割り込まれの多い人生を送って来ました。
思えば隙だらけの人生でした。
コンビニのレジなんか、頻繁に割り込まれまくりの刑。
原因は分かっている。
いつも僕はレジに並ぶ時、意識を土星近辺まで飛ばし、極端にボーーっとしているか、
うまい棒・よっちゃんイカなどの駄菓子に目移りし、挙動不審でキョロキョロしているかのどちらかなので、
周囲からは、恐らく並んでレジを待っている人に、まるで見えていないのではないかと思われる。
もう少し「私、並んでます!」オーラを醸し出さねばと反省しつつ、ついついサボってしまう。
誰のせいでもありゃしねえ。みんなオイラが悪いのさ。ちんぽこちんぽこりんちんぽこちんぽこりん。
割り込んでくるのは、ほぼお年寄り。
ありゃ悪気はねーな。年齢と共に周囲への注意力が低下しているだけだ。
最近のコンビニは、並ぶ位置を床にテープで印し、ソーシャルディスタンスを確保しているのだが、
コンビニの出入り口から見て、そのフォーク並びのフォークの根本になる先頭の位置が、
商品棚で死角になりがちなのが、そもそもの問題ではないかと思う。
入店してすぐ近くのレジに直行する公共料金を支払いに来たお年寄りなんかは、まずこちらに気が付いていない。
とは言え、たとえジジババに割り込まれても、大抵の店員さんは気を利かせて、後ろで待っている僕に向かい、
大きな声で「次のお客様どーぞ!」と、目の前の相手の不正をあからさまに諭して下さったりする。
さて、ここからが、コンビニのレジで割り込まれた時の、僕の対処法。
僕は漏れなく「お先にどうぞ」と言って、順番を譲て差し上げる。
まあ、これを会社などで話すと、大概思いっきり引かれ、愕然とされるのだが。
何も解決しません。自分の為になりません。相手の為にもなりません。ひいては世の為人の為になりません。
なんつって、周囲に厳重注意されるのだが。
てか、正直言って、僕は割り込まれても、全然苦じゃない。まるで腹も立たない。
ただ「ああそうなんだ」と思うだけです。
物理的にも、一刻一秒を争うほど急いではいない。いつも時間にゆとりをもって行動している。
それでも、やはりがんばって腹を立て、がんばって注意するべきなのか、いつも悩むところだ。
先日も、昼下がりに、あるコンビニで手指消毒をした後、
カレーパンと温かい紅茶を持ってレジで並んでいると、
やはり男性のお年寄りが入店して、僕に気づかずすぐレジに並んだ。見事なまでの割り込みっぷりだ。
問題は、この日は僕の後ろにも四~五人並んでいたことだ。
ああ、どーしよう。正直言ってぼかあ全然苦じゃないぞ。全然腹も立たないぞ。
でも、先頭の僕がこの爺さんを注意しないと、後続の人達にご迷惑をかけてしまうパターンじゃないの、これ。
どーしよう僕。どーしてくれよう僕。
「あの、自分が行きますんで・・・たはは」
結局僕は、後ろに並んでいたおば様にそう声を掛け、自ら列の最後尾に移動した。
割り込み爺さんも、僕の後ろの人達も、誰も損していない。これでいいじゃないか。
ところが、僕の後ろにいたおば様は、僕が移動した刹那、
「すみません!並んでますけど!」と、その爺さんにまくし立てていた。
僕が譲ったんだから、もういいじゃないか。やめてくれ。
と、思った。
んが。
おば様的には、そういう問題じゃないのであろう。
まあ、色々な人がいるし、おそらくそのおば様の行動こそが世間的には正しいのだろうけど。
ふと、太宰治の小説の、主人公・葉蔵と堀木という人物との、やりとりを思い出した。
「これ以上は、世間が、ゆるさないからな」
「世間というのは、君じゃないか」
という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。
(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)
なんだかこの空間にいることが、とても苦痛に感じられ、
僕は一度手にした商品を、申し訳ないと思いながら棚に戻し、消毒をして店を出た。
食べるのが面倒くさくなり、その日の昼飯は抜きにした。
ああ、早く家に帰って、妻が焼いたパンを食べたい。
一刻も早く妻のパンが食べたい。
あとはただ、呆けたように、そんなことを考えていました。
人間失格。
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