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家曜日~うちようび~

2019.07.11
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ちぃーーっす、Q輔ぇーーっす。

突然ですが、この「家曜日」、この7月をもって、2周年になりまーす。

まあ、だから何だっちゅう話なんすけど、

とりあえず、一方的にぃ、

あざぁーーーす。

んで、これまた突然ですが、僕がこの2年間で書いた160記事の中から、

誠に勝手ながら、この機会にQ輔とU子がそれぞれ一番好きな記事を再投稿したいと思いまーす。

さて、本日は、僕の妻、U子さんが一番好きな記事を、再投稿しまーす。

初期のものなので、読んでいない人がほとんどの記事だと思いまーす。

基本的に妻は、僕の記事を読んで、褒めてくれるようなことは滅多に無く、

あんたの記事は、キツイ、汚い、危険、の3Kだ!

なんつって、罵倒される日々なのですが、

どーいう訳か、この記事は「なんかいいね。」なんつって、けっこー気に入ってくれています。

どーいう訳か、何度も読み返してくれているみたいです。あはは、何でかねえ。

それでは、以下、再投稿(一部手直し有)の記事ですが、よろしければ、暇つぶしに、どーぞ。





「傾いた環境で平然と生きていく秘訣とは?」


僕は高校を卒業するまで、家の中が南向きに大きく傾いた、ボロボロの長屋で生活をしていました。
一棟の屋根の下、入口が別々で壁を境とした、3件の家庭が隣り合って生活していたのだけれど、
西端に住んでいるマー君の家に遊びに行くと、マー君の家の床は傾いていないことが解った。
どうやら傾いているのは、東端の我が家だけだったみたいです。南東の床と壁の幅木の間に15ミリ程の隙間がありました。
こんな家嫌だ!早くどこかへ引っ越したい!と幼い僕が母に言うと、
母は、「お母さんには、この家が傾いているようには見えません。傾いているのはこの世界のほうだと、お母さんは思います。」
などと訳の分からないことを言っては、引っ越しなんてとても出来ない、家庭の貧しさを誤魔化しました。
いつも神妙な顔つきで、文字通り妙なことを言う母でした。
家に友達が遊びに来ると、Qちゃんの家は歩きにくい、長時間居ると目が回る、吐き気がする、などと言われました。家が傾いていたからです。
そんな時僕は決まって友達に、このような傾いた環境で平然と生きていく、ある秘訣を教えてあげました。
その秘訣とは何だったのか?それはこのお話の最後で。


長女、P子画伯の力作。いかしてるぜ!

さて、家が傾いていて特に何が嫌だったかと言うと、
南向きに家が傾いていましたので、南を頭にして寝ると、頭に血がのぼってしまう。
かと言って、東西に頭を向けると、ゴロゴロ転がって行ってしまいそう。
したがって、我が家は家族そろって、みんな北枕で寝てました。年がら年じゅう、縁起の悪い家族でした。ああ、嫌だ嫌だ。

ちなみに、家が傾いていて良かった事もあります。食卓でうっかりお茶や味噌汁をこぼしてしまっても安心です。
液体は最も床の傾いた方に向かって川のように流れて行く為、速やかにそのポイントに受け皿を置けば、一滴も床にこぼすことなく処理が出来ました。
我が家では、家族の誰かがお茶をこぼすと、残りの全員が「ハイそこ!皿!」と言って同じポイントを指差しました。

昔の借家はもともと階段の角度か急だったのですが、家が傾いていたせいか、僕の家の階段は特に上りにくい階段で、
姉も僕も妹も、頻繁に階段から転げ落ちました。ただし転げ落ち慣れていたせいか、僕たちは不思議と誰も怪我はしませんでした。
そう言えば一度、家に遊びに来ていた友達のかっちゃんが、僕の家の階段から転げ落ちて、腕を骨折したことがありました。
その時、母が謝罪とお見舞いを兼ねて、当時ではまだ高価だった魔法瓶の水筒を、かっちゃんに贈ったのだけれど、
そのことを知った西端に住んでいるマー君が、僕の家に来て、

わざと階段の最上段から豪快に転げ落ちました。

あいにく(?)腕は折れず、魔法瓶の水筒を手に入れることは出来ませんでしたが、

いやぁ~、あん時はびっくりしたぁ~。

要するに、そんな人々と、そんな環境で育ちました。


もういっちょ、P子画伯の作品。いかれてるぜ!

