テーマ:ささやかな幸せ(6756)
カテゴリ:Q輔とU子と「中原中也」
![]() 「鍋」。 長女が描いた。 まったく子供がのびのび描いた絵はいいもんだ。 特に上の方、鍋が画用紙からはみ出してるところがいい。 描き直さないところがいい。 はみ出したまま描き切るところが、僕は好き。 ![]() ずいぶん前、とある芸術系の学校で改修工事をしたことがある。 んもお、大変だったよ。 何が大変って、とにかく教授も学生も、ほら、アーティストだから。 みなさん、掴みどころがない方々ばかりでね。 例えば、草刈り機でブインブイン除草してるとさ。 「すみません。今、降りてるところだから、一時間だけ静かにして下さい。」っつーんだよ。 学生がタバコ咥えて、彫刻刀持ってウーンなんつって唸っちゃって。 「降りてる」って何だよ。恐山のイタコじゃねーっつーんだよ。 ったく、こっちゃあ、何週間も前から工事告知してんだけどね。ははは。 そこは、ほら、アーティストだから。感性の人だから。従うしかない。ぶはは。 あと、給水管を埋設するので、敷地内の道路を三日間だけ車両通行止めにした時も、 教授が、夜中に急に何や知らんでっかいオブジェを持ち出したくなったから、車通してくれっつーんだよ。 施設側が「言い出したら聞かない人なので、何とかお願いします」っつーんだよ。たまんねーよ。 もちろん事前に施設に許可取って、入念な告知をしてんだけどね。だはは。 つくづくアーティストってのは、僕のような工事屋の頭では図りかねる人種だと思ったよ。 僕の経験上、学校の工事で一番難儀だったのがその芸術学校の改修工事。 次に難儀だったのが、工期が受験シーズンと重なった進学高校の改修工事。 ちなみに、逆に一番工事がやりやすかったのは、工業高校。 先生も生徒も、涙が出るほど協力的だった。 学校側にお願いするモノの移動とか雑用とか、アンタら職人かよ!って感じでテキパキと動いてくれた。 ![]() 自分自身でおありなさい。 僕の大好きな詩人・中原中也が、かつての恋人・泰子に送った言葉。 自分自身でおありなさい。弱気のために喋ったり動いたりすることを断じておやめなさい。 断じてやめようと願なさい。そしてそれをほんの一時間でもつづけて御覧なさい。 すればそのうちきっと何か自分のアプリオリというか何かが働きだして、歌うことが出来ます。 女優志望の元カノ泰子が、自己の表現に悩んでいる時に、中也が書いた長い手紙の一文である。 もちろん、中也はこの言葉を有言実行した詩人だった。 自らの心を、自らえぐり取るような繊細な詩を多く発表し、 波乱の人生の末、最期は心も体もおかしくなって、三十歳という若さで死んだ。 ![]() 十歳になるうちの長女の将来の夢は「芸術家」。 保育園の頃からの変わらぬ夢だ。 どーぞどーぞ、なれるもんならなってちょうだい芸術家、ってな感じよ、僕としては。 少なくとも親の経済的な理由で挫折だけはさせたくないので、がんばるしかない、父としては。 てかさ、詩人であれ、画家であれ、音楽家であれ、 その作品に世間の需要がなければ、当然芸術活動だけでは生活していけないのだけれど。 だからと言って、みんなが「いいね」と評価するような、世間に媚びた作品だけを作り、 いつしか他人の評価そのものが活動の目的と成り果て、 そしてその思惑が作品から世間へ露骨にダダ洩れしてしまうことで、 結果として、逆に評価を下げてしまうなんてこともあるにはある訳で。 重ねて言うが、アーティストってなあ、まったく不可解な人種だなあ。 自分自身であることで、世間の評価を得るのだ。 自分自身であり続けることが、仕事みたいなもんだ。 芸術を生業とし続けられる人ってのは、 はるか昔に、そんな感性をどこかに置き忘れてきた僕にとっては、 いやはや、やはりどこか図りかねる人達なのだよ。 兎にも角にも、長女よ、君の夢が夢ならば。 どうか自分自身でおありなさい。 一生涯絵筆を片手に、自分自身であり続けることが、さて、君には出来るかな? ちなみに、先ほどの手紙を、中原中也は「芸術の動機」と題した。 な~るほど、これから書くことに迷った時は、 僕は僕なりに「芸術」を「発信」にちょいと置き換えて、 自分自身でおありなさい。 これを「発信の動機」とするのもアリかも。 ベキかも。 にほんブログ村 ↑ポチッと一枚! ![]() ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.01.29 15:51:48
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