも聞いてやる。 ・自己犠牲を体現出来る人は優秀であるケースが多い。口先だけの奴は信用しない。やることやって黙らせてやるだけだ。 ・敬意というのは行動から表れる。正しい行動をしている者には敬意が湧いてくる。口先だけの奴には嫌悪感しかない。 ・行動は、他人がよく見ている。その言動に同調する者同士が集まる。 ・派閥もそうやって生まれてくる。似た者同士が周囲に集まってくる。だから周囲の人間は自分自身の合わせ鏡だと言われている。 ・人の振り見て我が振り直せというのはそういうことだ。我が振りを直せば、その影響は他人にも及ぶ。 ・正しい手本には影響力がある。周囲の人間共の言動が変わったように見えたなら、それは自分自身に変化があった証だ。 ・知らず知らずのうちに自分の言動は周囲の人々に影響を与えている。それは良くも悪くもだ。 ・我が振り直したならば自然と関わる人間も変わってくる。今まで接点がなかった人たちと交流したり、新たな出会いがあったりと人間関係に変化が生じる。 ・結局は自分しだいだ。同調する者や波長が合う者としか出会わないようになっている。そう思っておけば、人の振り見て我が振り直して自立していけるだろう。 ・誰かに依存している間は自由になれない。自分本意に生きても調和を果たすなら自立していると言える。 ・自由と調和。そして立ち振舞い。自分の望みは何か。今一度考えてみよう。 (2022.07.06 22:33:14) |