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家曜日~うちようび~

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Q輔とU子と「中原中也」

2021.07.22
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 蝉たちが、雨音のようにやかましい。朝っぱらから家の近くの公園では、蝉しぐれがはらはら降っている。この夏改修工事を担当している小学校へ着くと、ゲリラ豪雨のように降っている。僕は耳が痛い。僕は耳を塞いでいる。
 地鳴りのような周波数に意識が朦朧としてくると、僕は少年期に親友だったカッちゃんのことを思い出す。今も昔も歴然と友人というものが極めて少ない僕にとって、カッちゃんだけは恥ずかしげもなく「フレンドシップ」という文言を活用することができる人物だ。カッちゃんは、僕が子供の頃に住んでいたオンボロ長屋の近所にある、更にボロボロの何だかもう朽ち果てる寸前みたいな長屋に住んでいる僕の同級生だった。カッちゃんはとても友達思いなヤツだった。ていうか何故かいつも僕みたいなクズのことを第一に考えてくれるとても変わった優しいヤツだった。小中学生時代の僕の、セピア色をした記憶のフイルムには、いつもカッちゃんが躍動している。髪の毛みたいな線がウネウネする古ぼけた八ミリビデオの映像の中で、僕とカッちゃんはいつも笑っている。





 夏休みになると、毎朝カッちゃんが「きゅ~ちゃん!」と独特の節回しで家の玄関の前で僕の名を叫ぶのだ。家の中の僕は、外の蝉しぐれの中からカッちゃんの声を探し当てると、嬉しくなって「は~あ~い~!」とこれまた独特の節回しで返事をする。それから僕たちは近くの神社に行って、油蝉を大量に捕獲して遊んだ。小学生のくせに煙草をプカプカふかした六年生たちが12変速式自転車に跨って神社に乗り込み、僕たちの遊び場を占領してしまった時は、僕たちはそこから少し離れた用水路に移動して、川に投げ捨てられたコーラやスプライトの瓶を拾って駄菓子屋に持って行くのだ。当時は、飲んだ瓶や拾った瓶を酒屋や駄菓子屋に持って行くと、10円で買い取ってもらえた。それでも川底のヘドロまみれの瓶や、バキバキに割れた小さな瓶の破片などを見境なく持って行くと、いつも温厚な駄菓子屋のお婆さんに「ゴミばっか持ってくるな、このクソガキ!」と叱られた。夕暮れ時にションボリと、カッちゃんと二人で拾った瓶を拾った川に捨てに行ったものだ。

 「きゅ~ちゃん!」夏休みが終わっても、カッちゃんは毎朝登校する前に僕の家に寄って僕を呼んだ。僕はいつも同じ時間に自分を呼びに来るカッちゃんに迷惑をかけられないので、遅れないように身支度をした。僕たちは小学校、中学校といつも一緒に登下校をした。中学生になった時、僕が気まぐれに水泳部に入ると言ったら、カッちゃんも一緒になって水泳部に入部した。僕が気まぐれに地元の二流高校に進路を定めたら、僕より頭のいいはずのカッちゃんは「Qちゃんが行くなら」と言って、なんと僕と同じ高校を受験した。君は何ていいヤツなのだろう。出来ることなら僕は君と生涯何らかの形で関係を維持したい。いや、きっとそうなる。だって僕たちは親友なのだから。なんて直接言葉にこそしなかったが、僕たちは、なかなかの友情で結ばれていた。



 高校生になって、僕の中の何かが変わった。僕はカッちゃんより、クラスの女子たちに夢中になり、カッちゃんより、もっと刺激的な友人に惹かれるようになった。高校生になってもカッちゃんは相変わらず毎朝僕を呼びに来た。僕はそれがたまらなく恥ずかしく、段々うざったい習慣と感じるようになっていた。カッちゃんは、ずっと小学生の頃のままのカッちゃんだった。それが僕には無性に苛立たしかった。「きゅ~ちゃん!」「ごめ~ん、朝ごはん食べてる」「きゅ~ちゃん!」「ごめ~ん、寝坊した」「きゅ~ちゃん!」「ごめ~ん、今日学校行きたくない」僕たちは徐々に一緒に登校することが少なくなった。僕は毎朝心の耳を塞いでいた。いつしかカッちゃんの呼ぶ声に返事をしなくなっていた。かつて蝉しぐれの中から瞬時に探し出すことの出来たカッちゃんの声は、僕にはもう聞き取れない周波数になっていた。それでもしばらくカッちゃんは毎朝僕を呼び続けた。そして、とうとうある朝、あのカッちゃんが僕を呼ばない朝がやって来た。自分で蒔いた種でありながら、その時はショックだった。良かったじゃないか。お望み通り、親友を失ったんだ。そう何度も何度も自嘲した。自嘲するより他なかった。

