テーマ:ささやかな幸せ(6756)
カテゴリ:Q輔とU子と「中原中也」
![]() 素直になれ。 物心がついた頃から、周りにさんざん言われてきた。 ツラい時にツラくない。悲しい時に悲しくない。寂しい時に寂しくない。 やせ我慢で、さも涼し気な顔。そんな子供だった。 素直になれも何も、 ツラい時にツラくない。悲しい時に悲しくない。寂しい時に寂しくない。 その時の僕には、そう言わざるを得ない、押さえきれない衝動が、確かにあって、 それは紛れもなく、今この瞬間、自分という人間は、かくありたいという、 僕の素直な気持ちだったのだけれど。 ぶっちゃけてる人が嫌いだった。すぐ開き直る人が嫌いだった。 ツラい時にツラくない。悲しい時に悲しくない。寂しい時に寂しくない。 そんなやせ我慢のなかに、大切なことがたくさんあった。 そんなやせ我慢をするたびに、みしみしと骨がきしむ音がした。 こうして僕は大人になり、いつしか僕のやせ我慢は、 反骨心むき出しの「鈍さ」として仕上がった。 我ながら見事な「先の尖った鈍感力」だ。 僕はね。 人は、鈍くあるべき時は、がんばって鈍くあるべきだと思うのです。 食べ過ぎてはいけないと分かっていても、ついつい食べ過ぎてしまう。 なんつって、ダイエットに失敗する時にかぎって、 気持ちのどこかしらで、そんな自分を肯定しているところがあるように。 呑み過ぎてはいけないと分かっていても、ついつい呑み過ぎてしまう。 なんつって、二日酔いの朝に、台無しになった一日を後悔つつ、 気持ちのどこかしらで、酒をこよなく愛する自分が好きだったりするように。 気にしてはいけないと分かっていても、ついつい気にし過ぎてしまう。 そんな「繊細さん」的自分を肯定してしまう時が、僕にだってあるのです。 いやホント、まじまじ。全くゼロではなのよね。 繊細な自分が心から嫌いか? 繊細な自分に憎悪すら感ずるか? と問われると、実際のところ、そんな自分が、けっこー好きだったりするものです。 でも、やっぱ、あれっすね。 少し冷静になって、自己を客観的に見てみれば、 食べ過ぎも、呑み過ぎも、気にし過ぎも、同じようにルーズな印象しかないっすね。 何事も、度が過ぎるのは、だらしがねっす。 そんな自分は、ポイっと捨てちまうにかぎる。 重ねて言うが、人は、鈍くあるべき時は、がんばって鈍くあるべきだ。 ちなみに「鈍さ」は、必ずしも天性のものではねっす。 人工的に作り上げることも出来る、と僕は断言できる。 だって、その生き証人が、ここにいるからね。 まあ、友っちゅーか、同士っちゅーか、勝手にそう呼びたい人へ、 気にすんなっつーの! 色々あるっつーの! とっとと忘れろっつーの! なんつって、温かき励ましの言葉をかけるたびに、 僕の何が悪いのか、てか僕に恨みでもあんのか何なのか、 君に私の気持ちの万分の一も分かるまい、立ち去れ、この人でなし! 的な言霊を、あまた頂戴してきた僕っちなのですが、 ま、言うのはタダですからね。 おいよー、あんま気にすんなよー。 ぐらいのことは、この人でなしにも、どうか言わせていただきたいです。 人は、鈍くあるべき時は、がんばって鈍くあるべきだ。 んとぉー、 ここまで書いて、書斎の窓から闇を愛でれば。 スモッグだらけの薄汚い夜空に、まばらな星屑。 都会の星たちが、今宵も鈍く僕を照らしておわします。 今日なんて日は、仕事でクソ面白くねえことがあったけど、 こんな日は、いつもの「先の尖った鈍感力」にまたがって、 星空をぴゅーっと散歩して、忘れっちまうのさあ。 自慢の鈍さにまたがりつつ、 明日は、きっと良い日でありますように。 にほんブログ村 ↑ポチッと一枚! ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.11.14 07:09:14
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