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家曜日~うちようび~

2019.06.16
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あなたは、いつも前向きな人ですね。


なんつて、よく人に言われます。

どんな時もポジティブですね。

なんつって、よく人に言われます。

プレッシャーとか、ストレスとか、感じません?

悩みとか、無いんですか?

なんつって、

てか、心、あります?

てか、人として、怖いんですけど、

まじ、キショいんですけど。


なんつって、なんつって、よく人に言われます。とほほ。

・・・あのね、みなさん。

世のポジティブシンカーと言われる方々の、重大なネタばらしになっちゃうかもしれないのだけれど、

一部の超天然系の方々を除いて、その大半のポジティブシンカーがそうであるように、

正直なところ、僕の「前向きな人格」も、多分に自らの演出で成り立っているのよね。

自分がこの社会で生きていく為、徹底した自己教育の上に造り上げた「人工的人格」なのよね。

僕の心の奥底に眠る「本来の自分」なんてもう、ダメ人間のなかの、ダメダメ人間っすわ。

僕は年がら年中、四六時中、自分のそういった「ダメ人間」的要素を押し殺し押し殺し、

痩せ我慢して痩せ我慢して、かろうじて、血眼で、前をば向いているっちゅーの。

外見上は、さも涼しげに映るよう、間違っても足元などフラついて見えないよう、

常に細心の注意を払っちゃいるけどね。ぎゃはははは。




でさ。


「前向きに生きる」
とはどういうことか?ということを考える時、


僕には、人生の折り返しを過ぎた今も、まだ結論に至らぬままの、

「ずっとモヤモヤした想念」というのがあるのです。

というわけで今回は、何の脈略も無く、そのモヤモヤに触れていきたいと思います、はい。

いつどこで読んだか、いいや、誰かに聞いたのか。

何の論文であったか、はたまた神の教えであったか。

記憶ががちゃがちゃで、まるで思い出せないのですが、

ただその内容が、今も脳裏にゴリッとこびりついたままの一説がある。

過去に振り回されて生きる人、ただ今を生きる人、遠い未来を信じて生きる人、

過去、現在、未来、翻弄される時間帯は人それぞれ違うのだけれど、

例えば、こんな考え方も出来ると言う。

一秒前は過去。過ぎ去った過去など、ここには存在しない。

一秒後は未来。まだ来ぬ未来など、ここには存在しない。

現在はたちまち消え去る。消え去り続ける現在ならば、ここには存在しない。

つまり、過去も現在も未来も、理数学的には存在しない。

でありながら、

人間の概念としては「過去の現在、未来の現在、現在の現在」として、ここに存在している。


とどのつまり、時間とは「永遠の現在」である。







・・・は?






おま、おちょくっとんのか?
あはは。







ったく、分かるような、分らんような・・・。

ははは。

んで、こっからが本題でね。

僕、この一説に出会った時、おやっと思ったんすね。

一秒前、一分前、一時間前、一年前、百年前、

過ぎ去った過去のことを、人は「前」と言い、

一秒後、一分後、一時間後、一年後、百年後、

これからやって来る未来のことを、人は「後」と言うんすよね。

過去は前方、未来は後方。

つまり、僕が何を言いたいのかと言うと、

「前向きに生きる」ってね、実は「過去と向き合う」ってことじゃないの?

てか、「前向きに生きる」ってね、言ってみりゃ「後ろ歩きで未来へ前進する」ような所業じゃないの?

ってことなんすけどね。

言ってること分かります? 分かんねーかあ? だはは。

また、U子さんに叱られそう、訳分かんねーこと書いてんじゃねーよ!つって。あはは。

えーと、

僕等は、未来へ背を向け、未来を振り返ることなく、後ろ歩きで前進しているんじゃないっすかね。

だから、明日のことは分からないし、未来は見えないんですよ、たぶん。

ひょっとしたら、間違った方へ向かうかもしれない、行く先は荒野かも、てか、崖から滑り落ちるかも。

でも大丈夫、自分の進むべき道は、後ろ歩きから眺める「過ぎ去った景色」が教えてくれます

この道は、望んだ道か?

方向は、間違っていないか?

自分は、真っ直ぐ歩けているか?

「過ぎ去った景色」から、我々は「これから」を学ぶのです。

てか「見えない未来を知る術」は、かろうじて「過去から学ぶこと」、それ以外無いと思うんすよね。

うん、僕は、そう思います。

また、そのようなヘンテコな歩行法で、日々前進しています。

(ちなみに、後ろ歩きって健康にいいらしいっすよ。あはは。)



だからっちゅう訳じゃないっすけど、僕、過去の自分をやたら否定するような人が、苦手です。

そういう人は、今の自分のことも、いつかきっと否定する人だと思うから。

また、過去の自分の所業をすっかり忘れて、まるで別人のように生きれる人は、もっと苦手です。

当然、今の自分の所業も、いつか無かったことにするでしょうから。

「過去に捕らわれず、今を生きる」なんつって、確かに語感として聞こえはいいが、

日々蓄積される己の過去から目をそむけ、平然と過去を切り捨てながら生きている人って

きっと死ぬまで「生きている実感」が希薄なんじゃないかな?

僕には、傷つき、悩み、後悔し、学び、自らの過去にぐいぐい押されながら、後ろ歩きで前進している実感があります。

僕にはね、「未来を消費している」という実感はありませんが、

「過去を生産している」という実感は、あるのです。

「生きている実感」とは、そういうことなのではないのでしょうか?



ん? そう考えれば、僕のブログの記事は、数日前、一年前、十年前、三十前と、過去を題材にしたものだらけで、

明日への抱負、先の不安、近い将来あーしたい、こーしたい、なんて記事は実に少ないのよね。

いやぁ~、我ながら、着実に「後ろ歩きで前進」しているなア。

ちょー前向き! ちょーポジティブ! ちょースッキリしたあ! ぶぁはははは。


・・・なぁーんつって調子こいて、息巻いてるとおおお、


あれれ、


過去も未来も、こんがらがっちゃって、


どっちが前やら後ろやら、


あわわ、


前後不覚になっちゃって。



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最終更新日  2019.06.17 10:18:19
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