 それから僕たちは、ただの知り合いになった。僕は僕で新たな友達と遊んだし、カッちゃんが新しい交友関係を築くのに時間はかからなかった、そもそもカッちゃんはとても人気者だった。僕たちは顔を合わせれば普通に会話をしたし、お互いの友達が友達であれば一緒に遊ぶこともあった。でもそこにはかつての絆のようなものはなかった。重ねて述べるが、僕たちは、ただの知り合いになり果てたのだ。

 この歳になって、時折どういう訳か、この猛暑の蝉しぐれの中で、カッちゃんのあの声に苛まれることがある。きゅ~ちゃん。きゅ~ちゃん。きゅ~ちゃん。今でもカッちゃんはあの頃の、あの声で僕を呼び続けている。僕の返事を待っているのだ。は~あ~い~。今更ながら僕は精一杯の声なき声を、喉を枯らして張り上げている。ごめん。ごめんね、カッちゃん。違うんだ。そんなんじゃないんだ。あの時のあれは、決してそんなつもりじゃなかったんだ。本当にごめん。許してくれ。聞こえるか。聞こえるか、カッちゃん。蝉たちが、雨音のようにやかましい。僕は耳を塞いでいる。蝉の雨音に紛れて、顔を覆って泣きたくなる。




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最終更新日  2021.07.23 12:59:08


2021.04.08



和気あいあいと笑顔で仕事をしているからといって

彼らがふざけて仕事をしているかというと

それはまた別の次元の話


眉間にしわを寄せ血眼になって怒鳴り合っているからといって

彼らが真面目に仕事をしているかというと

それはまた別の次元の話


端正な住宅街の高級マンションに住んでいるからといって

その家族が幸せに暮らしているかというと

それはまた別の次元の話


物質的に満たされない生活をしているからといって

その家族の心までが貧しいかというと

それはまた別の次元の話


つまり

僕が妻を愛しているからといって

僕が道行く若い女の子に目移りしないかというと

それはまた別の次元の話


そして ただし

あの妻がこの僕に対して上から目線なことと

僕が妻に日々仕立て上げられているということとは

悲しいかな同じ次元の話みたい


うおっなっじっ四っ次元

んどどどどどどどどどっどーらえもん



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最終更新日  2021.04.09 06:51:07
2021.01.20


「鍋」。

長女が描いた。

まったく子供がのびのび描いた絵はいいもんだ。

特に上の方、鍋が画用紙からはみ出してるところがいい。

描き直さないところがいい。

はみ出したまま描き切るところが、僕は好き。




ずいぶん前、とある芸術系の学校で改修工事をしたことがある。

んもお、大変だったよ。

何が大変って、とにかく教授も学生も、ほら、アーティストだから。

みなさん、掴みどころがない方々ばかりでね。

例えば、草刈り機でブインブイン除草してるとさ。

「すみません。今、降りてるところだから、一時間だけ静かにして下さい。」っつーんだよ。

学生がタバコ咥えて、彫刻刀持ってウーンなんつって唸っちゃって。

「降りてる」って何だよ。恐山のイタコじゃねーっつーんだよ。

ったく、こっちゃあ、何週間も前から工事告知してんだけどね。ははは。

そこは、ほら、アーティストだから。感性の人だから。従うしかない。ぶはは。

あと、給水管を埋設するので、敷地内の道路を三日間だけ車両通行止めにした時も、

教授が、夜中に急に何や知らんでっかいオブジェを持ち出したくなったから、車通してくれっつーんだよ。

施設側が「言い出したら聞かない人なので、何とかお願いします」っつーんだよ。たまんねーよ。

もちろん事前に施設に許可取って、入念な告知をしてんだけどね。だはは。

つくづくアーティストってのは、僕のような工事屋の頭では図りかねる人種だと思ったよ。

僕の経験上、学校の工事で一番難儀だったのがその芸術学校の改修工事。

次に難儀だったのが、工期が受験シーズンと重なった進学高校の改修工事。

ちなみに、逆に一番工事がやりやすかったのは、工業高校。

先生も生徒も、涙が出るほど協力的だった。

学校側にお願いするモノの移動とか雑用とか、アンタら職人かよ!って感じでテキパキと動いてくれた。




自分自身でおありなさい。

僕の大好きな詩人・中原中也が、かつての恋人・泰子に送った言葉。

自分自身でおありなさい。弱気のために喋ったり動いたりすることを断じておやめなさい。
断じてやめようと願なさい。そしてそれをほんの一時間でもつづけて御覧なさい。
すればそのうちきっと何か自分のアプリオリというか何かが働きだして、歌うことが出来ます。

