テーマ:暮らしを楽しむ(383549)
カテゴリ:Q輔。「家」とは「ホーム」のこと。
いい加減に自分の顔を好きになってやろうかな。最近鏡の前でそんな風に考えるようになった。四十六年間休むことなく自分の顔として働いてくれている、君の健気な顔じゃないか。労ってやれよ。歩み寄ってあげなよ。幼い頃からずっと邪険に扱われてきた自分の顔の身になってみろ。ぼかあ、顔が不憫でなりませんよ。そんな風にまじまじと自分の顔と向かい合えるようになったのである。 自分の顔が好きで好きでたまらない、そんな人はいるのだろうか。そんな生粋のナルシストに僕は今まで出会ったことはない。僕はずっと自分の顔が嫌いだった。色白で、下膨れ、張り出した前頭葉、オランウータンみたいに鼻より前に出た唇、髪の毛一本の質にいたるまで、漏れなくコンプレックスであった。 二十代の僕は 四六時中オドオドしたり、目玉をギョロギョロさせてまわりを警戒していた。鏡の向こうにいる、白い、むくれた、不健康そうな、挙動不審の、病名はよく分かんないのだけれどな何かしらの患者っぽさを醸し出している、そんな自分の顔が大嫌いだった。 三十代の僕は、四六時中イライラしていて、目玉をギラギラさせてまわりに攻撃的だった。鏡の向こうにいる、白い、むくれた、不健康そうな、挙動不審の、禿げかけの、罪名は分かんないのだけれど何かしらの罪人っぽさを醸し出している、そんな自分の顔が大嫌いだった。 そして四十代も半ばを過ぎた現在の僕は、昔と何も変わることなく四六時中オドオドしたり、イライラしている訳でありますが。ただし鏡の向こうにいる、白い、むくれた、不健康そうな、挙動不審の、見事に禿げ散らかった、そんな自分の顔の中に、かろうじて「責任」の輪郭を見つけられるようになったのである。このバカタレ、責任ある顔つきになってきやがった。なんて時々鏡の向こうを褒めてやるのである。四十代の面構え。うむ、よく見たら思っていたより悪くない。褒めてやると、顔のやつも、何だか喜んでいますよ。 これから先、五十代の顔、六十代の顔、七十代の顔へと、自分の顔がどの様に変化していくのか、今はまだ皆目見当も付かないけれど。ただなんつーか、自分よりお年を召した方たちが、長き人生において多くのことを「片付けた顔」っつーか、「まとめた顔」っつーか。そういうイカしたジジイたちの面構えには、今から密かに憧れてちゃってる僕なのであります。うしししし。 にほんブログ村 ↑ポチッと一枚! 密かに更新してます。妻のルーム。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.07.11 07:11:10
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