人生の栞。
そうかそうか、このブログも気が付けば、丸四年を過ぎていたわけだ。まったく「継続は力なり」ってやつで、こんな駄ブログですが、なんぞかんぞ続けてきて良かったと、この頃はしみじみ思っています。丸四年続けることで得た力は、微力ながらも僕の心身の節々に分散されて、じんわりと僕を支えてくれているのが、じんわりと感じられるのだからアラ不思議。しかしまあ、たかが四年されど四年ってやつで、過去の記事を読むと、やはり現在よりも考えが若いなあオイと痛感するのです。今の自分とは全く考えが違うこともあります。内容のやぼったさに赤面します。それでも、過去の自分を否定する人は、いつか今の自分も否定するものだ、これはこれで紛れもなくこの日この時の全力の僕なのだ、愛してやろうじゃないか、と判断して、自分の中でよほどの理由がない限り、削除するのはやめています。
兎にも角兎にも、ブログと共に四つ歳を取ったわけなんだけれども。いつからだろう、四十五を過ぎたぐらいからかなあ、歳を取るということは、素敵なことだと思えるようになりました。ジジイになることは、そんなに悪いことじゃない。ヘイ! カモン! 老い! イカすぜベイベー! ってな感じ。
生きていることの醍醐味とは、歳を取ることではないでしょうか。またひとつ歳を取ることが出来たということは、とても贅沢なことです。死んだらもう歳は取れません。その瞬間から老いることが出来なくなるのです。本当にもったいない話です。考えただけで、すごく損をした気持ちになります。
本の栞・遠足の栞の、栞の語源は「枝折」と書きます。木の枝を折ることで山道などを歩く際に目印としたことから転じて、本をどこまで読んだかという目印や、初心者のための手引書などのことを栞と呼ぶようになったという。これから僕がどっぷりと歳を取って、いつか半身をひねって後ろを振り返った時に、この家曜日というブログが、我が人生の栞っつーか、目印っつーか、道しるべのような役割をしてくれたらいいなあ、なんつってそこはかとなく思う。そいでもって、であるならば柔軟にカタチを変えながらでもボチボチと書き続けよう、べきだな、なんて思うのである。継続は力なりである。
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