女優志望の元カノ泰子が、自己の表現に悩んでいる時に、中也が書いた長い手紙の一文である。

もちろん、中也はこの言葉を有言実行した詩人だった。

自らの心を、自らえぐり取るような繊細な詩を多く発表し、

波乱の人生の末、最期は心も体もおかしくなって、三十歳という若さで死んだ。




十歳になるうちの長女の将来の夢は「芸術家」。

保育園の頃からの変わらぬ夢だ。

どーぞどーぞ、なれるもんならなってちょうだい芸術家、ってな感じよ、僕としては。

少なくとも親の経済的な理由で挫折だけはさせたくないので、がんばるしかない、父としては。

てかさ、詩人であれ、画家であれ、音楽家であれ、

その作品に世間の需要がなければ、当然芸術活動だけでは生活していけないのだけれど。

だからと言って、みんなが「いいね」と評価するような、世間に媚びた作品だけを作り、

いつしか他人の評価そのものが活動の目的と成り果て、

そしてその思惑が作品から世間へ露骨にダダ洩れしてしまうことで、

結果として、逆に評価を下げてしまうなんてこともあるにはある訳で。

重ねて言うが、アーティストってなあ、まったく不可解な人種だなあ。

自分自身であることで、世間の評価を得るのだ。

自分自身であり続けることが、仕事みたいなもんだ。

芸術を生業とし続けられる人ってのは、

はるか昔に、そんな感性をどこかに置き忘れてきた僕にとっては、

いやはや、やはりどこか図りかねる人達なのだよ。

兎にも角にも、長女よ、君の夢が夢ならば。

どうか自分自身でおありなさい。

一生涯絵筆を片手に、自分自身であり続けることが、さて、君には出来るかな?


ちなみに、先ほどの手紙を、中原中也は「芸術の動機」と題した。


な~るほど、これから書くことに迷った時は、

僕は僕なりに「芸術」を「発信」にちょいと置き換えて、

自分自身でおありなさい。

これを「発信の動機」とするのもアリかも。

ベキかも。




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最終更新日  2021.01.29 15:51:48
2020.11.13


素直になれ。

物心がついた頃から、周りにさんざん言われてきた。

ツラい時にツラくない。悲しい時に悲しくない。寂しい時に寂しくない。

やせ我慢で、さも涼し気な顔。そんな子供だった。


素直になれも何も、

ツラい時にツラくない。悲しい時に悲しくない。寂しい時に寂しくない。

その時の僕には、そう言わざるを得ない、押さえきれない衝動が、確かにあって、

それは紛れもなく、今この瞬間、自分という人間は、かくありたいという、

僕の素直な気持ちだったのだけれど。


ぶっちゃけてる人が嫌いだった。すぐ開き直る人が嫌いだった。

ツラい時にツラくない。悲しい時に悲しくない。寂しい時に寂しくない。

そんなやせ我慢のなかに、大切なことがたくさんあった。

そんなやせ我慢をするたびに、みしみしと骨がきしむ音がした。


こうして僕は大人になり、いつしか僕のやせ我慢は、

反骨心むき出しの「鈍さ」として仕上がった。

我ながら見事な「先の尖った鈍感力」だ。


僕はね。

人は、鈍くあるべき時は、がんばって鈍くあるべきだと思うのです。


食べ過ぎてはいけないと分かっていても、ついつい食べ過ぎてしまう。

なんつって、ダイエットに失敗する時にかぎって、

気持ちのどこかしらで、そんな自分を肯定しているところがあるように。


呑み過ぎてはいけないと分かっていても、ついつい呑み過ぎてしまう。

なんつって、二日酔いの朝に、台無しになった一日を後悔つつ、

気持ちのどこかしらで、酒をこよなく愛する自分が好きだったりするように。


気にしてはいけないと分かっていても、ついつい気にし過ぎてしまう。

そんな「繊細さん」的自分を肯定してしまう時が、僕にだってあるのです。

いやホント、まじまじ。全くゼロではなのよね。

繊細な自分が心から嫌いか? 繊細な自分に憎悪すら感ずるか?