僕が高校二年の時に両親が離婚しました。
それから高校卒業の間近に、母と僕と妹は、母子家庭や老人や外国人や低所得者が優先的に入れる、県営住宅に引っ越しました。
その頃、姉はとっくに自立して家にいませんでした。
実に古い県住でしたが、僕は嬉しかった。何が嬉しかったって、そう簡単に傾きそうにないコンクリート造の建物に住めることが嬉しかった。
父と母が離婚したことなんて、どうでもよかった。そんなことより、汲み取り便所から、水洗便所の生活になったことが嬉しかった。
父は僕が中学二年の頃から家に寄り付かなかったし、別に寂しくもなかった。
そんなことより、女の子をつれ込めそうな自分の部屋が出来たのが、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

まわりから見れば、辛かろうにと同情されるような境遇にあっても、僕は不思議と思い悩むようなことはなかった。
むしろ自分がスピリチュアルになることを極端に恐れた。とにかく精神的な話や事柄が異常に嫌いだった。
十八歳の僕の関心は、見える、触れる、味わえる、全て物質的な事柄だった。
それが若き日の僕のポリシーでもあった。たぶんそうしなければ、頭がどうにかなってしまいそうな時期だったので、
脳が防衛本能を働かせていたのかもしれない。

中学から高校を卒業するまでの思春期に、昨今の子供たちのように「引きこもる部屋」が物質的になかった。

「お父さんの馬鹿!」ドタドタドタ!(廊下を走る音)バタン!(扉を閉める音)が出来る部屋が物質的に欲しかった。

そもそも反抗するべき父親が、物質的に家にいなかった。

そういった環境にいると、時に僕のような残念な物質主義者が育ったりします。


妻のU子さんが、リビングにドテカボチャを飾りましたよ。どうかしてるぜ!

十代の頃の自分が、将来の自分、ちょうど今の年齢ぐらいの自分を想像すると、
高速道路の橋げたの下で、ブルーシートを敷いて、段ボールにくるまって、寒波の日に凍死している。
何故かそんな自分をありありと想像出来たものだ。べつに自分の将来を悲観していた訳でなく、
そうなっても何ら不思議じゃないと、ごく普通に思っていた。

時は流れた。
U子さんと出会った。
この人と、一緒に暮らそうと思った。
働いた。
結婚した。
また働いた。
子供が生まれた。
もっと働いた。
家を建てた。
ものすげー働いた。
出世した。

よくやったじゃないか自分!

よく頑張った!

お前、本当によくやったよ!

人生まだまだ、先は長いけどね。

十年程前に僕は生まれ育った名古屋市近郊の街を離れ、それからはずっと名古屋市内に住んでいる。
何だかんだで、生まれてから7回住み家を変えたが、土地を買い、家を建てたからには、おそらくここに永住するだろう。
今年の夏、仕事で新しく始まる現場が、昔住んでいた家の近所であることが解った。
その現場の事前調査がてらに、本当に十年ぶりぐらいに、南向きに傾いたボロボロの長屋に行ってみた。
会社から車で1時間半ほど走れば、かつて僕が住んでいた街に着いた。
ずいぶん前から廃墟になっているのは知っていたし、もうさすがに取り壊されているだろうと思ったのだが、

何と!まだそこに建っていた!

ご近所の借家はとうに全て取り壊され、今風の住宅に建て替えられていたが、
僕が住んでいた傾いた長屋だけが、何故か昭和50年代の風景のまま、まるで化石のようにそこにあった。
僕は吸い寄せられるように、車を降りて、かつて住んでいた家の玄関扉の前に立った。
これは、ひょっとしてタイムスリップしたんじゃないの?
一瞬そんな気さえした。
もし本当にタイムスリップしたなら、この扉に向かって「Q~ちゃん」と呼べば、「はぁ~い」なんつって、
家の中から、くりくり坊主の幼き日の僕が出てくるはずだ。
そしたら僕はその子にこう言ってやろう。

「君の未来は、君が思っているより、なかなかどうして、捨てたもんじゃないよ。ははは!笑え!笑え!」

ちなみに、その日のほんの一週間後に、またブラリとその長屋に立ち寄ったら、

な、何と、解体工事が始まっていた。

僕の住んでいた家が、ばっきばきに破砕さている真っ最中だった。

家が泣いているように見えた。

僕も何だか悲しかった。

取り壊されてしまう家が、

最期に僕を呼んだのかもしれないと思った。


さて、冒頭で話した、「傾いた環境で平然と生きていく秘訣」とは何かをお教えしましょう。

傾いた環境で平然と生きていくためには、

片方は、傾きに逆らうようにぐっと踏ん張るべし。

そしてもう片方は、いっそその傾きに身を委ねるべし。

こうすれば、いかに傾いた環境でも、意外と大丈夫。

これ、幼き日の僕が編み出した秘訣です。

この秘訣が、

体のバランスのことを言っていたのか?

心のバランスのことを言っていたのか?

我ながら、今になっても、よく分らない。




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最終更新日  2019.09.26 14:34:11
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