カテゴリ:Q輔。「家」とは「ホーム」のこと。
僕は、昨日からゴールデンウィークがスタートっす。
なっが~いステイホーム、なっが~い「家曜日」の始まりです。 てゆーか、最近、思うんだけどさ。 あれだね、「うちで過ごそう」ってのは、要するに「うちへ帰ろう」ってことだね。 もちろん、この文章を書いている今だって、肉体的には家にいるわけだから、 とっくに家に帰ってきているのだけれども、 気持ち的には、闇雲に邁進してきた自分を、いったん原点回帰させるべき時だぞと。 心よ、うちへ帰ろう。 心よ、いったん帰って、再出発しようじゃないか。 個人的には、この自粛生活を、そんな風に捉え始めています。 ![]() 今年も、家庭菜園を始めましたよ。 ![]() 昨年は、雨が多く、不作でねえ。 うお~い!キューリ君、トマトちゃん!今年は期待してっからね! さて、今日は「電子決済」の話。 時代はとっくにそっちのほーに着々と向かっているのに加え、 この新型コロナウイルスの影響もあって、 今後、決済のキャッシュレス化は、急加速で進むことは間違いない。 そんな時代の渦中あって、僕はといえば、 お恥ずかしい話、今だカードやネットで買物をしたことが一度も無い。 クレジットカード・電子マネー・QRコード決済・ペイペイ、 聞いたことはあるが、違いが分からない、よく意味が分からない。とほほ。 自慢じゃないが、わずらわしいことは全て妻にお願いして来たからである。 時代の渦、呑まれまくり。ぼ~く、ドザえも~ん。 いや~、でも、さすがに、ぼちぼちヤベえな、何となく。 一応、一通りのことは、出来るようにしておこうかな、そこはかとなく。 つれづれなるままに、うれし恥ずかし四十五歳。 ちゅ~かさ。 素朴な疑問、あんだけど。 滅びゆく恐竜の、断末魔の叫び、聞いてくれる? 仮にこのままキャッシュレス化が進んで、 近い将来、生活の中で現金を見ることが、さほど無くなって、 いずれ現金を一度も見たことのない世代、そんなヒトたちが現れるとして。 その頃のヒトたちは、例えば、 一千万円。 という、金額を耳にした時にね、 脳内の視覚的イメージとして、どんな画像を思い浮かべるんかいな? ![]() 例えば、こんなん? まさかね。 年貢じゃあるまいし。 ![]() 例えば、こんなん? ははは。 海賊じゃあるまいし。 ![]() ウホウホ! ギャートルズじゃあるまいし! ![]() 僕ら的には、一千万円って聞いたら、即座にこの画像をイメージするっしょ? 札束の山、百万円の束10個。 んで、この札束をドンと目の前に出されたら、普通にビビってしまうっしょ? 間違いなく体が反応してしまう。冷汗が出たり、震えたり。 それは、僕たちが「お金の価値」というものを、 お札や硬貨のデザインという視覚的要素もさることながら、 手にした時の感触や重さ、印刷物の臭いや金属の臭いなど、 様々な感覚で肉体的に認識しているからである。 体がお金の価値を知っている、ちゅうことね。 では、キャッレス化の果ての果てに生きるヒトたちは、 一千万円。 と聞いて、何をイメージするのだろう? ![]() おそらく、これかな? いきなりアラビア数字! 一千万円と聞いて、「1」をひとつ「0」を七つイメージする。 そして、いずれ僕たちも紙幣や硬貨の存在を忘れ、数字だけをイメージするようになる。 このまま、電子決済が浸透すれば、従来のお金の価値の「感じ方」は変わる。。 だからキャッシュレス化がよくないと言っているわけでは、決してない。 現金なんて、いっそさっぱりと無くなればよいと思う。 ただ、間違いなく「お金の価値」というものは希薄になるなあ、と思うだけであってね。 先日、家族そろって夕食を食べていたら、妻と長女が、何事か交渉をしていた。 長女) このあいだ、お風呂掃除したから、5ママペイでしょ、昨日は肩揉みしたから、3ママペイでしょ、 合わせて8ママペイで「動物の森」をもう1時間プレイする時間を買いたい。 妻) 8ママペイは、安い。 今からお皿を運んだら、2ママペイ支払うから、 合計10ママペイで、任天堂DSプレイ時間、1時間延長を販売します。 長女) オッケー!買った! これまで、うちの子供たちには、お手伝いをするたびに、現金でお小遣いをあげていたのであるが、 どうやら最近は「ママペイ」という架空の価値でやり取りをしているらしい。 知らぬ間に、我が家もキャッシュレス化が進んどったでかんがや。 長女はお手伝いをするたびに、妻が口頭で支払う「ママペイ」をノートに控えている。 そして、この「ママペイ」の交渉のポイントは、 驚くべきことに、お手伝いという労働の対価を「お金」に換算せず、「時間」に換算しているところである。 後々分かったことであるが「時間」のみならず、「場所」や「秘密」や「ママの優しさ」なども買えるらしい。 世の中、お金だ。 当たり前のように、そう教えられて育った僕たちには、考えにくいことであるが、 何でもかんでも価値をいったんお金に換算すればよい、という時代は終焉を迎えているのであろう。 キャッシュレス化の果ての果ては、「マネー」という概念すらなくなるのかもしれない。 いずれは、ある「価値」をいきなり別の「価値」へと換算するという、 離れ業がまかり通る世の中が、やって来るのかもしれない。 ありふれた中産階級のサラリーマンの食卓に、思わぬ未来が転がっていたので、 僕、慌てふためいて、あわわわわあ。 にほんブログ村 ↑ポチッと一枚! ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.05.03 21:52:06
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