と問われると、実際のところ、そんな自分が、けっこー好きだったりするものです。


でも、やっぱ、あれっすね。

少し冷静になって、自己を客観的に見てみれば、

食べ過ぎも、呑み過ぎも、気にし過ぎも、同じようにルーズな印象しかないっすね。

何事も、度が過ぎるのは、だらしがねっす。

そんな自分は、ポイっと捨てちまうにかぎる。

重ねて言うが、人は、鈍くあるべき時は、がんばって鈍くあるべきだ。

ちなみに「鈍さ」は、必ずしも天性のものではねっす。

人工的に作り上げることも出来る、と僕は断言できる。

だって、その生き証人が、ここにいるからね。


まあ、友っちゅーか、同士っちゅーか、勝手にそう呼びたい人へ、

気にすんなっつーの!

色々あるっつーの!

とっとと忘れろっつーの!

なんつって、温かき励ましの言葉をかけるたびに、

僕の何が悪いのか、てか僕に恨みでもあんのか何なのか、

君に私の気持ちの万分の一も分かるまい、立ち去れ、この人でなし!

的な言霊を、あまた頂戴してきた僕っちなのですが、

ま、言うのはタダですからね。

おいよー、あんま気にすんなよー。

ぐらいのことは、この人でなしにも、どうか言わせていただきたいです。



人は、鈍くあるべき時は、がんばって鈍くあるべきだ。


んとぉー、

ここまで書いて、書斎の窓から闇を愛でれば。

スモッグだらけの薄汚い夜空に、まばらな星屑。

都会の星たちが、今宵も鈍く僕を照らしておわします。

今日なんて日は、仕事でクソ面白くねえことがあったけど、

こんな日は、いつもの「先の尖った鈍感力」にまたがって、

星空をぴゅーっと散歩して、忘れっちまうのさあ。

自慢の鈍さにまたがりつつ、

明日は、きっと良い日でありますように。




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最終更新日  2020.11.14 07:09:14
2020.10.18


もう何年も友達と会っていない。
もう何年も会っていない人物を、こちらの心象的都合で勝手に友達と呼び続けてよいのか?
そればっかりは当の本人たちに直接聞いてみないと分からないのだけれど。
僕はといえば、かつて彼らと原っぱで、草や木を石コロですり潰して遊んだ青臭い時間の、
その原色の青の真っ只中にあっても、
「ねえねえ、僕と君って友達だよね?」なんちゅう~青汁ほとばしる質問は、
僕が僕であるために絶対してなるものか!と心に決めて生きてきたし、これからもおそらく出来っこないし。
オイよお。たまには飲もうぜ。おごるぜ。
昔話にぱっと花を咲かせ、差し向かいで冷やのポン酒をぐびりぐびりといこうじゃねーか。
なぁ~んて有難いお誘いは、かつても今も、無いわけでは無いのであるが、
また、ただ酒というジャンルの酒は、極めて飲酒欲求をそそる酒なのであるが、
僕は会わない。会えない。
それは何故かってえと、
例えば友人知人が結婚したとか死んだとかの、のっぴきならぬ事情で、
かつての友達が集うこと絶対不可避なタイミングがあるよね。
そういった場で、共有出来なかった今日までが醸し出す違和感にギクシャクしながら、
それでも酒など酌み交わし何気に会話を弾ませていると、
その友達は、必ずしみじみとした口調で僕に「お前は変わった」と言うのです。
もしくは「見失った」「染まった」「売った」「踊らされた」などの類語です。
そんな時、僕はしどろもどろになって1000の弁解をするのであるが、
それ分の1も相手に理解を得られず仕舞いで、結局二度とその友達とは会わなくなるのだ。
やりきれない。
かつて彼らと過ごした黄金の日々は、僕の記憶の中ではセピア色の画像として輝いている。
動画のように決して動かない、その静止した記憶の画像の断片たちは、
色あせたセピア色をしているにもかかわらず、何故か眩しく輝いているのだ。
不用意に出会った途端に、静止したセピア色が、突如極彩に色づき動き出すような。
そして、その動画フィルムはぢりぢりと焦げ、煙を立て、ぶちっと引きちぎれ、
あとは、アナログテレビの深夜の砂嵐のように何も映らなくなってしまうような恐怖がある。
まったくもって、やりきれない。
だから僕は、あえて古い友達との集いに出向くことはないし、
同窓会などのお誘いも丁重にお断りし続けている。

まったく、この後ろめたさの正体は何だろう?

もう何年も友達と会っていない。
もう何年も会っていない人物を、こちらの心象的都合で勝手に友達と呼び続けてよいのか?
それでも友よ。
友達よ。
かつて僕たちは、変わり続けていた。
毎日、毎時、毎分、いや秒速で変化を遂げていた。
僕は何も変わってなんかいない。
君たちが、いつの間にか放棄してしまった「変化」という行為を、
僕は今も懲りずに続けているだけだ。
節足動物の昆虫類や甲殻類が変態をするかのような毎日のなかで、
確かに僕は、大切なことを見失い、社会に染まり、魂を売り、時代に踊らされてきた。
それでも僕はこれからも変わり続けようと思う。
いつかもっと大切なことを見付け、社会を彩り、不屈の魂を持つ、時代の作り手になりたいから。
変わり続ける者でありたい。
この気持ちは、昔からずっと変わっていないのだ。



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最終更新日  2020.10.23 19:34:36
2020.07.09
朝っぱら

何の音

じゅーじゅー

目玉焼きを焼く音


うるせえ

何の音

ぶぃーん 

全自動洗濯機が回る音


やかましい

何の音

カリカリカリ

犬コロがエサを食べる音


騒がしい

何の音

ぎゃははは

家族の笑い声


朝っぱら

何の音

幸せの音

も~ちょい寝かせて

幸せの音



この家が鳴らす幸せに


思わず耳をふさぐこの幸せ






じょぼじょぼじょぼ


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最終更新日  2020.07.11 07:35:03
2020.05.16
突然ですが、

​​あなたは、何者ですか? ​​


ひと言でお願いします。

そんな質問に、僕なら、どう答えるだろう。





自分のアイデンティティとは何だろう?

てなことを、
ノンベンダラリと大酒を飲みながら考えていたら、
そんな自問自答に至ったのです。

例えばさ。死んでさ。
死んで、三途の川の向こう岸に渡る手続きの際に、
係の人に、白い三角のやつを、頭に巻いてもらった後、
記帳と筆をもった別の係の人に、

えーと、あなたは、何者ですか?

と聞かれる。

係の人) わりーね、全員に聞く決まりなんでね。閻魔がうるせーから。

僕) は、はい。えー私は、愛知県名古屋市・・・

係の人) 
あの、住所とか、名前とか、もう関係ねーから。あんた死んでっからね。
あなたは、何者ですか?って聞いてんの。
ほらほら、後ろがつかえてるから、ひと言でお願いしますよ。

と、せかされた時に、何と答えるか?

ちなみに、僕の答えは、

私は、水道屋です。

・・・でした。

・・・だな。

紛れもなく、これが僕のアイデンティティだな。

全く面白味のない答えだが、意外と悲観的ではない。
大工です。教師です。看護師です。八百屋です。弁護士です。エンジニアです。
何だかんだ言って、真っ先に自分の職業が出る人は、けっこー幸せな人生かもしれない。と思う。
他の人は、どうだろう?
例えば、安倍さんは?
私は、日本の内閣総理大臣です。
と、迷いなく答えてくれるかなあ。答えて欲しいなあ。
吉村さんは?
私は、大阪府知事です。
と、あの人は、きっと胸を張って答えてくれることだろう。

今の時代、仕事以外のことを答える人も多のかな。
例えば、仕事はそこそこに、趣味の登山に人生のウェイトを置いている人は、
私は、登山家です。
と答えるのかもしれない。
読書家です。芸術家です。釣り人です。草野球のピッチャーです。宗教家です。運動家です。
即座にそう答えられる人生も、それならそれで、いいなあ。
つってもまあ、僕の場合、「私はブロガーです」と答えられる境地には、とてもとても至っていない。

僕の妻は、何と答えるだろう?
私は、主婦です。
そう、堂々と答えるのかもしれない。
私は、Q輔の妻です。
そう、恥ずかし気に答えるのかもしれない。
ははは、だとしたら、密かに嬉しい。

僕) 私は、水道屋です。

係の人) は~い、水道屋さんね。では、さっさと渡し舟に乗って。

僕) うわあ、僕の後ろも死人がいっぱい。お仕事、大変ですね。

係の人) 大変だよ~、最近マトモに答えない人も多いしね。

僕) マトモに答えない人?

係の人) 
たまに「私は、私です」とか「私は、何者でもない自分です」とか答える人がいてね。
困っちゃうよ。いったいどんな人生送ってきたんだろうと思うよ。
まあ、しゃーねーから、記帳には「ただの人」って書くようにしてっけど。

今、僕のまわりを見渡して、
「私は、私です」とか「私は、何者でもない自分です」とか答えそうな人はいない。
それは、僕がそういった人を、極力避けて生活しているからだ。
学生さんならまだしも、少なくとも僕らの年齢に及んで、
まだそんなことを言っている人と、付き合う器が僕にはない。
何よりも先ず、そういう人たちが、薄ら怖い。
それは僕がかつて、あちら側の典型のような人間だったから、
正直、引きずり戻されるのが怖いのだ。ははは。
「何者でもない自分」は、決して自由なんかじゃない。
大海原に浮かぶ帰り港なき小舟は、決して自由に漂っている訳ではないのです。
あれは遭難しているだけです。



それにつけても、今日は、雨だねえ・・・。


私は、水道屋です。

あなたは、何者ですか?



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最終更新日  2020.05.20 06:55:34
2020.03.11
近づけ 心 


東北の空


近づけ 心 


東北の空





午後2時46分のアナウンスに合わせ 


黙祷をしました


薄暗い市役所の廊下の片隅で


一分間 


心を近づけました






どれほど怖かっただろう


どれほど冷たかっただろう


どれほど生きたかっただろう




どれほど探しただろう


どれほど願っただろう


どれほど生きていてほしかっただろう




同じ空の下の者として


ただ 心を近づける


それしかすべがなく






九年前僕は


テレビの向こうに 大津波を見た


九年前僕は


モバイルの向こうに 原発事故を見た


九年前僕は


週刊誌の向こうに 瓦礫の町を見た




近づけ 心


東北の空


近づけ 心


東北の空



居なくなった友達の心




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最終更新日  2020.03.18 06:41:45
2020.02.24
「鏡」


この役立たず

いったい君は何のために存在するのだ

何度お湯をかけても曇る 風呂場の鏡に物申す

違います

鏡に申しているのです

鏡に映る

あなたのことではありません






「ダンディズム」


ハゲをカツラで

おおい隠すダンディズムがあるように

あるがままハゲちらかし

ずるむけで街を闊歩する

そんなダンディズムも

あるにはあるんだけどなあ






「真っ暗闇」



真っ暗闇を

真昼のように歩くためには

目を凝らしてはなりません

いっそ瞳は閉じましょう






「死のうと心に」


死のう

と心に決めたのだが

いかんせんさっきから

ケツの穴がかゆいのである

新陳代謝が活発なのである

死んでいる場合じゃないのである

みずからの体に翻弄されるがまま

今日を生きるよりすべがなく

今はただ

かゆみに身をよじっている





おっしょさーん!

すずひー!

届いたぞー!

読者に任せろだぜー!

100点満点中、

600点だバカヤロー!

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最終更新日  2020.02.25 19:27:11
2020.01.24



頭を抱えて悩む。

過去の自分を責める。

その姿は時に美しいのだ。

それが前進の為の必然であれば歴然だ。

まごうことなきだ。

あたりきしゃりきだ。

でもね。

まあね。

何事もほどほどに。

適当が大事。

塩梅が肝心よ。

自分をけなし、そしり、当てこすり。

ののしり、あざけり、けちょんけちょん。

も~じゅうぶんだろう。

許しておやりよ。

最後には、自分を許しておやり。

それを怠ってはいけないよ。

じゅうぶんに悔い改めたなら、

最後の最後には、自分を許してやること。

人はそれを「自責の念」と言うのだ。

それを忘れてはいけない。


さもなくば、心が、かわいそう。

君の心が、かわいそうだよ。





心は、体と対極をなすものではないのだ。

心は、体の一部だ。

目、鼻、口、心だ。

頭、尻、心、骨だ。

心だけ、特別ではない。

心だけ、仲間外れにしてはならない。

手、足、心だ。

深づめ、耳たぶ、心、ビール腹だ。

心も、体の仲間だ。

いじめてはいけない。

心を、いじめてはいけないよ。


さもなくば、心が、かわいそう。

君の心が、かわいそうだよ。







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ちゅーわけで、これが200件目の日記になります。

ブログをはじめて、二年と半年。

遅筆だぎゃ?

今日も今日とて、こんな野ざらし車両の如きブログを、懲りずに読んでいる、どっかの誰かさん。

あざっす。

愛しています。






最終更新日  2020.02.23 06:56:26

全13件 (13件中 1-10件目)

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